立上る骸骨
小池助手は、名探偵とも云われる人の、余りの子供らしさに、呆気にとられたが、ふと気がつくと、それには何か訳がありそうであった。博士は非常に実際的な規則正しい性格で、意味もなく見世物なんかへ入る人ではなかった。
「若しかすると、先生はこの化物屋敷の中で、妙子さんを探そうというのではないかしら」
この想像が、小池助手をギョッとさせた。見せびらかすことの好きな、芝居がかりの殺人鬼のことだ。或はこの想像が当っているかも知れない。妙子さんを運んだ塵芥車はすぐ近所の神社の境内に、空っぽにして捨ててあったのだ。まだ薄暗い早朝とは云え、まさか若い女を抱いて遠くまで逃げることは出来まい、どちらの方角も町続きだから、やがてはげしくなる人通りの中を、怪しまれないで逃げおおせるものではない。という風に考えて来ると、いかに突飛に見えようとも、博士の想像は、どうやら当っているらしくも思われる。
博士が木戸へ近づいて入場料を払うと、木戸番の若者は妙な笑い顔で注意を与えた。
「中で紙札を二度渡しますからね。出口で返して下さい。それが無事に通り抜けたという証拠になるのですよ。二枚揃ってなくちゃいけませんよ」
二人はそれを聞き流して木戸を入って行った。テント張りとは云え、天井はすっかり厚い黒布で蔽ってあるので、一歩場内に入ると、夜も同然の暗さであった。その薄暗い中に、見通しも利かぬ竹藪の迷路が続いているのだ。
或は右に或は左に、或は往き或は戻り、やっと人一人通れる程の細道が、何町となくつづいている。全体の面積はさほどではなくても、往きつ戻りつの道の長さは驚くばかりである。
道が分れている箇所に出ると、小池助手はどちらを選ぼうかと迷った。若し間違った道に入り込んでしまったら、いつまでもどうどう廻りをするばかりで、果しがないからである。
「君、迷路の歩き方を知っているかい。それはね、右なら右の手を、藪の垣から離さないで、どこまでも歩いて行くんだ。そうすると、仮令無駄な袋小路へ入っても、二度と同じ間違いを繰り返すことがない。出鱈目に歩くよりも、結局はずっと早く出られるのだよ」
博士は説明しながら、右手で竹藪を伝って、先に立って、グングンと歩いて行く。小池助手は、成程そういうものかなあと思いながら、そのあとを追うのである。
長い竹藪の間々には、ありとあらゆる魑魅魍魎が、ほのかな隠し電燈の光を受けて、或は横わり、或は佇み、或は蹲まり、或は空からぶら下っていた。あるものはからくり仕掛けで、ゆっくりと動いていた。古池になぞらえた水溜の中から、痩せ細った手がニューッと出て、それから徐々に、お岩のように片目のつぶれた女の幽霊が現われ、見ていると、そのまんまるに飛び出した目から、タラタラと真赤な血が、とめどもなく流れ出すという、念の入った仕掛けもあった。
或時はまた、見物は闇の通路で、何かしらグニャグニャした大きなものを踏んづけるのである。ギョッとして目をこらすと、何とも形容の出来ない、鼠色のいやらしいものが地上に横わっているのだ。どうやら顔らしい部分や、手足らしい部分が見えるけれど、無論人間ではない。と云って動物でもない。何かしら、ゾーッとするような、えたいの知れぬ物体なのだ。
ある場所では、真に迫った首吊り女が、見物の頭の上から、スーッとその肩に負ぶさって、両手でしがみつき、いやな声で笑い出す仕掛けもあった。
だが、それらの人形が、どれほど巧みに、いやらしく出来ていたとしても、屈強の男を走らせる程の恐怖は感じられなかった。よく見ていると滑稽でこそあれ、心から怖いというようなものではなかった。
「先生、つまらないじゃありませんか。ちっとも怖くなんかありゃしない。どうしてこんなものを見て逃げ出すんでしょうね」
「マア、終りまで見なければ分らないよ。それに僕達はただ慰みに入って来たんじゃない。大事な探しものがあるんだ。人形一つでも見逃す訳には行かないよ」
二人はそんなことを低声に云い交しながら、お化けや幽霊に出くわすとは[#「出くわすとは」はママ]、立止り立止り、歩いている内に、やがて竹藪の迷路を抜けて、黒板塀のようなものに突き当った。
「オヤ、また袋小路かな。イヤイヤ、そうじゃない。ここに小さな潜り戸がある。開けてお入りくださいと、貼り紙がしてある」
如何にも、黒板塀の上に、ひどく下手な字の貼り紙が見える。
「君、少し凄くなって来たじゃないか。真暗な中で戸を開けて入るというのは、何だか気味の悪いものだね」
「そうですね。一人きりだったら、一寸いやな気持がするかも知れませんね」
しかし、二人はまだ心の中ではクスクス笑っていた。なんてこけおどしな真似をするんだろうと、おかしくて仕方がなかった。
博士を先に、二人は戸を開いて中に入った。だが、そこには別に恐ろしいものがいる訳ではなく、ただ文目もわかぬ闇があるばかりであった。天井も左右の壁も、板を重ねた上に黒布が張ってあるらしく、針の先程の光もささぬ如法暗夜である。目の前に何かムラムラと煙のようなものが動いたり、ネオン・サインのように鮮かな青や赤の環が現われたり消えたりした。造りものの化物などよりは、この網膜のいたずらの方が、却って不気味な程であった。
「こりゃ暗いですね。歩けやしない」
二人は手を壁に当てて、足で地面をさぐりながらあるいて行った。
「昔パノラマという見世物があってね、そのパノラマへ入る通路が、やっぱりこんなだったよ。この闇が、つまり現実世界との縁を断つ仕掛けなんだ。そうして置いて、全く別の夢の世界を見せようというのだね。パノラマの発明者は、うまく人間の心理を掴んでいた」
手さぐりで五間程も進むと、左側の闇に、何か白いものが感じられた。やっぱり網膜のいたずらかと疑ったが、どうもそうではないらしい。何かが蹲まっているのだ。
「ナアンだ。骸骨ですよ。骸骨が胡坐をかいているんですよ」
小池はその側に近づいて、骨格に触って見た。絵ではない。人間が縫包を着ているのでもない。本物の骨格模型である。
何も見えぬ黒暗々の中に、この世のたった一つの生きもののように、白い骨が浮き上って、ポツンと胡坐をかいている有様は、怖いというよりも、異様に謎めいて不気味であった。
だが、二人が立止って見ているうちに、妙なことが起った。骸骨がスーッと立上ったのである。そして、いきなり右手を二人の方へ突き出した。その手に紙の束を持っているのが、どうやら見分けられた。
と同時に、骸骨の口がパックリと開いて、カチカチと歯を噛み合した。
妙な嗄れ声で笑っているのだ。どこかにラウド・スピーカーがあって、遠くから声を聞かせているのに違いない。
それが木戸番の云った証拠の紙札であることは、すぐに分ったが、気の弱いものは、黒暗々の中で、骸骨の手からそれを受取る勇気がなくて、逃げ出してしまうかも知れない。謂わばこれが第一の関所であった。
博士と小池助手とは、無論怖がるようなことはなく、一枚ずつそれを受け取って、さらに前方への手さぐり足さぐりをはじめた。
それから少し行くと正面の壁に突き当った。右にも左にも道はない。行き止りになっているのだ。
「変だね、あとへ戻るのかしら」
「その辺に、又戸があるんじゃないでしょうか。やっぱり黒い板塀のようじゃありませんか」
「そうかも知れない」
博士は正面の板をしきりとなで廻していたが、間もなく、
「アア、あった、あった。ドアになっているんだよ。押せば開くんだ」
と呟きながら、そのドアを押して中へ入って行った。その拍子に、何かしらマグネシュウムでも焚いたような、ギラギラした光線が、パッと小池助手の目をくらませたが、それも一瞬で、ドアはバネ仕掛けのように、彼の鼻先にピッタリ閉されてしまった。
博士を追って中へ入ろうと、押しこころみたが、どうしたことか、ドアは誰かがおさえてでもいるように、びくとも動かない。
「先生、戸が開かなくなってしまいました。そちらから開きませんか」
その声がドアを漏れて幽かに聞えて来たが、博士の方ではそれどころではなかった。真暗闇から突然太陽のような光の中へ放り出されて、クラクラと眩暈がしそうになっていたのだ。
何かしらギラギラと目を射る、非常な明るさであった。暫らくは闇と光との転換の余りの激しさに、網膜が麻痺したようになって、何が何だか少しも分らなかったが、靄が薄れて行くように、目の前のギラギラした後光みたいなものが消えて行くと、その向うに、目を大きく見開いて、口を開け、だらしのない恰好で立っている一人の男が現われて来た。
「オヤッ、あれは俺じゃないか」
ギョッとして見直すと、その男はもう他所行きの取りすました顔になっていたが、眼鏡といい、口髭といい、三角の顎髯といい、モーニングといい、宗像博士自身と一分一厘も、違わない男であった。