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日本人の笑い29

时间: 2018-11-04    进入日语论坛
核心提示:  見合結婚  安堵して母も寝られぬ見合の夜 たいていの若者たちが、結婚の相手は自分でえらんでテストした上で、と思ってお
(单词翻译:双击或拖选)
   見合結婚
 
 
  安堵して母も寝られぬ見合の夜
 
 たいていの若者たちが、結婚の相手は自分でえらんでテストした上で、と思っており、私が仲人した何十組かの教え子たちも、ほとんどその組であった。だから近ごろは、「渾然一体」を「婚前一体」と書く若者があらわれたのである。中には、
  白無垢《しろむく》の中でベビーも聞く祝詞《のりと》 (お達者文芸)
�お腹《なか》の赤ちゃん、おめでとう�というカップルも珍しくなくなった。それでも五十八年度の調査で恋愛結婚が六〇・七%、見合い結婚が三九・三%という数字が語っているように、見合結婚がすたらないのは、男と女はウヨウヨいても、案外世間はせまいもので、自分たちの守備範囲には適当な相手がいないという若者や一家がすくなくないからである。
 正宗白鳥が明治四十四年作の『泥人形』の中で、「目隠しして偶然相触れた男と女が契を結ぶやうな見合結婚をして」と、見合い結婚をけなしている。半封建的な明治・大正時代の見合いは、たいてい一ペんこっきりで、男のほうは気に入らないと断れたが、女のほうは断れないという仕組みだったのだから、白鳥先生が軽蔑なさったのも無理はない。しかし戦後の若者は、親が押しつけた見合いなど、意に介していない。
  イヤリング見合いする度ふえてゆき
  ばくばくと食べてお見合い断る気
  馴れるほど親の気遣う娘《こ》の見合い
 いずれも�お達者文芸�の入選作で、ハラハラするのはお母さんたちだけ、幼稚園時代から男女共学の娘たちは、見合い不感症となっている情況がよくわかる。
 主題句の母親も似たりよったりのハラハラ組、あしたの返答次第では娘の不名誉、家の面目丸つぶれとばかり、夜の目も合わないというこの古川柳は、江戸後期、寛政初年(一七八九)の作である。実は私はこの川柳を発見するまでは、封建時代にともかく合理的に男女の仲を取持つ見合い制度などあろうはずはない、と決めてかかっていたのである。ちょっと意表をつかれたので、あわてて古川柳を当たってみると、古いところで安永年中(一七七〇年代)からの見合いの句があった。
  水茶屋は目出たい銭を二百とり
  気に入らぬ方が水茶屋早く立ち
  水茶屋も感づいている恥かしさ
 江戸時代の茶屋には、色茶屋と水茶屋の二つがあった。酒肴とセックスを提供するのが色茶屋で、戦前の亀戸《かめいど》や玉の井の銘《めい》酒屋がそれに当たる。水茶屋は神社やお寺の門前にあって、若い娘たちが茶菓のサービスをするだけだから、今の喫茶店がそれだ。
 第一句は見合い成功、ふつう十文ていどの茶代を、めいめいが十倍の百文ずつ置いたのは、お互いによっぽど気に入ったからだ。第二句は不成功、ちょっと急用を思い出したので、お先に失礼。第三句、昔はこんな|うぶ《ヽヽ》な娘が一ぱいいた。
  見たり見せたりで一両十刄
 中産階級も上のクラスとなると、見合いの場所もちょっと張り込んで歌舞伎の枡席《ますせき》となる。舞台を見たり、隣りの枡席をお互いに見たり見せたりするわけだ。江戸末期の芝居の桟敷《さじき》(枡席)は一枡が銀三十五刄(約三万五千円)だから二枡で七十刄、金一両は銀六十刄相当だから、つまり一両十刄となる計算だ。うまくいけばいいが。
  後生願いのふりをして見合う也
 はなやかな歌舞伎の桟敷と打ってかわって、これはお寺の法談の席。信心深いというふれ込みで、本堂で落ち合うのだから、これは男やもめと後家の見合いだ。
 喫茶店とか、歌舞伎座とか、本願寺とか、当事者の好みや経済力や年齢に合わせて、両親や仲人たちが見合いの場をかれこれと設営するのは、今も昔も変わりはない。でも中には見合いだと人に知られるのは恥ずかしいから、ぜったいに嫌だと駄々をこねる娘もいる。そこで、
  すれ違うように仲人工面をし
ということになる。偶然をよそおった路上の見合いとは、芸がこまかい。
 ところで現代の見合いは回を重ねるうちに愛し合うようになるというケースが多いとみえて、「見愛結婚」と書く若者が現れた。まことに結構。そうしていよいよめでたく初夜を迎える。
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