朝、大映撮影所で、衣笠貞之助監督「春高楼の花の宴」の衣裳合せ。色彩映画だから、色の取り合せをよく考えなければならぬ。
ぼくの役は作曲家だが、ピアノを弾く場面や、オーケストラを指揮する場面があるのは、いささか気が重い。ことに、ラストシーンで、和洋混成、二百人の大オーケストラを指揮する場面は、一体どういうことになるのか、われながら見当がつかない。
十二時半、チェーホフ作・神西清訳「ワーニャ伯父さん」の稽古。ぼくの役は、初演の時と同じで、医師アーストロフ。
七年前の初演の時には、無我夢中で、明けても暮れてもアーストロフのせりふをつぶやいていたものだ。いま読みかえしてみると、ある箇所は、前には心の逸《はや》るままにしゃべり散らしていたのが、思いがけない深い陰影をたたえた、独白めいた調子のせりふであることに気づいたり、他の箇所では、思い入れたっぷりに、深刻にやっていたのが、実は明るく、快活な気分であるべきことを発見したりする。
しかし、初演の時に造りあげたアーストロフの像は、ぼくにとっては、かなり抜きさしのならないものだ。この理想家肌の中年の医師は、チェーホフ劇のすべての登場人物のなかで、いちばん、チェーホフその人の面影を伝えているように思われる。また、いくぶんは神西さんに似ているようにも思われる。初演のとき稽古の後で、わからないところを質問すると、神西さんは、片手にシガレット・ホルダーをもったまま、上目づかいに空間を凝視し、しばらくまばたきを繰りかえしながら、やがて、ぽつりと返事をされる。その一言で、何もかも分ってしまうような、明快な解釈が下される。
それまでぼくは、一人の人物を演じるために、一篇の戯曲をこれほど綿密に読んだことはなかった。戯曲というものが、これほど丹念に読み得るものだということさえ、知らなかったような気がする。「ワーニャ伯父さん」の再演を神西さんの霊に捧げることは、ぼくには、とりわけ感慨が深いのである。
四時半、一ツ橋講堂、「守銭奴」の楽屋入り。明日は金子信雄君と丹阿弥谷津子さんの結婚式。披露のパーティーは六時からなので、ぼくたち「守銭奴」に出ているメンバーは出席することができない。メーキャップをしながら、みんなで、そんなことを話し合っているうちに、誰かが、祝電を打とうと言いだす。
ふつうの慶祝電報ではおもしろくないから、というので、いろいろ、迷文句がとび出す。「オメデトウ、カイヒガオシイ、シュセンドイチドウ」など。最後に、電報代が惜しいから、打つのはやめようという守銭奴的結論に到達。実は、みな、二次会のあることを知っているからである。
アルパゴンは強欲な老人である。下男ラ・フレーシュの言葉によれば「さかさにしたってびた一文出ない」「他人が死のうが眉の毛一つ動かさない」「名誉なんてものも人情なんてものもいらない、ただもう、金、金、金」「だから『あげる』なんて言葉をきいただけで身ぶるいが出る」という老人である。そのアルパゴンが、息子クレアントとの喧嘩の仲裁をしてくれた料理番兼馭者のジャック親方に、お礼をしようと言い出す場面がある。
アルパゴン ほんとうにごくろうだったね。お礼をしなきゃならんね。(ポケットからハンケチをとり出す)いつまでもわすれんつもりだよ。
ジャック親方 これはこれは痛み入ります。
ハンケチをとり出すのは、ボロボロのハンケチをお礼にやるのだろうか。そうではないだろう。ぼくは、昔見た、丸山定夫のアルパゴンと同じやり方をしている。何か貰えるものと期待して手を出すジャック親方をまったく無視して、とり出したハンケチで鼻をかむ。それをまたポケットへしまいながら、「いつまでも忘れんつもりだよ」とにっこりしてみせるのである。
丸山定夫のアルパゴンは、そこのところが実に自然で軽妙で、おもしろかったのだが、自分でやってみると、どうもうまくゆかない。初日以来、はなはだ歯がゆい思いをしてきたのだが、今日は、思いがけないことになった。
鼻をかみ、ハンケチをポケットにしまいながら、北村和夫のジャック親方をみると、何とも言えずうれしそうな顔をして、手を出している。こちらも自然に、「いつまでも忘れんつもりだよ」と言いながら、その心づけを期待している手に、握手したのだ。
はじめて、心が晴れた。これでいいのだ。どうしてこんな簡単なことに今まで気がつかなかったのだろうと思う。
岩田豊雄作「朝日屋絹物店」をよみ、一時ごろ眠る。
——一九五八年 オール読物——