去年から、私たちの劇団「雲」では、外国の演出家とのつき合いを始めた。つき合いといっても、べつにのんきな交際を始めたわけではない。外国から演出家を招いて、約二カ月、本国どおりの演出をしてもらうのである。
ことしは、フランスからジャン・メルキュール氏を招いて、私たちは今、モリエールの「ドン・ジュアン」に取り組んでいる。
メルキュール氏は五十七歳。ジャン・ルイ・バローやピエール・プラッスールらと同世代の、現役第一線の演出家兼俳優である。
外国では、演出家兼俳優というのは、少しも珍しいことではない。むしろ、俳優としての体験をもたぬ演出家は、ごくまれである。日本でもこのごろは、だいぶ、兼業がふえてきたが、まだ、一般的な現象とはいえない。
メルキュール氏の演出ぶりを見ていると、演出家という職能と、俳優という職能とが、まったく一つになっていて、間然するところがない。
演出家も、俳優も、それぞれにかなり激しい体力を必要とする職業だが、氏の演出は、その二つの激しさを一身に引き受けて、ものすごい勢いで進行する。
朝十時半から、装置、衣裳、音楽などの打ち合せ。氏は通訳が追いつかぬほど、しゃべりまくる。十二時から五時まで稽古。これがまた、息つくひまもないほどのダメ出しの連続で、ドン・ジュアン役の山崎努をはじめ、俳優たちはしばしば立往生をする。ひとときも演出家の椅子にすわっていない。舞台を歩き廻り、両手を振りまわし、とび上り、駆け出し、顔をしかめ、大声で笑い、俳優のそばへ寄って演技をしげしげとながめ、突然絶望して椅子にすわり込むかと思うと、猛烈な勢いで葡萄や桃をたべながらまたダメを出す——という具合で、その忙しさといったらない。
十分か十五分の休み時間も、じっとしていない。俳優をつかまえて注意をくりかえす。稽古が終ると、また演出の打ち合せ。氏の実働時間は、十時間におよぶだろう。とても、五十七歳とは思えない。この小柄なからだのどこにこれだけの精力がひそんでいるのかと、私たちは、感心を通り越して、あっけにとられている。
相撲のぶつかり稽古とか、野球の千本ノックとかいうものを、自然に連想するような稽古ぶりである。氏は本国でも、稽古がきびしいので有名な人のようである。
東京の夏は、とくに今年の夏は、ヨーロッパからきた人には耐えられないほど暑く、湿気が多く、不健康なはずなのに、「暑い暑い」と言いながら、タフな仕事ぶりを続けた氏を見ると、やはりこれは菜食人種には真似のできない体力が、ものを言っているのだ、という気がしてくる。
しかし、そればかりでもなさそうである。氏のひとときも休むことのない活動は「ドン・ジュアン」の演出家の仕事というだけでなく、氏の俳優的生活そのもののあらわれなので、あふれ、噴出し、自発し、とどまることを知らぬ生命の動きが、それだけが戯曲をゆり動かして真に生きた舞台をつくりあげることができるのだという、ヨーロッパの劇場人に共通の信念がその仕事ぶりにはうかがわれる。
芝居というものをつくりあげているさまざまな要素を、ぎりぎりに煮つめると、戯曲と演技の二つに帰する。演出という仕事は、この二つを結びつけることなのだが、この中間的な仕事へ通じる道が、いろいろな方面からあるにしても、これまたぎりぎりに煮つめると、戯曲の方向からと、演技の方向からとの二つの大道に帰するほかはない。いずれが良いか、悪いかという問題は別として、演技の方向からくる演出家のほうが、俳優にとっては当然なことだが、刺激も多く、分り易く、勉強にもなる。メルキュール氏の稽古に接していると、そんなことを改めて考えるのである。
——一九六六年九月 神戸新聞——