はじめてルオーの実物を見たのは、戦前、銀座にあった三昧《さんまい》堂という本屋の二階のギャラリーで、その赤い裸婦の圧倒的な印象に、私たちは呆然としてしまった。私たち、というのは堀田善衞と私で、二人は学校からの帰り道に、ふとこのギャラリーをのぞいたのであった。
しばらくして、堀田が、ちょっとはにかむような顔になり「僕が、ルオーが好きだというのは、わかるだろう」といった。なんと答えたか、私は覚えていない。とにかくその後、私はやたらに古本屋を歩き廻り、ルオーの画集や、複製をさがし、ルオーまがいの自画像をかいたり、ルオーについて書いた本を読んだりすることに熱中した。
はじめてルオーの肖像写真を見たときには、意外な思いをした。とぼけたような、こすからいような、へんな顔をした爺さんが、あのしっかりと丹念に描きあげられた、磨きあげられた画の作者だとは——
ルオーは若い時、役者になろうと決心したことがあるそうである。思いあまって先生に打ち明けたら、めちゃくちゃにしかられて、あきらめたそうである。あの時あきらめていなかったら、私は今ごろは名優になっていたはずだ、惜しいことをした、というルオーの冗談まじりの打ち明け話を、読んだことがある。陽気な、おしゃべり好きの、たのしい人物だったらしい。
ルオーの画に、そういう感じは充満している。しっかりと、堅固に構築され、たたき込まれ磨きあげられた画面の奥に、いつも自由な、即興的な、流動的なものが動いている。ぴちぴち動いているものがある。造形的なきびしい追求がそのまま、無上にたのしい遊びであるという趣がある。
何度か病院生活をした私は、いつも、病室の壁にルオーのさまざまな「道化師」の複製をかかげた。そこに、人を健康にする気力と体力との源泉がある、というふうに、私には感じられたからであった。この感じは、今も変らない。
——一九六六年二月 北日本新聞——