ひらけ、ゴマ
ポケット小僧は、うまく機械室を逃げ出すことができました。
廊下に出てみると、さっきまで、川が流れるように動いていたリノリウムの床が、いまは、とまっていました。その方が都合がいいのです。どちらへでも、行けるからです。
廊下には、小さな電灯が、ぼんやりと光を投げているだけですが、人目をしのぶポケット小僧には、これも、具合がいいのでした。
廊下のかべを、つたうようにして、だんだん奥の方へ、進んで行きました。
廊下は、まるで迷路のように、いくつも枝道があり、右に左に、まがっていました。歩いていると、いつのまにか、もとのところへ、もどってくるような気がします。
さすがのポケット小僧も、道にまよってしまって、長い間、廊下を、行ったり来たりしていました。
ハッと気がつくと、うしろのほうに、人のけはいがします。
びっくりして、ぴったり、かべにからだをくっつけました。暗い廊下なので、そうすると、ポケット小僧の小さなからだは、かべとみわけがつかなくなってしまうのです。
その前を、あの大きな電人Mが、足音もたてないで、歩いて行きました。二十面相です。機械の実験をすませて、治郎君をどこかに、とじこめてから、自分の部屋へ、帰って行くらしいのです。
ポケット小僧は、かべから離れて、そっと、そのあとをつけました。
二十面相は、廊下を二つ曲がったところで、立ちどまりました。
そして、低い声で、
「ひらけ、ゴマ。」
と、呪文のようなことばを、つぶやきました。
「ひらけ、ゴマ」というのは、「アリババ」の童話にでてくる呪文で、それを唱えると、どんな厳重なとびらでも、ひとりでに、スーッと、開くというのですが、実際に、そんなことが、できるはずはありません。
ところが、おお、ごらんなさい。二十面相が、その呪文を唱えると、なにもしないのに、廊下のかべが、まるでドアのように、スーッと、開いていくではありませんか。
ポケット小僧は、びっくりしましたが、これはやはり電気仕掛なので、「ひらけ、ゴマ」という音波が、そのかべの上に仕掛てある、小さなマイクロフォンに伝わると、秘密のとびらが、開くような仕掛になっているのです。
ちょうど、金庫の暗号錠と同じで、「ひらけ、ゴマ」ということばの組合わせでなくては、開かないのです。なんという、安全で、便利な錠前でしょう。
開いたかべの中から、まぶしいような白い光がさしてきました。
二十面相が、その中にはいると、とびらは、ひとりでにしまりました。しかし、そのときには、小さい黒んぼのようなポケット小僧は、すばやく、その部屋にとびこんで、もの陰に身をかくしてしまいました。
見ると、四十平方メートルほどの、広い部屋です。そして部屋じゅうがプラチナのように、きらきらと光っています。
四方のかべは、全部ガラス張りの陳列棚になっていて、そこに、あらゆる美術品が、ならんでいました。中でも、ぴかぴか光る宝石の首飾り、腕輪、小箱、王冠などからは、虹のような後光がさしています。
ポケット小僧は、すっかり、めんくらってしまいました。地の底に、こんなすばらしい美術室があるなんて、想像もできないことでした。
二十面相は、前には、山の中の奇面城に、大きな美術室をもっていましたが、小林少年とポケット小僧の働きで、それを警察にとりあげられてしまったので、こんどは、東京都内に、こんな広い地下のすみかを造って、また盗み集めた美術品を、この部屋に飾っているのでしょう。
部屋の入口のそばに、美しい彫刻のある木の箪笥のようなものが、置いてあったので、ポケット小僧は、そのうしろに身をかくして、二十面相のようすを、うかがっていました。
部屋のまんなかに大きなテーブルがあり、そのまわりに、りっぱな椅子がならんでいます。二十面相はその椅子のひとつに、ゆったり、腰をかけて、テーブルの上の金色の箱から、葉巻タバコをとって、金色のライターで火をつけました。
葉巻タバコのいいにおいが、ポケット小僧のところまで、流れてきます。