ゆげのたつへのこ大家《おおや》をよんでみせ
漬物桶をくさらせたり、メートルをつけっ放しにしたりして、亭主に頭を下げさせる要領のいい女房もあるにはあったわけだが、しかし、なんといっても大勢は、三年間「尼寺へ行きやれ」であった。
別れるだけが目的ならともかく、好きな彼氏といっしょになるために、なぜそんな遠回りをしたかというと、なにしろ亭主とのかたをつけないうちにナニすると、命が二つあってもたりなかったからである。
亭主たるものは、姦通《かんつう》の現場をおさえたら、その場を去らず打ちはたせ、という法律が出ている。今のスリ、かっ払い、その他と同じく、やはり現行犯でないと手を出すわけにはいかない。
そこで駆け落ちということになるのだが、これまたつかまったら、男女ともに|おさん《ヽヽヽ》茂兵衛《もへえ》みたいにハリツケにされるのだから、どっちみち助からない仕組みになっていたのである。なにしろ命あっての物種《ものだね》だから、遠回りして、晴れて、という気の長い話になったのだが、この道ばかりは、いつもそうそう計算ずくではいかない。なあに、現場さえおさえられなけりゃ、あとの減るもんじゃあるまいし、と居直ったが最後、一度が二度になり、二度が三度になるという性質のものである。
そうなると、よほどうすのろの亭主でも感づくが、現行犯でないと文句がいえないので、
重なっていたらいたらと忍び足
ということになるわけだ。しかし町人たるもの、いくらなんでも、その場で殺すという度胸はないし、また片方だけ殺して一人を逃がすと殺人犯あつかいされたので、現場を確認しておいて、お白州《しらす》へ持ちだし、お上《かみ》の手で恨みを晴らすことになる。それには証人が必要なので、大家をよんで来て、抜きたての湯気の立つヘノコ(陰茎)を、とくと鑑定しておいてもらうという場面が主題句である。
言い分はあとでとへのこ納めさせ
二人とも帯をしやれと大家いい
鑑定したら、そのあと始末をしなければならぬ。大家たるもの、らくではない。