入聟はだまって抜いて叱られる
非常手段にうったえて、亭主を経済的にふるえあがらせでもしなければ、別れることができなかったほどにお気の毒だったのは、女性だけではない。男性でも聟養子《むこようし》となると、女房なみにあつかわれ、おおむね恐妻病にかかっていた。うっかり聟養子なんぞすると、財産を乗っとられる恐れのある今時のそれとちがい、江戸時代の聟養子は、嫁と同様のあつかいで、持参金つき、一方的に離縁されることもチョイチョイあったのだから、「小糠《こぬか》三合あったら養子に行くな」というコトワザのとおり、家つき女房の尻《しり》に敷かれっぱなしというのが通り相場だったから、主題句が生まれたわけだ。
もっとも、わたしは、はじめはこの句を、入聟だまって抜いて上《かみ》さんにしかられたのは、台所にデンとすえてある酒樽《さかだる》の口だ、と思っていた。自分が飲み助であると同時に、物事をなるべく下品でなく解釈せざるをえない職業上の習性によるものと思う。
ところがある時、ある所で、この道の先輩にむかって、この解釈を披露《ひろう》したところが、あわれ憫然《びんぜん》たる面持《おもも》ちで、叱正された。
——それはネ、あんた。このたぐいの川柳というものは、なるべく下品に解釈することになってるんです。まあ、抜いたのは樽《たる》の口と解釈して、さしつかえはないといえばないようなものだが、それでは作者が承知いたしませんねえ。この種の川柳で抜くといえば、そうだ、「披く時に舌打ちをする大年増《おおどしま》」という句を、あんた、どう解釈しますか。もちろんこの舌打ちは、いまいましいから、残念だからの舌打ちですよ。もし酒樽の口を抜く時だとすると、これからいい目にあうんだから、残念の舌打ちなんぞするわけはないでしょう。だから、コノ抜くは、アノ抜くにきまってますよ。
このように理路整然とやられては、心ならずも下品に組みせざるをえない。いったん度胸さだめて下品に身がまえると、そのほかの類句はスラスラととける。
これではどうも是《これ》ではと聟思い
陰に閉じられて入聟みじめなり
上《かみ》さんのセックスが強すぎるのも、困ったもんだ。これがなみの夫婦なら、三度に二度までは撃退できるのだが、聟の身ではそうもならないところが、哀れにもまたおかしい。ましていわんや、組みしかれて馬乗りされたのでは、当方といたしては陰に閉じざるをえない。男子の本懐いずくにかある、と慨嘆《がいたん》せざるをえないだろう。
間男《まおとこ》を捕えたのが聟|落度《おちど》なり
間男されたら、重ねておいて四つにしてもよい、という法律があった時代に、見て見ぬふりをしなければならぬというのだから、「小糠三合あったら」というコトワザが生まれたのも無理はないのである。
しかし、今はちがう。新しい民法にあっては、一人娘に聟をむかえても、それはただちに養子ということにはならない。娘を嫁にやっても、娘に聟をむかえても、また、どちらの姓を名のろうと、結婚と同時に新夫婦の新しい戸籍が成立することになっている。別に養子縁組みの手続きをとらないかぎり、聟が両親の戸籍に編入されることはない。要するに、以前のように家名相続の観念がなくなり、個人の尊厳、両性の同権にもとづいた結婚ということになったのだから、カラッとしたもんだ。また一人娘を嫁にやろうと、聟をとろうと、遺産相続の場合は、半分が女房、残りの半分が娘の取り分になるのだから、財産に目がくれて養子などというつまらぬことはせぬがよい。要するに、われわれ庶民は、何事も一代かぎりで、そのつど新規まきなおしといきたいもんだ。