新世帯七《あらぜたいなな》こうしんもするつもり
百人一首の二条院|讃岐《さぬき》の恋歌に、「わが袖は塩干《しおひ》に見えぬ沖の石の人こそしらねかわくまもなし」というのがある。新婚当座はだれしも、人こそしらねかわくまもなき沖の石みたいなもんだ。そんな状態だから、一般庶民は、アレがあろうとなかろうと問題じゃない。それどころか、江戸時代は庚申《こうしん》(かのえさる)の晩に交じわってできた子は大泥棒になると称して、きびしく避けたものが、それさえあえて行なおうという情熱型もあったわけだ。庚申は普通の年で六回、閏年《うるうどし》は七回あった。延長戦はいよいよもってありがたしという心境なんである。
しかし、だれがなんといおうと、世間さまにご迷惑さえおかけしなければ、そこは夫婦の仲の秘め事で、よいも悪いもあったものではない。まったくよけいなお世話だが、事が一家あげての年中行事にかかわってくると、ないしょですますわけにはいかなくなる。というのは、今とちがって女性のほこりであるべきはずの生理を、ケガレと考えたからである。
またぐらのぎんみをとげる月見前
故障の儀あって亭主が臼《うす》をひき
なにしろ日本人は、俳句の季題に「中秋無月《ちゆうしゆうむげつ》」といって、八月十五夜に曇りや雨で月が見えなくても、お月見の用意だけはして句を作るという風流な人種である。それに月待ち、日待ちなどといって、お月さまやお日さまを神聖視しておがむ習慣があったから、お月見に供える団子《だんご》も清浄をむねとし、来潮中の女房は臼で粉をひいたり、団子をまるめたりすることを許されなかったのである。
時も時餅つきに嫁じゅつながり
餅つきに馬上で女房ざいをふり
お月見の団子でさえそうだから、神棚に供えるための暮れの餅つきはなおさらのことだ。まだ指揮権をにぎるにいたらない若い嫁は、手伝いはならず、口出しはならず、じゅつないわけだ。そこへいくと、亭主はもちろんシュウト・シュウトメまでもしたがえた古《ふる》女房は、手出しこそしないが、馬上ゆたかに采配をふることになる。
馬が例のものの隠語であることは、先刻申しあげたとおりだ。
たかだかお供《そな》えの団子や餅でさえ、手をふれさせなかったのだから、ましていわんや、神まいりは許されず、同行しても鳥居まで、ときまっていた。
なぜでもと鳥居の外におえん待ち
殿さまも下女もお馬は鳥居ぎり
乗馬で参詣された殿様も、下馬札の建っている鳥居際で下馬して、あとは徒歩で参詣なさる。生理中のお供の下女は、もちろん鳥居から先へははいれない。下馬札がきいている。今でも古いしきたりのうちに育った折り目正しい婦人は、鳥居をくぐらない。
奥ゆかしいといえば、奥ゆかしいようなもんだが、女の神さまもあることだし、祇園《ぎおん》の八坂《やさか》さんみたいに、夏のお祭りには本妻とお妾さんのオミコシが出るイキな神さまもあることだ。よしにしたがよい。