今年の秋、東京では、国立劇場や新帝劇の開場があり、芝居の世界は、なかなかのにぎわいである。
こういう最新式の設備をそなえた大劇場が二つも(国立のほうは大劇場と小劇場とがあるので、舞台は三つということになる)同時に建つということは、めったにないことで、これがきっかけになって芝居に対する世間の関心がたかまるだろうというそれぞれの当事者の自負も、あながち、度がすぎるとは言えない。そういうことは大いに有り得ることである。魅力のある劇場が出現したということは、すぐれた劇作家や、俳優や、演出家が彗星のように突然登場した時と同じ位、世間の耳目をそばだたしめるものである。
劇場の形式や設備について、私は、是非こうでなければならぬという要求をもっていない。オープン・ステージもよし、額縁舞台も結構。設備が最新式であれば、それだけ芝居が革新されるとも思わないし、老朽した劇場からは、新しい芝居は生れないとも言い切れないのである。要は、舞台と客席との関係が、うまく行っていればいいので、舞台が、役者の夢想と行動とにふさわしく、客席が、観客の想像力を開放させるのにふさわしいように出来ていれば、それでいい。その条件さえそなえていれば、最新式の設備のととのった大劇場も、裸の椅子を三十並べただけの地下室も、芝居がそこで生れる可能性を、まったく同じだけもっている、と見るべきであろう。
さて、その新帝劇では、こけら落しに歌舞伎を、つづいて、マーガレット・ミッチェル原作の「風と共に去りぬ」を上演する。
こけら落しのほうは、怪しむにあたらないが、ミッチェルのほうは、いかにも、今日の商業劇場らしい感じがする。
日生劇場は、さかんにジロドゥーやアヌイの芝居を上演する。藝術座も、「赤と黒」の脚色や、アメリカの喜劇を上演する。
こういう傾向は、去年あたりから、すこしずつ現われて、今年になって、はっきりしてきた。つまり、翻訳劇、外国種の芝居が多くなってきたのだ。
商業劇場だけではない。新劇団でも、上演のレパートリーの比重は、翻訳劇のほうへかかって来ている。むろん創作劇も、上演されてはいる。すぐれた成果をあげた創作劇もある。しかし、観客の関心は、より多く、翻訳劇のほうへあつまっている。
創作劇か、翻訳劇かという、昔からたびたび繰返されて来た議論を、ここで蒸しかえすつもりはない。この種の議論は、いつも議論倒れに終るのが常であって、芝居をいろいろな方法で分類し、区別し、優劣を論じてみたところで、どうなるものでもない。シャルル・デュランではないが、良い、真実な芝居でありさえすれば、それでよいのである。
ただ、翻訳劇というものが、これほど広い観客層から迎えられたことは、今までに無かった現象であり、しかも、ただ一時的とばかりは言えない、かなり先まで広がってゆきそうな、現象であるように思われる。
こういう現象の起ったのは、むろん、単一の原因からではなく、さまざまな原因の、錯綜した結果であり、そのすべてを解明し、検討することは、興味のある仕事だが、到底私の任ではない。
芝居に限らず、藝能一般について言えることだが、ある変化の原因を見きわめること、その因って来たる所以《ゆえん》を見定めることは、他の藝術、たとえば文学や美術におけるよりも、ずっと難かしい。対象はすぐに消えてしまうものであり、二つのものを同時にくらべて見ることが出来ないからである。影響は、思いもかけぬところから来る場合が珍しくなく、それは、常に見すごされ易い。
今日の翻訳劇の繁昌の原因を、福田恆存氏の演出による「オセロ」にはじまる、いわゆるプロデュース・システムが、歌舞伎、新劇、映画、少女歌劇、軽演劇等、分野を異にする役者の交流を促し、広い範囲の観客に、翻訳劇を見る機会を提供したこと、と見るだけでは不十分だろう。
築地小劇場以来、翻訳劇と取り組んで来た新劇団が、成長し、役者の層が厚くなり、外国の劇の「思想」だけではなく、その「生活」を表現できるまでに成熟したことをあげても、まだ十分ではない。
この二つの活動の力は大きいが、それですべてを蔽うことは出来ない。
翻訳劇というものが、上演する側からも、受取る側からも、一と昔前とは、違ってしまっている。それほどの変化ならば、もはやそれは翻訳劇だけの問題ではなくなるはずであり、事実、そういう変化が、有形無形におこりつつあることは、疑いようがないのである。外国文学、翻訳戯曲の出版の影響も考えなくてはなるまい。
突拍子もない事を言い出すようだが、テレビの影響もあるだろう。外国人が日本語で話すアメリカ製のテレビドラマを、今日ではみな平然としてたのしんでいる。
ふだん、翻訳劇などという生硬な言葉とは、まったく縁のない生活をしている大勢の人々が、翻訳劇という名の「現代劇」を見るようになったのである。
しかし、こういうこともある。
有楽座、東京劇場、ピカデリー劇場という、かなりの収容力のある三つの劇場が、かつては、芝居専門の劇場であった。今日では、それらはみな、映画館になっている。
この三つの旧劇場が、依然として芝居をやっている上に、二つの、日生も加えれば三つの新劇場が出来たというのなら、まことにめでたいことだが、事実はそうではない。
これらの三つの旧劇場で、私たちは感動的な舞台を見ている。
しかし、そこの座席から自分の目で芝居を見た人たちは、今日、やがて四十に手のとどこうという人たち、それ以上の年齢の人たちである。
若い人たちには通じにくいかも知れぬが、演劇ブームとか、劇運隆盛とか、にわかに言い出しにくい気持が、私などにはある。
芝居は、これから、たしかに世間の関心するところとなるだろう。その関心を、どこまで、何によって、いっそう高めることが出来るかが、問題である。
——一九六六年一〇月 出版ダイジェスト——