こういうと、読者は、すぐストラヴィンスキーとかバルトークとかを連想するかもしれない。そういう人びとの音楽についても、ミュンシュがすぐれた手腕を発揮しなかったとは想像しにくいのだが、しかし、私が、ここで念頭に浮かべるのは、たとえばルーセルだとかオネゲル、ないしはデュティユといった二十世紀フランス音楽の、その中でも、どちらかといえば線的で対位法的な作風の音楽家たちの作品の演奏である。
ミュンシュには、こういった人びとの交響的作品を入れたレコードがある(オネゲルの『第四交響曲』とデュティユの『メタボール』を入れたもの。それから二枚の組物で、ルーセルの『第三』『第四交響曲』および『ヘ長調の組曲』とデュティユの『第二交響曲』とが納めてあるもの)。
これが、また、ききものである。こういうものをきいていると、あのものすごく大がかりな身振りで指揮するミュンシュ——「実際はそれほどでもないのに、どういうわけか、まわりからみると、そう見えたのだ」と主張するオーケストラの楽員も少なくないようだが——、音楽の移り変わりに応じて、優しくほほ笑んだり、鬼神も避けるような恐ろしい顔をしたりしたミュンシュとはちがって、澄んだ顔つきの落ちついた物腰の彼の姿が思い出されてくるのである。あの人は幾分内気で、話題も、芸術家というより職人的なものを好んで選ぶのだったが、そういう光景に接していると、世紀の代表的指揮者ミュンシュというより、むしろ一個の人間ミュンシュとしていられる時のほうが、本当は、彼自身にはずっと気に入っていたのではないかと思われてくるほどだった。特にユーモア好きというのではないにしろ、悲愴《ひそう》がかったことは肌にあわず、誇張をさけ、幾分冷たい目で自分を眺めるくせがあったような気が、私には、するのである。
彼の近代フランス音楽のレコードをきいていると、私はついそういうことを考えてしまうのである。