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決められた以外のせりふ06

时间: 2019-01-06    进入日语论坛
核心提示:祖母から逍遙まで 九代目団十郎の描いた蘭の扇子が、家にある。渡辺崋山の役を演じた時に、舞台でそれを実際に描き、後で当夜の
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祖母から逍遙まで
 
 
 九代目団十郎の描いた蘭の扇子が、家にある。渡辺崋山の役を演じた時に、舞台でそれを実際に描き、後で当夜の見物に舞台から投げたものだ、と祖母から聞いた憶えがある。扇子は、あまり大きくはない。この頃は見かけなくなったが、一と昔前まで、銀行やデパートなどがおとくいさまに、宣伝を兼ねて送ってくる暑中見舞の扇子ぐらいの大きさである。絵は、墨絵で、本格的なものだ。署名は、崋山。
 この祖母は、幕末の大通、細木香以の姪《めい》だったから、芝居が大好きだった。
 
 祖母は毎月「演藝画報」と「新演藝」という、演劇雑誌をとっていた。毎月芝居を見にゆくのはぜいたくで、見られない月にはせめてグラフでたのしもうというわけである。
「今月の歌舞伎座の狂言は、いいねえ。だけれども、歌右衛門が出てるから、高いね、今月は」
 
 親類にも芝居好きがいて、中島のおばさんはその筆頭であった。
「来月の演舞場は、吉右衛門でござんしょ。よさそうじゃござんせんか」
「またウウ、ウウ、ウウかい」
「あら、あれがいいんですよウ」
「あとは誰」
「明石屋」
「あの人は、気どるよ。そっくり返って、顎を引いてさ。はっはっは。どうしてあんなに気どるんだろうね」
「ほっほっほ。でもいいじゃござんせんか。お安いようですよ、演舞場は」
 
 お安い所をねらう精神、必ずしも捨てたものではない。おかげで私は、本郷座で、田圃の太夫、沢村源之助の「一つ家」を見ている。幕切れの観音様が宙吊りで出て来た途端に、隣席の祖母が、眼は舞台に釘づけになったまま、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えはじめたのにびっくりした記憶がある。観音様は千代之助。今の、仁左衛門丈であった。
 
 お安い所をねらう精神は、左団次へゆく。むろん、二代目左団次である。
 これには、いくらか、私の母の考え方も反映されていたかも知れない。二代目左団次は、小山内薫と組んで自由劇場を興した歌舞伎界の革新者である。藝風が無骨で、自然、演目にも、子供に見せて親が困るような、濡れ場や色模様が、すくない。乃木大将、西郷隆盛、修善寺物語、丸橋忠弥。見送らなければならないのは鳥辺山ぐらいなものである。
 祖母も左団次は大好きであった。
「いいねえ、高島屋は。押し出しがいいねえ。それに、投げないからね。六代目は投げるから。お天狗なのさ」
 
「ああ、落した!」と、母が小さな歎声をあげた。
 菊吉合同の中幕「紅葉狩」
 姫に扮した菊五郎が、踊っている内、自分の投げた扇を自分で取り損ねて、叩き落すような恰好になってしまったのである。
「ほら、機嫌のわるそうなこと」
 母にそう言われると、なるほど、菊五郎の動きや表情は、急にひどく無愛想になってきたようで、ただ決ったことを決った通りにやっているように見えてきたのは不思議であった。
 その不思議は、大喜利の「供奴」まで続き、仮花道の三津五郎が、子供心にもいかにも楽しそうに、うれしそうに踊っているように感じられるのに、見上げる本花道の菊五郎は、怒っているような、威張っているような、無愛想な様子が目について、こういうのを投げるというのかな、と思いはしたものの、手をのばせば届くような近さで役者が踊っていることのおもしろさ、妖しさに圧倒されて、私はその心中の疑問を、母に質《ただ》すのを忘れてしまった。
 
 左団次一座で、そんな思いをしたことは一度もない。子供の眼には、この一座はひどく生き生きとしているように見えた。
 りっぱで、重々しい声を出す左団次。
 とても元気で、とてもおもしろい猿之助。
 かわいい眼と、糸で括《くく》ったような唇の、美しい松蔦。
 せりふの上ったり下ったりする具合が愉快な訥子。
 声のきれいな、まじめな美男の寿美蔵。
 鼻へ抜ける強い声の南京豆、荒次郎。
 花咲爺のような左升……
 
 ことに、私は猿之助が好きだった。
 威勢がいい。茶目なことをする。軽業のようなことをする。とても愉快な踊りをおどる。扮装がうまい。はりきっている。何よりも、おもしろい役をやる。小栗栖の長兵衛。坊っちゃん。弥次郎兵衛。村田新八。研辰。
 私が昨夜見た猿之助の芝居を、興奮して話すと、祖母や中島のおばさんはにこにこしながら聞く。聞き終ると、
「でも沢潟《おもだか》屋は背の低いのが玉に傷ですねえ、おばあさん」
「品がないからね、あの人は」
「けれんが多うござんしょ」
 私は心中でつぶやく——自分が見られなくって口惜しいもんだから、ケチつけてるんだ、中島の小母さんは。
 
 祖母はときどき新聞で、自分の見られなかった芝居の劇評を読んでは、大声で劇評家の悪口を言った。
「あれまあ。ひどいことをいうじゃないか。一つもいいところがない、だなんて。いくら何でもこんなことを言われちゃあ、羽左だって可哀そうだ。ほんとに憎らしいこと言うねえ、石割松太郎って人は。私は嫌いだよ、この人と鬼太郎は。意地悪だねえ。ほんとに、大嫌いだ」
 祖母は、劇評を読んでから、おもしろそうだから見に行こうなどという気は一ぺんも起したことがなかったに違いない。祖母に限らず、大正の末、昭和の初めごろまでは誰もが、役者の顔ぶれと出し物とで、自分の見にゆく芝居を自分で決めたに違いない。
 
 左団次一座が父の「地獄変」を上演したことがある。
 席につこうとして、母がすぐうしろの席の黒紋付の小柄な人に、丁寧な挨拶をする。その人も、挨拶を返す。眠ったような顔をしている。にこりともしない。
 誰、と小声でたずねる。母も小声で、
「正宗白鳥さん」
 もう一度、そっと振り返って顔を見る。客席を見廻してつまらなそうな顔をしている。よほどえらい人らしい。
 幕が明く。しばらくする内に、若殿が猿を追いかけて出てくる。
「おのれ、盗人猿め。待て。ええい、待たぬか」
 若殿は、鼻のりっぱな莚升である。
 ——へんだなあ、と私は思う。若殿っていうのは、もっと子供じゃないのかなあ。果物を盗られたぐらいで、あんな大人が、本気で猿を追っかけるなんて、おかしいや。
 演出というものに疑問をもった、これが最初である。
 
 悪夢に身もだえ、うめきながら、我にもあらず〓と床を踏み鳴らし、仁王立ちになった瞬間目ざめて、「夢か」とつぶやく左団次の良秀。その姿と声とは、今も脳裡に鮮やかである。
 同様の戦慄的な永遠の今を、私は歌舞伎の舞台から、いくたびも発見した。
 おだやかな老女が、正体を覚《さと》られたと知るや、一瞬、背を丸くし、凄まじい疾風のように走り去る菊五郎の茨木。
 悲痛な怒りにつらぬかれて暗い本堂に幽鬼のように立つ佐倉義民伝の吉右衛門の老僧光然。
 しずかに頭を廻《めぐ》らせて皆鶴姫を見る菊畑の、さわやかな羽左衛門の虎蔵……
 
 中学二年の時、坪内逍遙訳の「新修シェイクスピア全集」が刊行された。母が、それをとってくれた。
 空色のクロースの小型本が、毎月二冊ずつ来る。総ルビつきだから、中学生にも曲りなりにも読めるのである。
 第一回配本は「ハムレット」と「以尺報尺」で、読んで見ると、まるで歌舞伎であった。
「世に在る、世に在らぬ、それが疑問じゃ」というようなせりふを読んでいると、おなじみの歌舞伎役者の誰彼の声が聞えてくるようであった。
 が、同時にそこには、歌舞伎とは全く異質の芝居が、見えるようであった。
 木造の家と、石と鉄の家ほどの違いがあると、生意気な中学生は考えた。
 シェイクスピアは、筋がおもしろい。人物がおもしろい。芝居全体のつくり方、物語の発展してゆく具合、それにつれて各人物の考えや気分の変ってゆく具合がおもしろい。何よりも、せりふがおもしろい。複雑で、気が利いていて、言葉が豊富である。シェイクスピアはおもしろい。西洋の芝居は、みなこんなにおもしろいのだろうか。
 
 歌舞伎は少年の私に、芝居の魅惑を、そのすべてを教えてくれた。
 坪内逍遙のシェイクスピアを読むことができたのは、つまるところ、歌舞伎のおかげである。
 そして逍遙の歌舞伎風の翻訳によって、私は歌舞伎以外の劇に興味を持ちはじめた。それはまた別の話になる。
                                               ——一九六九年一一月 歌舞伎——
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