アンセルメは、周知のようにスイス・ロマンド、つまりフランス語をしゃべるスイス地方の音楽家だし、この人もはじめからの指揮者でないどころか、出身は学校の数学の教師だったことも、今ではみんな知っている。こうして、彼は人生の途中から音楽を職業にするように変わったのだが、その時、彼が指揮の教師に選んだのが、ブロッホ、ニキッシュ、ヴァインガルトナーといったドイツ系の名指揮者だったことは、いつも、書かれているとは限らない。
しかもアンセルメのおもしろい点は、そのあと、例のスイス・ロマンド管弦楽団とともに半世紀を越えるキャリアを築き上げた中で、もちろん、あらゆる音楽を手がけたにちがいはないにしても、結局、彼がいちばん多く、そうしていちばん好んでとりあげたもの、つまりは得意のレパートリーということになると、ストラヴィンスキーとドビュッシー、ラヴェルの三人ということになるという事実ではあるまいか。
それにアンセルメは若いころストラヴィンスキーと出会い、その『兵士の物語』を初演して以来、『プルチネルラ』『狐』『詩篇《しへん》交響曲』以下、一時期、この世紀の寵児《ちようじ》の名作をつぎからつぎと世の中に送りだした人なわけだが、そういう彼のストラヴィンスキーをきいていると、『火の鳥』から『春の祭典』にいたる三大バレエその他の初期の作品よりも、今あげたいわゆる新古典主義時代の作品のほうが、本当にぴったり彼の肌に合ったところがあるように、私などには思われるのである。それについては、いつかまた、ふれる時があるだろうが、一口にいってアンセルメのストラヴィンスキーは、著しくラテン化されたもので、スラヴの発生の痕跡《こんせき》はあまり濃くない。それだけにまた、こういったバレエ音楽でさえ、彼がふると実にきちんとしたものになる。アンセルメの指揮には妙に理窟《りくつ》っぽいところがあり、そのために、典雅というよりはむしろ的確な、優しいというよりはむしろ厳しくて理の勝った味わいが出てくる。といっても、私は『火の鳥』などはむしろそういうアンセルメの指揮したもののほうが好きである。私はこれをかなり高く評価している。それにバレエ音楽とはいっても、ここには静的(スタティック)なものがあり、アンセルメはそういうものの処理が非常にうまいのである。
こういう二人にくらべると、モントゥには、いってみれば、ゆったりとくつろいだ、そうしてらくらくとしたものがあり、それが彼をはじめてきいた時から、私を魅惑したのだった。