ふたりの一郎青年
こちらは淡谷さんの書斎です。いま置時計が十時をうちました。四十面相が、宝石ばこをぬすみ出してみせると予告した時間です。
その書斎には、主人の淡谷さんと、一郎青年(これがにせものであることは、読者諸君はごぞんじです。しかし、淡谷さんは、まだすこしも気づいていないのです。)と、小林少年の三人が、テーブルのまわりにこしかけて、壁にはめこみになっている金庫を、にらみつけていました。
「なにごともなかったじゃないか。いくら四十面相でも、こんなに厳重にみはられていては、どうすることもできないからね。」
淡谷さんが、安心したようにつぶやきました。
「いや、あいつはきっと約束をまもります。ひょっとしたら、もう、ぬすみ出してしまったかもしれませんよ。」
一郎青年が、まるで四十面相のみかたのようないいかたをしました。
「なにをいうんだ。そんなばかなことがあるもんか。われわれ三人が、ずっと見はりをつづけていたじゃないか。」
「三人がですか。」
一郎青年が、おとうさんをあざけるようにいいました。
「三人だよ。」
「ところが、そうじゃないのですよ。さっき小林君が食事にいったときは、あなたとぼくと、ふたりきりでした。そして、あなたは、ぼくをひとりぼっちにして、手あらいへいったじゃありませんか。」
どうもへんな口のききかたです。一郎青年は、おとうさんのことを、あなたとよんでいるのです。いつもこんなよびかたをしたことはありません。」
「そのあいだ、おまえがひとりでいた。そのときに、なにかあったというのか。」
淡谷さんが、へんな顔をして、ききかえします。
「ええなにかあったのです。」
「なぜ、それを早くいわないのだ。いったい、なにがあったのだ。」
「金庫をあけてごらんなさい。わかりますよ。」
一郎さんが、にくにくしげにいうのです。
淡谷さんは、それを聞くと、なにかしらギョッとしました。大いそぎで金庫の前にいき、ダイヤルを回して、そのとびらをひらきました。ひらいたかとおもうと、
「アッ、ない。宝石ばこがなくなっているッ。」
と叫んで、その場にたちすくんでしまいました。
その声に、小林少年も一郎青年も立ちあがりましたが、だれも、ものをいうものがありません。部屋の中は、しいんとしずまりかえってしまいました。
しばらくしてから、淡谷さんが、一郎青年をにらみつけて、どなりつけました。
「おまえ、それをなぜいわなかったのだ。四十面相がはいってきて、宝石ばこを持っていくのを、だまって見ていたのかッ。」
一郎青年は、にやにや笑いました。
「ピストルをつきつけられたので、どうすることもできなかったのです。それに、あいつは金庫の暗号も知っていました。」
「あいつとはだれのことだ。」
「むろん、怪人四十面相です。こうもりのようなやつでしたよ。」
一郎青年は、ぬけぬけとうそをいっています。小林少年はたまらなくなって、つかつかと、一郎青年の前に近よりました。
「うそだッ、それはみんなうそだッ。怪人四十面相は、まだ逃げだしていない。この部屋の中にいる。」
といって、一郎青年をにらみつけました。
「ワハハハ……。小林君、なにをいっている。四十面相が、この部屋にいるんだって?」
一郎青年は、さもおかしそうに笑いだしました。
「どこにいるんだね?」
「そこに!」
「そことは?」
小林少年は、一郎青年の顔に、人さし指をさしつけました。
「きみだッ! きみが怪人四十面相だッ!」
「ワハハハハ……。なにをねぼけているんだ。ぼくは、ここのうちのむすこの一郎だよ。しっけいなことをいうなッ!」
そのときです。入口のドアがパッとひらいて、そこから、ほんものの一郎青年が、つかつかとはいってきました。そのうしろから、スミ子ちゃんが、にいさんのかげにかくれるようにして、はいってきます。
そして、ふたりの一郎青年がむかいあって、部屋のまん中につっ立ったのです。ほんもののほうが、四十面相のきていた服をつけ、にせもののほうが、一郎さんの服をきているので、どちらがほんものとも、見わけがつきません。かえってにせもののほうが、ほんとうの一郎さんらしく見えるくらいです。
淡谷さんは、あっけにとられて、このふしぎな光景を見つめていました。スミ子ちゃんは、おとうさんのそばによって、そのうでにつかまっています。
この異様なにらみあいは、一分間ほどもつづきました。いくら服があべこべでも、にせものが、ほんものに勝てるわけはありません。にせものの顔色がだんだんわるくなり、そのからだが、ゆらゆらとゆれてきました。
「そのにせものを、いちばんはじめに発見したのは、そこにいるスミ子ちゃんです。ぼくはそれを聞いたので、ほんとうの一郎さんを、助けだしてきたのです。こいつが四十面相です。こいつが警視庁の刑事に化けて、一郎さんを時計やしきにとじこめ、一郎さんに化けて、ここへやってきたのです。」
小林少年が、叫ぶようにいいました。
それを聞いて、淡谷さんにも、だいたいことのしだいがわかりました。
四十面相も、それはいま聞くのがはじめてですから、小林少年のきびんな活動に、舌をまいておどろきました。もう、いっこくも、ぐずぐずしてはいられません。
「ワハハハ……。それじゃ、あばよ!」
といったかとおもうと、四十面相は、パッと窓のところへとんでいって、手ばやくガラス戸をひらき、まっ暗な庭へとびだしてしまいました。
しかしその庭には、刑事たちが、見はりをしているはずです。いや、もっと恐ろしい敵が、待ちかまえているかもしれません。
四十面相は、どうしてそれをきりぬけるつもりなのでしょう。