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日本人の笑い33

时间: 2018-11-04    进入日语论坛
核心提示: 夏の風情《ふぜい》  蚊をやく紙燭《しそく》フッ消してまぁ待ちな どうもやっぱり梅雨《つゆ》の声を聞かないと、夏になっ
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  夏の風情《ふぜい》
 
 
  蚊をやく紙燭《しそく》フッ消してまぁ待ちな
 
 どうもやっぱり梅雨《つゆ》の声を聞かないと、夏になったような気がしない。このびしょびしょと雨のふる時期が、陰暦五月にあたるので五月雨《さみだれ》といい、すべてのものが湿っぽくなって黴《かび》がはえるので黴雨《ばいう》ともかき、ちょうど梅の実が黄色く熟する時なので、梅雨《ばいう》と書くのだそうだ。それを「つゆ」とよむのは、万物に露がしたたるからなんだそうだが、おれなんぞ、もはや「からつゆ」だ、とひがみながら物の本をめくっていると、「この月|淫雨《いんう》ふる、これを梅雨と名づく」と書いてあった。なるほど淫雨とはよくいった。のべつにびしょびしょしているんだから、むりもない。
 さてこの淫雨があがるころになると、ボーフラもようやく一人前の蚊《か》となって、夏の風情《ふぜい》を添えることになる。けしからん、蚊《か》と蠅《はえ》は、非文明・非衛生の象徴じゃないか。お隣りの中国を見ろ、国民総動員で退治したではないか、とそう言われれば、そのとおりである。だが、中国の蠅などときたら、日本で想像するような生やさしいものではなかったのだ。わたしも陸軍二等兵で三年も中国にいたからよく知っているが、市場など通るとまっ黒な物がぶら下がっているから、なんだろうと近よって見ると、豚肉にびっしり蠅がたかっているのだ。あれでは退治したくなるのもむりはない。
 日本でも戦後は、駐留軍がむやみにDDTをばらまいたり、中国視察団のお歴々が「中国には蠅と蚊がいなくなった、えらいもんだ。」と、つまらないことまでむやみに感心したりするもんだから、それにかぶれちまって、蚊蠅|撲滅《ぼくめつ》運動が盛んになったのはなげかわしい。昔の日本人は、少々の蚊や蠅は夏の風情として眺める寛容と風流の精神を持ちあわせていたもんだ。
  燃え立ちて顔はずかしき蚊遣《かや》りかな  蕪村《ぶそん》
 簾《すだれ》をつった縁側で、蚊遣りをしての夕涼みという風情も、この蚊がいなくなっちまっては仕方がない。ぐっと昔は蚊取り線香なんてものはなかったから、欠けたすり鉢などで鋸屑《おがくず》や糠《ぬか》をいぶしたもんだ。だから風の吹きまわしで、ぼっと燃え立つことがある。部屋の中の行灯《あんどん》なんぞは、あってなきごとし。相手の顔もしかとわからぬ暗い縁側で、若い二人が大胆になって、手なんぞをにぎり合っていると、ぼっと燃え立った蚊遣りの明かりで、はっきりと顔が照らしだされて、わしゃ恥ずかしいという、いとも初心《うぶ》ななまめかしい情景である。といっても、皇居前広場で警視庁さし回しのやぼなパトロールカーのライトをぱっと当てられても、かえって晴れがましく抱きあう近ごろのお若い方々には、とんとおわかりになるまい。
 蚊の風情も、このくらいは序の口だ。縁側は人の目もあるが、部屋の中の、それも閨《ねや》ということになると、ぐっとこざるをえない。歌麿《うたまろ》などにも、蚊帳《かや》越しの美人像といえば、浅黄色の蚊帳をすかして見た寝巻姿の美人を描いた浮世絵があるくらいだ。西鶴の『好色一代男』巻五にも、この蚊帳の風情を描いた章がある。
 世之介《よのすけ》はある日ふと思いたって、早舟をやとい、室津《むろつ》の郭《くるわ》を一見しようと、大阪の港をこぎ出した。世之介持参の銘香《めいこう》などきき分ける、しおらしい妓《こ》がいたので、それが気にいって、蚊帳をつった部屋でにじみ出る汗をもの憂《う》く思いながら待っていると、女は薄紙に包んだ螢《ほたる》を持ってきて蚊帳の中に飛ばし、水草の花桶まで入れて、「都の人の野とや見るらん」といいながら横になったその寝姿の涼しさ、美しさに、世之介はすっかりイカレてしまったというお話である。
 そのもとはといえば、ボーフラであり、蚊であるのだ。季節の自然を享楽する技術において、昔の日本人はうらやましいくらいのものだ。もちろん蚊帳の風情は、これだけではない。
  蚊をやくや|褒※[#「女+以」]《ほうじ》が閨《ねや》のさざめごと  其角《きかく》
「蚊をやく」というのは、蚊帳の中にはいった蚊を、紙を撚《よ》って油にひたした紙燭《しそく》の火で焼きころすことをいうのだが、これはずいぶん古くからの習俗だ。延宝《えんぽう》六年というと、一六七八年に成立した『色道大鏡』といううれしい本に、こんな記事が見える。
[#この行2字下げ]明暦のころ、大阪木村家の太夫職に静間《しずま》というあり。蚊をやく事ならびなき上手にて、見るもおもしろかりけり。この静間、蚊帳の内へわざと蚊を追いこみ、茶碗に水を入れ、左にうけもち、右にもちたる紙燭を一あてあつるに、五つ七つは必ず焼きけり。
 これなどはまあ、郭のお職《しよく》の芸だから特別として、一般の家庭でも、女房が蚊をやいたのである。そこで其角の句だが、褒※[#「女+以」]というのは中国の古代、周《しゆう》の幽王《ゆうおう》の寵姫《ちようき》である。これはたいしたご婦人で、火の手を見ないと笑わないという火事気違いだったので、王さまは笑顔が見たいばっかりに、事ある場合に兵隊を集めるための烽火《のろし》をしょっちゅうあげたので、いざ本番になった時、兵隊が集まらず、ついにイカレたというおそまつの一席である。もっとも、札たばを見ないと笑わないというご婦人と、どっちがこわいかは、にわかにきめられない。そこで其角の句は、寝巻姿で蚊をやいたあとで、目尻を下げていちゃつくというのは、褒※[#「女+以」]の閨のようなぐあいだ、とまあそれを品よくいったのである。
 ところが川柳となると、例によってそうはいかない。
  蚊をやく紙燭フッ消してまぁ待ちな
 ——おい、蚊がはいったようじゃねえか。
 ——おや、そうかい。ちょっとお待ちよ。
とかなんとかで、年増《としま》ざかりの女房が、寝乱れ姿で起きあがり、紙燭をともして、せまい蚊帳の中で蚊を追いかける。
 ——あれあれ、ほらごらんよ。
とふんばった拍子に、味なところを拝ませられたのでは、まるっきりその気のなかったご亭主でも、味な気にもなろうというもんだ。
  蚊をやいて亭主むほんの気にもなり
というわけで、蚊を追っかけるのに夢中になってる女房のすそを、つい引っぱると、紙燭をフッと消して、
 ——まぁお待ちよ。
とこうなると、男の方はせっかちで、女の方は落ちつきはらって、というのが通り相場である。
  蚊をやいたあとを用いて嫌がらせ
というようなわけで、一儀におよんだあと、さて、と始末をしようとしたら、もともとその気じゃなかったので、清掃用のペーパーが手もとにない。ええ、ままよとばかり、もえさしの紙燭の撚《よ》りをもどして用いたというわけだ。それと気づいて女房が、
 ——あらまあ、嫌《いや》だねえ、この人は。
というような物ぐさをするのも、夫婦の仲なればこそである。
 さて、夫婦の仲といえば、前章は花嫁をマナイタにのせたので、今回はいよいよ新婚当時から倦怠期《けんたいき》へと、夫婦のいとなみを展望することにしよう。
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