仲人は母の寝所のさしずもし
今どきの結婚における仲人のように、結婚式場に落ちあって式に立ちあい、披露宴《ひろうえん》で新郎新婦を紹介すれば一巻の終わり、というのなら事はかんたんだ。だが、昔は、行列そろえて乗りこんで来た花嫁と花聟に三々九度をさせたあげく、寝室へまでついていって、屏風を立ててやるところまで取りしきらねばならぬのだから、シンのつかれるはなしだ。おまけに新郎の母親の寝室の位置まで気をくばらなければ、本格的な仲人とは申されない。母ひとり子ひとりの家へ嫁にいくと、母親が襖《ふすま》ごしの隣室に寝起きして、息子と嫁の営みを、まんじりともせず監視するというのは、今でもよくあるケースだ。今とちがって、別居さわぎもならぬ昔のことだから、仲人たるもの、そこまで気をくばらなければならなかったわけだ。
それに仲人だってなま身だ。新郎新婦を寝かしつけるところまで世話するんでは、つい往時をおもい起こして、バレの一つもいって、からかいたくなるのも人情というもんである。
蛤《はまぐり》は初手《しよて》赤貝は夜中なり
さて、なんといっても新婚初夜というものは、めでたくもなまめかしいものだ。そのめでたいお色気をズバリと言ってのけたのが、この句である。そそっかしい人は、これを花嫁のある部分の時間的な変化と受けとるかもしれないが、そうは問屋がおろさない。もっともアソコを蛤にたとえた例は川柳にも多く、普通のことだから、むりもないとはいえ、この句の場合は、少々ちがう。
この句の蛤は、今でも昔ふうな婚礼にはかならず出す吸物の蛤である。そもそも蛤をめでたい婚礼の吸物に使うようになったのは、蛤の貝がらだけはけっしてほかの蛤の貝がらと合わない、つまり一ペんつがいになったら、二度とふたたびほかへ心を移さないという意味からである。そして、この習慣が一般化したのは、享保《きようほう》年中、八代将軍|吉宗《よしむね》がショウレイしたからである。もっとも吉宗の場合は、蛤は四季ともにたくさんあって安価なものだからという、倹約の精神からであった。それはともかく、
蛤は吸うばかりだと母教え
蛤吸物を食ってしかられる
とあるように、近ごろとちがって昔の花嫁は汁をすうだけで、実《み》は食べなかったものだ。しかし花聟の方は、遠慮なく実も汁もいただいたにちがいない。そして夜中には、それこそ花嫁持参の赤貝をいただく、というのがこの主題句の正解ということになる。しかし、それはそれとして、やっぱりアソコの変化もついでにいったもんだ、とお考えになっても、それはもはやわたしの関知するところではない。