子供の時分、握り鮨《ずし》が、大好物であった。法事の帰りに寄った鰻屋で、鮨がたべたいとだだをこねて大人たちを困らせた。
その時分の東京の握り鮨は、飯が多く、具が小さく、一体に大ぶりで、酢の味が今よりは強《きつ》かったように思う。
古漬だとか、しめさばだとか、酸っぱい味のものが好物で、この子はお酒飲みになるよと、祖母に言われた。
長じて、たしかに酒飲みにはなったが、格別、酸っぱいものに対する好みが深まった形跡はない。
ただ、どういうものか、しばらく酸っぱいものをたべずにいて、酢の和え物などをたべると、これを無限にたべたいと、思うことがある。体が要求しているのだろう。
味というものはおかしなもので、いくら体が要求しても、酸っぱければ何でもよいというわけには行かない。夏みかんはまっぴらごめんだが、梅干は大歓迎である。
さば、こはだ、鯛などを酢でしめたのは、ほんとうにうまい。とれたての生きのいい奴を生《なま》でたべるよりもうまい。
——一九六七年九月 魚菜——