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日本人の笑い28

时间: 2018-11-04    进入日语论坛
核心提示:  田園の恋  麦畑ざわざわざわと二人にげ 中国の原産で、花王《かおう》と称されている牡丹《ぼたん》は、物の本によると、
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   田園の恋
 
 
  麦畑ざわざわざわと二人にげ
 
 中国の原産で、花王《かおう》と称されている牡丹《ぼたん》は、物の本によると、奈良時代に早くも渡ってきたらしいが豪奢《ごうしや》な鑑賞花として一般化したのは江戸時代であった。西鶴の『好色二代男』に、びんぼうな江戸の町人が夢見るところがある。京の女を妾にして、もの静かな向島《むこうじま》に別荘をかまえ、二百人前の浅黄椀《あさぎわん》を用意し、三町ばかりの牡丹畑をこしらえ、月代《さかやき》も夢見ていてそらせ、というような生活をすれば、一万両あっても二年とは続くまい、というのである。牡丹畑を持ちたいと思うところ、びんぼうでもさすがは元禄《げんろく》の町人だ。その牡丹を描かせて右に出《い》ずるものがないのは、元禄の画家|尾形光琳《おがたこうりん》であり、句吟して右に出ずるものがないのは、天明《てんめい》の俳人|与謝蕪村《よさぶそん》である。花そのもののようにケンラン豪華な蕪村のかずかずの牡丹の句の中で、なんといっても堂々たる風格をそなえているのは、
  牡丹散って打ちかさなりぬ二三ぺん
であろう。あの重厚な花びらが、風によってではなく自分の重みで、つまり引力によってくずれ落ちるから、打ちかさなるわけだ。
 ところで、それは私の現役時代のことだった。早稲田《わせだ》大学の大隈会館《おおくまかいかん》の庭園で、学生四、五人と満開の牡丹を前にして、蕪村のこの句などを講釈していると、一人の学生が大まじめで質問した。
 ——先生、打ちかさなりぬ二、三べん、と読んではいけませんか。
 ——どうしてそんなふうに考えるんだネ。
 ——だって先生、江戸時代の表記法は、丸も濁点も打たないのが普通だとおっしゃったじゃありませんか。だから「二、三べん」とよんでも、まちがいというわけではないでしょう。
 ——だがネ、この場合、原本には漢字で「二、三片」と表記してあるんだから、やっぱり「ぺん」と読まなきゃならん。第一「二、三べん」と濁って読んだら、どういうことになるかネ。
と、そこでわたしは一席弁じた。
 ——「打ちかさなりぬ二、三ぺん」ならば、二、三ぺんは花びらそのもので、天然自然の現象をよんだ叙景句、つまり俳句で通るわけだ。ところが「二、三べん」と読むと、どういうことになる。「打ちかさなりぬ」は意志的行為ということになるだろう。そうなると、牡丹は植物の牡丹そのものではなく、緋《ひ》牡丹のような彼女、成熟しきった満開の彼女の象徴ということにならざるをえない。一見すねてる緋牡丹のような彼女を、強引にくどき落とした、というのが「牡丹散って」であり、さてその後は、二、三べん打ちかさなったというのであるから、読後感としては、「勝手にしやがれ、ご盛んなこってす。」というよりほかはない、ということになるんだ。
 読みかた一つ、それも丸と濁点の打ちかた一つで、俳句ともなれば川柳ともなる。ともに十七音を基本形式とする世界最短の民衆詩の微妙なけじめを、わたしは指摘したかったまでだ。さて、マクラが長すぎた。そろそろ本題にかかることにしよう。
 初夏の俳諧季題といえば、牡丹とならんで「麦の秋」がある。「麦秋《ばくしゆう》」ともいって、五月下旬の麦が黄色く熟するころをいうのだが、このほうはおなじ畑でも、牡丹畑とちがって、ぐっと田園的であり、庶民的である。
 かつて、若き日のわたしは、東京の郊外の畑の中に建っていた、さる宗教関係の専門学校で、近世文学を講じていたことがある。ちょうど新学期がはじまってまもなく、その日は〈民衆詩の中の民衆詩〉というキャッチフレーズで、川柳のはなしをすることとあいなった。いろいろと俳句との相違をしゃべったあとで、さて句を示す段になって、ふと窓外に目をやると、一面に黄ばんだ麦畑がとびこんできた。そこでとっさに、
 ——たとえばですな、麦畑ざわざわざわと、と言いかけて、ハタと詰まった。なにしろゲンシュクな宗教関係の学校のことだし、そのころ、わたしはまだ今ほどスレていなかったからだ。しかしもはや、あとには引けないと覚悟して、「二人にげ」と結んでおいて、さりげなくはなしを続けた。
 ——諸君は『未完成交響楽』という映画を見たでしょう。あの中で貴族の令嬢の音楽の教師にまねかれた若き日のシューベルトが、愛しあうようになった教え子の令嬢と、はるかに風車の見える熟した麦畑の中で、追いつ追われつする場面があったでしょう。そういう場面を十七音でまとめたのが、この句なんです。
 まことにわれながらアッパレなできであった。だが学生のほうは、なんとなく解《げ》せぬ顔をしている。いちおう筋は通っているのだが、美意識をかなぐりすてた、むき出しの庶民の目でとらえた世相詩という先刻の説明と、このロマンのかおり高き場面とが、まるっきり食いちがっているのだから、むりもない。どうもやっぱり、川柳ということになると、ソノモノズバリでないとまずい。
  囲炉裏《いろり》にて口説《くど》きおとして麦の中
  麦畑かかしの前もはばからず
  麦畑|小一畳《こいちじよう》ほど押ったおし
と、こうこなくちゃ困るのである。
 スナックで話がついて、ラブ・ホテルヘ直行、というのは都会のはなしである。農村にはそういう施設も余裕もないのだから、
  幸いじゃ屏風《びようぶ》のような麦畑
と、青天白日のもとのデートとあいなるわけだ。
 しかし、刈入れもま近になった麦畑を、小一畳ほども押ったおされたのではかなわない。
  もう一人出るを見ている畑番
 畑主の方でも、自己防衛のために見回るので、せっかくのところを逃げださなければならないはめになるわけだ。
  山犬に麦の中から二人逃げ
 じゃまは見張りの人間だけではない。時には山犬がかぎつけて、ほえかかることだってある。それやこれやで主題句の「ざわざわざわと二人にげ」という情けないことにあいなるのである。
 おまけに、せっかくのデート場所だって、年がら年中あるわけではない。利用できるのはせいぜい二カ月たらずのはかなさだ。
  あかるむと出合いの屏風かり取られ
  これからはどこでしべえと麦を刈り
 他人が他人の麦を刈りとるのはやむをえないとしても、自分たちで自分たちの屏風を刈りとるのは、さぞせつなかろう。しかし、そこはよくしたもの、案ずるより産むはやすい。人生いたるところに青山ありだ。
  麦ののちずいきの中でまた始め
 麦が刈りとられると、あの広い葉が屋根のようにおいかぶさるイモガラ畑がまた、快適なデート場所となる。それも食っちまうと、見通しがわるいので昼間は使いにくいが、あすこの藪《やぶ》のかげ、鎮守の森と、田園の青春はくったくがない。そうして、試験結婚の結果、彼と彼女は晴れて夫婦《みようと》となるのである。
 ところが人の目と口がうるさく、手軽なデートの場所もない江戸や京都や大阪などの大都市の善良な若者たちは、そうはいかない。そこで、何とかしてやらないと、お夏・清十郎やお染・久松のように、手代やデッチと乳くり合うようになっては厄介だ、と思った親たちが発明したのが�見合い�という、今でも行なわれている未知の男女をデートさせて結婚の糸口とする合法的なしきたりである。
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