子供のころにたべたもので、うまいと思うものは、いつまでも覚えていて、今でも家人に言いつけて作らせる。湯どうふ、冷やっこはその最たるものだが、このごろのとうふは、製法が違ってしまって、昔の味は望むべくもない。夏の信州の冷やっこが、いくらか、昔の東京のとうふに似ているような気がする。
とうふにくらべると、まだしもがんもどきの方がいい。がんもどきの煮付は、わたしの食膳のメンバーの中ではいちばんの古顔である。
何かの拍子に忘れてしまって、そのままになっていたのを、ふと、あ、あれをずいぶん長いこと食べないな、とひょっこり思い出すことがある。
目下の私にとって、それは、きぬかつぎであって、茄でたてのきぬかつぎに塩をつけてたべることを考えると、唾液がわいて口中いっぱいになるような気がする。
似たようなことが前にもあった。病院生活をしていた時のことである。病室の窓から、灰色の空に降りしきる灰色の粉雪をみている内に、はっと思い出した。あんこう鍋である。
あんこう鍋は、子供のころ、よくたべた。老人たちの好物だったのだと思う。老人たちがいなくなってから、私の家では、さっぱりあんこう鍋をしなくなった。そして、私はべつにそれを不満にも思わず、三十年以上も、あんこう鍋をたべなかった。それほど、おいしかったという記憶もなかったからであろう。
それが、突然、たべたくなった。たべたくなると、矢も楯もたまらない。あんこう鍋ほどおいしいものはこの世にないような気がしてくる。早速、家へ電話をかけて、あんこうを取り寄せ、鍋仕立にした。それはじつにおいしくて、こんなにうまいものを、どうして三十年もたべ忘れていたのだろうと、心底から後悔したほどであった。
しかもこの時、迂濶にも、私はまだ、あんこうの肝の味を知らなかったのである。退院してから、あんこうを追いかける内に、塩茹での肝をぽん酢でたべた。以来、病みつきである。この間、小川軒へ行ったら、おつまみのグラスに、あんこうの肝にレモン汁を滴《したた》らせたのが出た。御機嫌であった。フォア・グラなんかより、よほどうまいと思う。これは、私の食膳のもっとも新しいメンバーになりそうである。
——一九六七年五月 マイクック——