お化け大会
宗像博士が、塵芥車のトリックを発見したのが八時三十分頃、警視庁の中村捜査係長が、おくればせに駈けつけたのが、それから又十分ほども後であった。
中村警部は、宗像博士から委細を聞き取ると、捜査手配のために、すぐさま警視庁に引返したが、あらためて全市の警察署、派出署、交番などに、犯人逮捕の指令が飛んだことは云うまでもない。
今度は犯人と共犯者の風体もよく分っているのだし、その上、塵芥車という大きなお荷物があるのだから、発見は容易である。だが、彼等が逃出してから既に一時間、何しろ魔術師のような素早い奴のことだから、まさか今頃まで、元の掃除人夫の姿で塵芥車を引っぱって、ノロノロ町を歩いている筈はない。恐らくは、邪魔な塵芥車はどこかへ捨てて、風体を変え、妙子さんを攫って、姿をくらましてしまったに違いない。とすると、折角の非常指令もあとの祭である。空っぽの塵芥車でも発見するのが関の山であろう。
案の定、それから三十分程もすると、主人を慰める為に川手邸に居残っていた宗像博士のところへ、警視庁の中村係長から電話があって、塵芥車が発見されたという知らせである。
場所は、川手邸から三町とは離れていない、神社の森のなかだという。アア、何ということだ。賊は川手邸を出たかと思うと、もう車を捨ててしまったのだ。では、妙子さんは? まさか森の中へ捨てた訳ではあるまい。一体どうして、どこへ運び去ったというのであろう。
博士と小池助手とは、兎も角現場へ行って見ることにした。
車を呼ぶまでもなく、教えられた道を、走るようにして二つ三つ曲ると、もうそこが神社の森であった。その辺は、麻布区内でも、市中とも思われぬ場末めいた感じで、附近には広い空地などもあり、子供達の遊び場所になっている。
神社の森の中へ入って見ると、塵芥車はもう警察署へ運び去られたということで、そのあとに目印の小さな杭が立てられ、側に制服の若い警官が立っていた。
博士は名刺を出して、警官に話しかけた。
「警視庁の中村警部から聞いてやって来たのです。中村君もじきあとから、ここへ来ると云っていました」
「ア、そうですか。お名前はよく承知して居ります。今度の事件には御関係になっているんだそうですね」
若い警官は、有名な民間探偵の顔を、まぶしそうに見て、丁寧な口を利いた。
「で、塵芥車の外に何か発見はありませんでしたか」
「さい前から、一通りこの森の中を捜索したのですが、全く何の手掛りもありません。ごらんの通りの石ころ道で、足跡は分りませんし、被害者をどこかへ隠したのではないかということですが、そういう様子も見えません。狭い境内のことですから、土を掘ったりすれば、すぐ分る筈ですし、社殿の中や縁の下なども調べたのですが、これという発見もありませんでした」
「君一人でお調べになったのですか」
「イイエ、署の者が五人程で手分けをして、調べたのです」
「イヤ、有難う。僕はこの辺を少しぶらついて見ますから、中村君が来られたら、そうお伝え下さい」
博士は警官に挨拶をして、小池助手と一緒に神社を出ると、どこという当てもなく、ブラブラと歩き出した。
「オヤ、小池君、あすこに見世物が出ているようだね」
暫らく行くと、博士がそれに気附いて、助手を顧みた。
「エエ、そうのようですね。のぼりが立ってますよ。アア、お化け大会と書いてあります。例の化物屋敷の見世物でしょう」
「ホウ、妙なものが出ているね。行って見ようじゃないか。化物屋敷なんて随分久し振りだ。東京にもこんな見世物がかかるのかねえ」
「近頃なかなか流行しているんです。昔は化物屋敷とか八幡の藪知らずとか云ったようですが、この頃はお化け大会と改称して、色々新工夫をこらしているそうです」
話しながら歩く内に、二人は大きなテント張りの小屋掛けの前に来ていた。
小屋の前面は、張り子の岩組みと、一面の竹藪になっていて、その間から、狐格子の辻堂などが覗いている。さも物凄い飾りつけである。上部にはズラッと毒々しい絵看板が並び、それには、ありとあらゆる妖怪変化の姿が、今にも飛びついて来そうに、物恐ろしく描いてある。
前には黒山の人だかりだ。その群衆の頭の上に、台にのった木戸番の若者の胸から上が見えている。若者は口にメガフォンを当てて、嗄声をふりしぼり、夢中になって客寄せの口上を呶鳴っている。
段々近づいて見ると、木戸の上に、大きな貼紙をして、下手な字で、何かゴタゴタと書いてある。
大懸賞
本お化け大会入口より出口まで無事御通過なされしお客様には、入場料金を全部返却の上、賞金五円を贈呈致します。
「オヤ、変な見世物だねえ。五十銭の入場料で、五円の賞金を出していたんじゃ、興行主は損ばかりしていなけれゃなるまい」
博士が思わず独言のように云うと、群衆の中の一人の老人が、それを聞きつけて、話しかけた。
「それが、そうじゃねえんですよ。座元は丸儲けでさあ。ホラ、ごらんなさい。入口からああしてゾロゾロ見物が出て来るでしょう。みんな中途で引返すんでさあ。
あっしゃ、昨日から気をつけて見ているんだが、無事に出口まで辿りついた客は一人もねえ。よっぽどおっかない仕掛けがあるんですぜ。中途で引返した人の話じゃ、中は八幡の藪知らずで、どこをどう歩いていいかさっぱり見当がつかない上に、全く思いもかけないところから、ヒョイヒョイとおっそろしい化物や幽霊が飛び出して来る。イヤ、化物ばかりならいいんだが、もっと気味の悪いものがあるって云いますよ。死人ですよ。汽車に轢かれて、手足がバラバラになって転がっているんだとか、胸を抉られて、空を掴んで、口から血をタラタラと流して、今息を引取ろうとしているんだとか、怖いよりも胸が悪くなって、迚も見ちゃいられねえっていうんです」
江戸っ子らしい老人は、ひどく話好きと見えて、聞きもしないのに、ベラベラと喋るのだ。
「で、お爺さんは中へ入って見ないんですか」
小池助手がからかい顔に訊ねると、老人は顔の前で手を振って見せた。
「御免、御免、五貫も出して胸の悪い思いをするこたあねえからね。何なら、お前さん方御見物なすっちゃどうだね」
すると、宗像博士は何を思ったのか、その言葉を引きとるように、
「どうだ、小池君、一つ入って見ようじゃないか」
と、笑いもしないで云うのである。
「エ、先生お入りになるんですか」
犯人の捜索はどこへ行ったのだ。それを捨てて置いて、子供みたいにお化けの見世物を見たがるなんて、先生はどうかしたんじゃないかしら。小池助手はあっけに取られて、博士の顔をまじまじと見つめた。
「少し思いついたことがあるんだよ。……マア、黙ってついて来たまえ」
博士はそう云ったかと思うと、群衆を押し分けて、もう木戸口の方へ歩き出していた。