消えうせた正一君
その夜の八時。笠原さんはまだ帰ってきません。正一君とミヨ子ちゃんは、もう、ベッドにはいりました。ふたりの部屋のドアの前には、昼間とはべつのサーカス団員が、大きな目をギョロギョロさせて、ゆだんなく見はりをつとめています。
ところが、しばらくすると、ふしぎなことがはじまりました。
団員の大きな目が、だんだん細くなっていくのです。しまいには、まったく目をつぶってしまって、こっくりと、首が前にかたむきました。
びっくりして、パッと目をひらき、ちょっとのあいだは、しゃんとしていましたが、また、まぶたが合わさって、こっくりとやります。
そんなことを、なんどもくりかえしているうちに、その団員は、とうとう、ぐっすり、寝こんでしまい、イスからずり落ちて、へんなかっこうで、いびきをかきはじめました。
そのとき、一階の食堂でも、おなじようなことが起こっていました。ふたりの団員が食堂にのこり、見はりの順番がくるのを待ちながら話しをしていたのですが、ふたりとも、いつのまにか、こっくり、こっくりと、いねむりをはじめていたのです。
台所では女中さんが、おさらを洗ってしまって、やれやれと、そこのイスに腰をおろしたかと思うと、これも、こっくり、こっくりです。
家じゅうがみんな寝こんでしまいました。これは、いったい、どうしたことでしょう? さっき食事のあとで、おとなたちはコーヒーを飲みました。なんだか、ひどくにがかったようです。女中さんも、台所で同じコーヒーを飲みました。ひょっとしたら、なにものかが、コーヒーの中へ、ねむり薬をまぜておいたのではないでしょうか。いや、なにものかではありません。もし、そんなことをしたやつがあるとすれば、あのじゅうたんの中から出てきた骸骨男にきまっています。
こちらは、寝室の中の正一君です。ミヨ子ちゃんは、まだ小さいので、むじゃきに寝いってしまいましたが、正一君は、なんだかこわくて、なかなか眠れません。このあいだ、バスの中へあらわれた骸骨男の顔を思いだすと、恐ろしさに、からだがふるえてくるのです。
ドアのそとには、力の強い団員ががんばっていますし、窓には、頑丈な鉄ごうしがついているのですから、あいつが寝室の中へはいってくる心配は、すこしもありませんが、それでもなんだか、こわくてしょうがないのです。
ふと、聞き耳をたてると、こつこつと音がしていました。ギョッとして、思わず、息をころしました。
こつこつ、こつこつ……。
「おとうさんだよ。ここをあけておくれ。」
ドアのむこうがわなので、なんだか、ちがう人の声のように聞こえました。でも、こわくてしょうがなかったときですから、おとうさんと聞くと、とび起きてドアにかけより、かぎをまわして、それをひらきました。用心のために、中からかぎがかけてあったのです。
ドアが、スーッとひらきました。
そして、そこに立っていたのは、おとうさんではなかったのです。いままで、そのことばかり考えていた、あいつです。身の毛もよだつ骸骨男です。
正一君は、アッといって、いきなりベッドのほうへ逃げだしました。しかし、あいてはおとなです。すぐに、うしろからとびかかって、正一君をだきすくめてしまいました。
正一君は、無我夢中であばれましたが、とても、かなうはずはありません。骸骨男は、どこからか、大きなハンカチのようなものをとりだして、それを正一君の口と鼻におしつけました。
いやな臭いがしたかと思うと、気がとおくなっていきました。正一君は、もう目をふさいでいましたが、暗いまぶたのうらに、あのいやらしい骸骨の顔が千ばいの大きさで、にやにや笑っていました。世界じゅうが、骸骨の巨大な顔で、いっぱいになったのです。
正一君が、ぐったりすると、骸骨男はべつのふろしきのようなものを取りだして、正一君にさるぐつわをはめ、それから用意していたほそびきで、手と足を念いりにしばりました。
同じ部屋のベッドにねているミヨ子ちゃんは、ぐっすり眠っていたので、このさわぎを、すこしもしりませんでした。それほど、骸骨男は、手ばやく、しずかに、ことをはこんだのです。
さっきのコーヒーにねむり薬をまぜたのは、やっぱり骸骨男でした。廊下では、イスからずり落ちたサーカス団員が、まだ眠りこけています。一階にいる人たちも同じありさまなのでしょう。骸骨男は、だれにじゃまされる心配もなく、思うままのことがやれるわけです。
かれは、しばりあげた正一君をこわきにかかえると、ゆうゆうと階段をおりて、玄関の板の間にもどり、じぶんがかくれていたじゅうたんの空洞の中へ、正一君を入れて、もとのとおりに巻きつけ、それから、ひもでしばって、とけないようにしました。
そして、玄関のドアのところへいくと、ポケットから、まがったはり金をとりだし、かぎ穴にさしこんで、しばらく、こちゃこちゃやっていましたが、やがて、カチンと音がして、錠がはずれ、ドアがひらきました。このはり金は、どろぼうが、錠やぶりにつかう道具なのです。
骸骨男はそとに出ると、ドアをしめ、また、あのはり金をつかって、そとからかぎをかけ、そのまま、どこかへたちさってしまいました。
笠原さんがサーカスから帰ってきたのは、それから三十分もたったころでした。
玄関のベルをおしましたが、だれもドアをあけてくれません。なんども、なんども、ベルをおしました。それでもなんのこたえもないのです。
笠原さんは、心配になってきました。るすのまに骸骨男がやってきて、家じゅうのものをしばって、動けなくしたのではないだろうか。そして、正一とミヨ子を、どうかしてしまったのではあるまいか。そのとき、ふと、じぶんのポケットにあいかぎがはいっていることを思いだしました。いそいで、それを取りだし、ドアをひらいて、家の中にとびこみ、大声で、団員の名を呼びながら、奥のほうへはいっていきました。
食堂までくると、ふたりの団員が、しょうたいもなく眠っていることがわかりました。台所をのぞいてみると、女中さんまで眠っているのです。
二階の子どもたちの部屋が心配です。笠原さんは、とぶように二階へかけあがり、正一君たちの寝室の前にいってみますと、そこにも、見はりの男が、床にたおれて、寝こんでいるではありませんか。
ドアをひらいて、寝室にとびこみました。ミヨ子ちゃんは寝ていました。しかし、正一君のベッドは、もぬけのからです。
「ミヨ子、ミヨ子、起きなさい。にいさんはどこへいったのだ?」
ミヨ子ちゃんは、びっくりして目をさましましたが、さっきのことは、なにも知らないで寝ていたので、にいさんがどこへいったのか、答えることができません。それでも、おとうさんが、こわい顔をして、どなりつけるので、とうとう泣きだしてしまいました。
ミヨ子ちゃんにたずねてもわからないので、笠原さんは、廊下にもどって、たおれているサーカス団員のからだを、はげしくゆすぶり、大声で、その名を呼びました。
すると、やっとのことで男は目をさまし、ぼんやりした顔で、あたりを見まわしています。
「おいッ、どうしたんだ。正一のすがたが見えないぞ。きみは、なんのためにここで、番をしていたんだ。」
「アッ、団長さんですか。ぼく、どうしたんだろう。へんだな。どうして眠ってしまったのか、さっぱり、わけがわかりません。正ちゃんがいませんか。」
「なにを、いっているんだ。きみだけじゃない。下でも、みんな眠りこんでいる。いったい、これは……。」
笠原さんは腹がたって、口もきけないほどです。
「アッ、そうか。それじゃあ、あれがそうだったんだな。」
団員が、とんきょうな声をたてました。
「エッ、あれって、なんのことだね?」
「ねむり薬です。あのコーヒーにはいっていたのです。ばかににがいコーヒーだった。」
「ねむり薬? うん、そうか。して、だれがそれをいれたんだ。」
「わかりません。はこんできたのは女中です。しかし、女中の見ていないすきに、だれかが、いれたのかもしれません。」
「だれかって、戸じまりはどうしたんだ。だれかが、そとからはいることができたのか。」
「いや、戸じまりは厳重にしてありました。みんなで見まわって、たしかめたから、まちがいありません。そとからは、ぜったいに、はいれないはずです。」
それでは、どうして、コーヒーの中へ、ねむり薬がはいったのでしょう。また、正一君がいなくなったのは、なぜでしょう。
「よしッ、それじゃ、すぐに、みんなをたたき起こして、正一をさがすんだ。ひょっとしたら、家の中のどこかにいるかもしれない。」
そして、みんながたたき起こされ、西洋館の中はもちろん、庭から塀のそとまで、くまなくしらべましたが、正一君はどこにもいないことが、あきらかになりました。
さて、そのあくる日の朝はやくのことです。きのうの運送屋のふたりの男がやってきて、あのじゅうたんはまちがえて配達したのだからといって、玄関のすみにころがしてあった、棒のように巻いたじゅうたんを受けとると、おもてのトラックにつんで、たちさってしまいました。
こちらは、だれも注文したおぼえがないのですから、取りもどしにきたのはあたりまえだと思っていました。そのじゅうたんの中に、正一君がとじこめられているなどと、だれひとり、うたがってもみなかったのです。
骸骨男のトリックは、まんまと成功しました。それにしても、かわいそうな正一君は、これから、どんなめにあわされるのでしょう? あの手紙にあったように、おとうさんの手にかかって殺されるというような、とほうもないことが、起こるのではないでしょうか?