かすかな声
こちらはヨシ子ちゃんです。西洋館に帰りましたが、いまわかれたスミ子ちゃんのことが、心配でしかたがないものですから、大いそぎで、時計塔の大時計の下の部屋までのぼっていって、そこの小さな窓から、原っぱのほうをながめました。
原っぱのてまえに、まばらな林があり、その林の中をスミ子ちゃんが歩いていくのが見えます。百メートルもへだたっているので、スミ子ちゃんは、お人形のように小さく見えているのです。
ヨシ子ちゃんは塔の部屋の窓にもたれて、じっとスミ子ちゃんのうしろすがたをながめていましたが、ふと気がつくと、林の中にまっ赤なものがあらわれて、スミ子ちゃんに近づいてくるではありませんか。
「アッ、さっきの道化師だわ。あらッ、スミ子ちゃんをつかまえて、なにかいっている。ああ、どうしたらいいんでしょう。スミ子ちゃんを、どっかへつれていくわ。」
ヨシ子ちゃんは、そこへとんでいって助けたいと思いましたが、百メートルいじょうも、むこうなので、塔をかけおりても、とてもまにあうわけがありません。
「アッ、道化師が、スミ子ちゃんをだきかかえて、走っていく。ああ、どうしましょう。だれか原っぱを通りかからないかしら。そして、スミ子ちゃんを、助けてくれないかしら。」
ヨシ子ちゃんは、じだんだをふむようにして、やきもきしましたが、塔の上からでは、どうすることもできません。
見ると、原っぱのむこうに、一台の自動車がとまっていて、スミ子ちゃんをかかえた道化師は、その自動車に近づいていきます。
そして、スミ子ちゃんは、その自動車の中へつれこまれ、ばたんとドアがしまると、車はそのまま、どこともしれず走りさってしまいました。
ヨシ子ちゃんは、そこまで見とどけると、大いそぎで塔の階段をかけおり、電話のある部屋に走りこむと、すぐに、淡谷さんのうちをよび出しました。
「もしもし、わたし、園田ヨシ子です。スミ子ちゃんがたいへんです。おかあさまか、おにいさまに、お話したいのですが。」
すると、おかあさまが、電話に出てこられました。
「おばさま、たいへんです。スミ子ちゃんが、いま、道化師につかまって、自動車に乗せられてどっかへつれていかれました。自動車は原っぱから南のほうへ走っていきました。でも、車の番号は読みとれなかったのです。」
スミ子ちゃんのおかあさんは、それを聞くと、びっくりして、いろいろおたずねになりましたので、ヨシ子ちゃんは、さっきからのことを、くわしく話しました。
淡谷さんのおうちでは、それから大さわぎになり、ちょうどおとうさんも、にいさんの一郎さんも、会社から帰っていましたので、すぐに、一一〇番と明智探偵事務所とへ電話をかけ、スミ子ちゃんの捜索をたのみました。
やがて、東京じゅうに非常線がはられ、かたっぱしから、自動車がしらべられましたが、道化師とスミ子ちゃんの乗っている車は、いつまでたっても、見つからないのでした。
その夜のことです。園田ヨシ子ちゃんは、西洋館の自分の寝室のベッドの上に、よこになっていましたが、スミ子ちゃんのことが心配で、なかなか眠れません。うとうとしたかと思うと、恐ろしい夢を見て、はっと目がさめるのです。
時計を見ると、もう夜中の十二時をすぎていました。
「アラッ、どこかで、人の声がしているわ。」
びっくりして、耳をすましました。
ずっと遠くのほうから、かすかな、かすかな声が聞こえてくるのです。
「こわいッ! 助けてえ……、はやく、だれかきて……。」
聞きとれないほどかすかな声ですが、たしかに、どこかで女の子が、助けをもとめているのです。
ヨシ子ちゃんは、ベッドからとびだして、窓をひらいてみました。外には、まっくらな夜がひろがっています。
もう、なにも聞こえません。窓をひらいたとたんに、声がしなくなったのです。
へんだなと思って、窓をしめてベッドのそばへもどってきますと、また、どこからか、かすかな、かすかな声が聞こえてくるではありませんか。
「それじゃ、外ではなくて、うちの中なのかしら?」
じっと耳をすましていますと、その声は、なんだか下のほうから聞こえてくるようです。ヨシ子ちゃんは、ためしに床にすわって、じゅうたんに耳をつけてみました。
「助けてえ……助けてえ……。」
今までよりも、はっきり聞こえます。
「もしかしたら、地下室かもしれない。」
そう思うと、ヨシ子ちゃんは、いきなり寝室をとび出して、となりのにいさんの寝室のドアをノックしました。
いくらノックしても、なんのへんじもありません。にいさんは、どうせ、ぐっすり寝こんでいるのでしょう。ドアのとってをまわしますと、かぎがかかっていないので、すぐにひらきました。
ヨシ子ちゃんは、ベッドに近づいて、眠っているにいさんを、ゆさぶりおこしました。
「おにいさま、たいへんよ。どっかで、女の子が、助けをもとめているわ。なんだか地下室みたいだわ。」
にいさんの園田丈吉君は、高校一年生でした。丈吉君も、ヨシ子ちゃんとおなじように、探偵がだいすきなのです。
かれは、眠い目をこすりながら、ヨシ子ちゃんの話をきくと、ベッドからはねおきて、机のひき出しの懐中電灯をとりだし、
「じゃあ、地下室へいってみよう。ヨシ子もおいで。」
といって、寝室の外へ出ていきます。
「おにいさまは、やっぱり勇敢だわ。」
と思いながら、ヨシ子ちゃんも、そのあとにつづきました。
地下室の入口は、お勝手のほうにあります。ふたりはそのふたをひらいて、コンクリートの階段をおりていきました。
地下室は六じょうぐらいの部屋が二つつづいていて、物置になっています。一方には洋酒のびんが、いっぱいならんでいるかと思うと、一方には、こわれたいすやテーブルがつみかさねてあり、大きいのや小さいのやいろいろな木の箱が、ごたごたとならんでいます。
ふたりは、懐中電灯を照らしながら、机の下や、本ばこの中まで、くまなくさがしましたが、どこにも人のすがたは見えません。
「へんだなあ、それじゃあ地下室じゃなかったのかな。」
「でも、たしかに、下のほうから聞こえたわ。しっ! ちょっとしずかにして、もう一度きいてみましょう。」
ふたりは、息をころして、きき耳をたてました。しかし、あのかすかな声は、もう聞こえてこないのです。しいんとしずまりかえって、まるで墓場の中にいるようです。ヨシ子ちゃんは、ゾウッとこわくなってきました。
「おにいさま、もういきましょう。さっきのは、きっとわたしの聞きちがいだったのよ。風の音かなんかを、人間の声とまちがえたのかもしれないわ。」
「なあんだ、ヨシ子のあわてもの! ぼく、眠いのに起こされちゃったじゃないか。」
「でも、へんだわ。やっぱりあれは、女の子の叫び声にちがいなかったわ。もしかしたら、スミ子ちゃんじゃないかしら。スミ子ちゃんが、どっか遠いところで、いじめられているのが、ラジオのように、わたしの耳に聞こえてきたんじゃないかしら。」
「そうかもしれないね。そういうのテレパシーっていうんだよ。きみはスミ子ちゃんのこと、いっしょうけんめいに思ってたから、テレパシーがおこったのかもしれない。だが、テレパシーなら、いくらここをさがしたってだめだよ。スミ子ちゃんはずっと遠いところにいるんだろうからね。」
そして、ふたりは、めいめいの寝室にもどって、ベッドにはいりましたが、あのかすかな、かすかな叫び声は、はたして、テレパシーだったのでしょうか、それとも……。