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決められた以外のせりふ07

时间: 2019-01-06    进入日语论坛
核心提示:演劇雑誌 演劇雑誌というものを見たそもそもの最初は、「演藝画報」であった。芝居好きの祖母が、毎月本屋から取りよせるのを、
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演劇雑誌
 
 
 演劇雑誌というものを見たそもそもの最初は、「演藝画報」であった。芝居好きの祖母が、毎月本屋から取りよせるのを、祖母といっしょに見るのである。
 祖母や母につれられて、芝居を見にゆく。その、自分の見た芝居が、もう一度写真になって雑誌に出ているということが、ただそれだけでおもしろい。「あ、左団次だ」「吉右衛門だ」「ああ、これ『一つ家』だ」などと、こちらの合の手が入ると、祖母の方もなんとなくうきうきしてくるのが、子供心にも分った。
 役者の顔と名前をおぼえるのが、たのしみであった。猿之助はサルノスケではなく、エンノスケと読むのだとおぼえると、ひどく大人になったような気がしたものだ。
 めずらしいのは平仮名の名前で、「もしほ」とか「しうか」とかいうと、なんだかお菓子の名前のような気がした。
 権十郎と源十郎の区別が、なかなかつかなかった。もっとむずかしいのは、松蔦と秀調で、松蔦の「鳥辺山」か何かの写真を見て、ああ、これはシュウチョウではない方の人だと思って、勢いこんで名前を言ったとたんに、祖母が笑いころげた。「あ、ショウチュウだ」と言ったのである。
 毎月そんな風にして「演藝画報」を見ているうちに、まだ実際の舞台では一度も見たことのない役者の顔と名前とを、どうやら一と通りおぼえてしまった。するとまた、芝居が見たくなるというあんばいだった。
 三人とも眼玉が大きいが、耳も大きい人は羽左衛門で、顎の長い人は勘弥で、どっしりした人は幸四郎である。
 いちばんきれいな女形は花柳(ハナヤナギではなくハナヤギ)章太郎で、いちばん肥った女形は雀右衛門で、いちばん気持のわるい女形は梅幸である。なぜ気持がわるいかといえば、お化けや入墨をした女になるからである。
 いちばん大きいのは団右衛門で、いちばんかわいいのは広太郎である。
 おじいさんは四人いて、善いおじいさんは中車、悪いおじいさんは仁左衛門、頑固じいさんは松助、弱虫じいさんは左升というのである。
 後になって、「芝居見たまま」とか、「霊界通信」とかいう本文の記事も読むようになったが、「演藝画報」は私にとって、何よりもまず役者のグラフ雑誌であり、観劇の感興を再現し、つぎの芝居への期待と陶酔とを誘う甘美な写真帖であった。
 
 中学生時代には、第一次の「劇作」を、創刊号からかなり熱心に読んだ。私の家にいた従兄が、内村直也氏や原千代海氏と交友があり、寄贈にあずかっていたからである。
 芝居好きの子供が、こましゃくれた演劇少年になりかかるころで、築地の国民新劇場や田村町の飛行館へかよい、学藝会のたびに武者小路実篤や山本有三の一幕物をやり、神田や本郷の古本屋で「近代劇全集」の端本をあさり、そして、「劇作」を愛読した。
 この「劇作」は、今ではめずらしくない体裁だが、表紙がそのまま目次になっていた。おそらく「N・R・F」などのフランスの雑誌のやり方をお手本にしたのであろうが、当時としては、思いきったレイ・アウトで、新鮮な感じがした。
 内容もそれにふさわしく、ハイカラで、翻訳劇や、森本薫のしゃれた新作が、つぎつぎに発表されたり、エヴァ・アルベルチの演技入門など、西洋の演技研究論文が連載されたりした。
 ただ、私にとって具合がわるいのは、この「劇作」の劇評欄では、私の感心した芝居が、たいていけなされていることであった。新協の「夜明け前」も、テアトル・コメディーの「愉しき哉《かな》人生」も、新築地の「守銭奴」も、みな、いけないのであった。
 私は、岸田国士先生のリズミックな文体の戯曲を愛読していたし、また、その戯曲と表裏一体をなしている歯切れのいい演劇評論が、ことのほか気に入っていた。日本の新劇は、なぜおもしろくないか、日本の新劇役者は、どうして魅力がないかを、岸田先生は、いろいろな角度から、繰返して書いておられた。私はそういう評論を熱心に読み、築地や田村町で新劇を見るたびに、なるほど、その通りだな、と思い、しかしそれはそれとして、「夜明け前」に感心し、丸山定夫のアルパゴンの熱演に興奮し、テアトル・コメディーの奇妙な味に微笑をさそわれて、さて「劇作」の劇評を読むと、やっぱりだめで、私はその二重の喰いちがいを自分の中でどう処理すべきか、大いに思い悩んだものだ。だから、築地座の「秋水嶺」で、私のおもしろいと思った友田恭助の山口壱策と、杉村春子の朝鮮人の妻とが、「劇作」の劇評欄でほめられた時には、鼻のつまっているのがなおったような、ほがらかな気分になった。今から思うとばかばかしいようなものだが、「劇作」は、当年の私にとっては、芝居という熱病にたいする診断書、あるいは処方箋であり、その診断、処方が、じつにアトラクティヴにできているために、読めば読むほど、かえって、熱病に冒されてみたくなるような、不思議なカルテだったのである。こましゃくれた演劇少年は、劇場と活字との間を往復しながら、だんだん、頭でっかちの演劇青年になっていった。
 
 戦後になって、自分が実際に芝居にたずさわるようになってからは、演劇雑誌というものは、ことにその劇評欄というものは、何ともいえぬ気分のものになった。こちらが加熱され、冷却される度合、あるいは具合が、まるで違ってきた。つまり、「かもめ」のトリゴーリンではないが、「ほめられればうれしいし、くさされれば二日ばかり不機嫌になります」ということになってきたのである。
 しかし、もともと演劇雑誌というものは、芝居にたいして、加熱と冷却の両面の作用を持っているべきものだろう。戯曲の発表の場ということも、むろん大事だが、戯曲、演出、演技、劇場、その他、芝居の各方面にわたって、オーヴァー・ヒートをおこさぬように、体温低下を来たさぬように、たえず調節してくれるものは、演劇雑誌以外にはない。
 芝居そのものが、今日では、なかなか維持してゆきにくくなってきている。大ざっぱな言い方だが、歌舞伎も、新派も、新劇も、いわゆる合同公演も、ずいぶんむずかしいところへ来ている、と私は思う。芝居が、藝術的にも、経済的にも、ひどく骨の折れる仕事であることは、何も今にはじまったことではないが、このごろは、その骨の折れ方が、よほどきつくなったような気がする。なに、骨の折れるのはおまえたちの劇団だけだろう、と言われれば、ほんとうにそう思いますか、と反問する。
 今日の劇場は、商品ばかりがあふれていて買手の姿の一向に見えない商店のようであり、品物も客もあふれていてさっぱり売りあげのないデパートのようでもある。旧型新型変型の車がひしめいて最低速で走っている高速道路のようでもあり、ロビーばかりが賑わって泊り客のひとりもいないホテルのようでもある。客車を連結しないで、ひとりでむやみに走っている機関車があるかと思えば、超満員の客車が、機関車なしで走っていたりする。
 演劇雑誌というものの維持のむずかしさも、存在の必要も、そういう情勢と無関係ではないだろう。装いをあらたにして再出発する「悲劇喜劇」が、今日の芝居に、どういう角度から、どんな照明を投じてくれるか、たのしみである。
                                               ——一九六六年一月 悲劇喜劇——
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