アメリカの芝居の役者の演技を見ていると、せりふもしぐさも極めて自然で、作為を加えた風が無く、内面的な真実の心の動きを捉えることを第一としていること、個人の藝を主張する前に全体のアンサンブルを緊密に保持しようとしていることなどが、よく分る。今日のアメリカの演技術は、スタニスラフスキー・システムの上に立っている、と言ってもいいだろう。ほうぼうの大学の演劇学部や、市中の演技研究所の授業を見ても、演劇書店の棚を見ても、スタニスラフスキー・システムの浸透は深く、強く、圧倒的であった。
ただ、今日のモスクワ藝術座の演技を正統スタニスラフスキー・システムとすると、アメリカの役者の演技は、修正スタニスラフスキー・システムぐらいの所かも知れぬ。
極めて自然だが、時として、自然すぎる趣がある。それも、ひとつの現代の風かも知れぬが、映画にも、テレビにも、そのまま通用しそうな演技である。
一方には、むろんコンヴェンショナルな演技も存在する。ブロードウェイだから通俗的、オフ・ブロードウェイだから前衛的とばかりは言えない。オフにも、ずいぶん旧式な芝居をする役者がいるし、ブロードウェイにも、見ていて戦慄を覚えるようなすぐれた演技をする役者が、何人かいた。
更に、ヨーロッパ風の演技、それも主として、イギリス風の演技というものがある。私がそれに気づいたのは、四十五日のアメリカ滞在がまさに終ろうとする寸前であった。
これは、アメリカ流のリアリズムの演技よりも、一段と振幅の大きい演技で、せりふも、しぐさも、動きも、抑揚が強く、見ていて、如何にも舞台の演技という気がする。アメリカ流の演技にいささか食傷気味で、同時に今日の西洋の役者の演技というものは、こんなにすらすらと、なだらかなものになってしまったのかと、心細い気分になりかけていた私にとって、この発見は、はなはだ愉快であった。
私たちの芝居、日本の新劇の「学校」は、ヨーロッパにあった。イギリスに、ロシアに、ドイツに、フランスにあった。その「学校」の伝統が健在であることを知って愉快になるのは、人情の自然というものである。修正スタニスラフスキー、旧式、イギリス風と、仮に分類はしたが、むろんこの三種の演技は三原色のように截然《せつぜん》と区別されているわけではない。中間の演技、紫、橙《だいだい》、緑の演技にも少なからず対面した。たとえば、ブロードウェイのある役者は、正に旧式な型通りの喜劇の演技をしながら、クライマックスの親友の死に立会う場面で、感動的な、深味のある演技をした。
これらのほかに、これらの演技とは全く異質な演技をする若い役者たちがいる。リヴィング・シアター、オープン・シアターなどというのがそれで、私はそういう新傾向の演技を、ミネアポリスの「消防劇場」で見た。演目は「ヴォイツェク」であった。
この新傾向の演技とは、一口に言って、即興劇の演技である。今様に言えば、ハプニングということになろうか。文字通りの即興劇ではなく、台本もあり、稽古も積んだ上での芝居なのだが、役者はみな、素顔のまま出てくる。ふだん着のまま出てくることもあるらしい。
ニューヨークで見た「アメリカばんざい」もこの新傾向に属した芝居だったが、これは、脚本も、演出も、演技も、アメリカの学生演劇なみで、私にはそれほど大したものとは思われなかった。
ただ、これが、日本のアンダーグラウンド演劇の演技と違うのは、役者たちがみな、演技の基本的な勉強を、ちゃんと身につけているところである。発声も、動きも、しっかりしているところである。
「消防劇場」の役者諸君は、アントナン・アルトーに心酔していた。芝居から、文学的要素を可能な限り閉め出してしまおうというわけなのだろう。サルトルも、ピランデルロも、偉大には違いない、しかし彼らの芝居は、映画にもテレビにも出来るじゃないか、ぼくたちは劇場でしか出来ないことをやるんだ、と彼らは言った。
この志向は、イギリスの演出家ピーター・ブルックや、ポーランドの演出家グロトフスキーの志向にも通じるだろう。即興は、忘れられかけていた演技の、あるいは演劇の、もっとも魅力的な側面のひとつである。
結論は、ない。ただ私は、五カ月の西洋旅行の後、アメリカの芝居や、ヨーロッパの芝居を、つまり翻訳劇をやることに、妙に気が重くなっていることを、告白する。あらためて、翻訳劇というものに対する疑問が生じたのである。日本には日本なりの、西洋の芝居のやり方があるなどという在り来たりの言い方では間に合わぬものが、あるような気がしてならない。「学校」を出たら、何とかして自分の「仕事」に就きたいものである。
——一九六八年一一月 民藝の仲間——