「どうしたの? なぜ泣いているの?」
すると女の子は、目にあてていた両手をはなして、パッチリとしたお人形のような目で、小泉君を見あげ、泣きじゃくりながら、
「おうちがわかんないの。」と、かすかに答えるのです。
「ああ、まい子なんだね。きみひとりでこんなところへ来たの? だれかといっしょに来たの?」
「おじちゃんがいなくなったの。」
「ああ、おじさんといっしょに来て、どっかではぐれてしまったんだね。こまったなあ。きみんちいったいどこなの。遠いの?」
「ズーッとあっちなの。あたちわかんないの。」女の子は、もつれる舌でそういって、またシクシク泣きはじめました。
こんな幼い子どもに、いくらたずねても、住所がいえるわけはありません。小泉君はこまってしまいましたが、もしやまい子札をつけてはいないかと、ふと気がついて、女の子のからだを見まわしますと、うまいぐあいにエプロンのわきの下のところに、小さな銀色のメダルのようなものがぶらさがっていて、それに「世田谷区池尻町二二〇 野沢愛子」と彫りつけてあるのを発見しました。
「池尻町ならばわけはないや。電車にのれば十分もかからないで行ける。よしっ、ぼくが送っていってあげよう。きみのおうちでは、どんなに心配しているかしれやしないんだからね。」小泉君は半分ひとりごとのようにつぶやいて、女の子の手を引きますと、急いで公園を出て、近くの停留場へ急ぎました。
これが少年探偵団の精神なのです。犯罪者とたたかうばかりでなく、とくいの探偵眼を利用して、少しでも世間のためになることなら、喜んではたらくというのが、団員たちの日ごろの申しあわせなのでした。
池尻町の停留場で電車をおりて、二百二十番地をさがしますと、愛子ちゃんのおうちは、ぞうさもなくわかりました。
そのへんはいけがきでかこまれた、庭のひろい邸宅がならんでいる、さびしい町でしたが、そのいけがきにはさまれて高い板塀をめぐらした洋館の門に、野沢という表札が出ていたのでした。
愛子ちゃんは、「ここよ。ここ、あたちのおうちよ。」とさけぶと、小泉君の手を引っぱって、大喜びで門の中へかけこみました。
門をはいってみますと、さしてりっぱな建物ではありませんが、それでも、なかなか大きい木造の洋館がたっていました。庭などもひろいようすです。
愛子ちゃんが、うれしさのあまり、大きな声をたてたものですから、おうちの人は早くも気づいたとみえて、玄関のドアがあくと、そこから五十歳ぐらいの、あごひげのある、りっぱな紳士の顔がのぞきました。
それを見るやいなや、愛子ちゃんは、「おじちゃん!」とさけんで、いきなり、紳士の胸にとびついていきました。この人に連れられていて、まい子になったのにちがいありません。
「おお、愛子ちゃん、よく帰ってきたね。おじちゃんは、どんなに心配していたかしれやしないよ。」紳士はそういって、女の子の頭をなでていましたが、ふとそこに小泉君が立っているのに気づきますと、ニコニコして、声をかけました。
「ああ、きみが連れてきてくださったのですか。ありがとう、ありがとう。うちでは大さわぎをしていましてね。いま電話で警察へ捜索を願おうと思っていたところですよ。
まあ、こちらへおはいりください。いろいろおききしたいこともあるし、お礼も申しあげたいし、立ち話もなんだから。ね、きみ、ちょっとこちらへはいってください。」
小泉君は女の子を送りとどけてしまったら、もう用事はないのですから、そのまま帰ろうと思っていたのですが、紳士が玄関の外へ出てきて、手を取るようにしてすすめますので、それをふりきって帰るわけにもいかず、つい家の中へさそいこまれてしまいました。
はいってみますと、まさかこの大きなおうちに、老紳士と愛子ちゃんとふたりきりで住んでいるのではないでしょうが、みょうなことに、おばさんも、女中も、書生も、だれも出てこないのです。家の中が、なんだかあき家のようにガランとしていて、へんにうそ寒いような感じなのです。いや、みょうなのは家ばかりではありません。老紳士の風采がまた、ひどくかわっていました。半白の長い頭髪をオールバックにして、ピンとはねた軍人のような口ひげと、三角に刈ったいかめしいあごひげをたくわえ、黒いふちの大きなロイドめがねをかけ、西洋の衣とでもいった感じの、黒いダブダブした服を着ているのです。
読者諸君は、この風采をお考えになっただけで、その紳士が何者であるか、もうお気づきのことと思います。お察しのとおり、それはあのおそろしい妖怪博士蛭田でした。いうまでもない、二十面相が化けているのです。
しかし、小泉君は、蛭田博士の名は知りすぎるほど知っていましたけれど、会ったことは一度もないのですから、まさかそれがおそろしい二十面相の変装姿であろうとは、夢にも知らず、ただ、みょうなおじさんだなと感じたばかりでした。ああ、あぶない。小泉君はまんまと敵のわなにおちいったのを、まだ少しも気づいていないのです。二十面相は、小泉君を家の中にさそいいれて、いったい、何をしようとするのでしょうか。
それにしても、いたいけな女の子を、わざとまい子にして、やすやすと小泉少年をおびきよせるとは、なんと心にくい手ぎわではありませんか。
「ほんとうにありがとう。わたしがどんなに感謝しているか、ことばにあらわせないほどですよ。もしきみが救ってくれなかったら、愛子はどんなおそろしいめにあっていたかしれません。人さらいというものは、今でもないとはいえませんからね。さあ、奥へ通ってください。奥の部屋で、ゆっくりお話しましょう。わたしは、きみのような活発な子どもさんが大すきなのですよ。わたしは、こうみえても、発明家でしてね。あるすばらしい機械の発明を完成したところなのです。それもきみにお目にかけたいのです。
その機械は、奥のわたしの部屋においてあります。さあ、こちらへ。なにもえんりょすることはありません。きみは愛子を助けてくださった恩人なのですからね。」
蛭田博士はさも好人物らしく、ニコニコと作り笑いをしながら、ネコなで声でそんなことをしゃべりつづけ、うしろから小泉君の背中をおすようにして、うす暗い廊下を奥へ奥へと連れていきました。
廊下をグルグルまがってつきあたったところに、ふつうのドアよりはずーっと小さいみょうなひらき戸があります。蛭田博士はそれを外へグッとひらいて、小泉君に、先におはいりなさいという身ぶりをしました。
「さあ、この部屋です。これがわたしの研究室で、すばらしい機械がおいてあるのです。さあ、どうぞ。」
いわれるままに、小泉君はついうかうかと、先に立ってその部屋へはいってしまいました。
見れば、なんというへんてこな部屋でしょう。二メートル四ほうほどのごくせまい場所でイスもテーブルもなく、みょうなことに、四ほうの壁も天井も床板も、すっかり鉄板ではりつめてあるのです。その鉄ばりの壁のいっぽうのすみに、小さなくぼみができていて、そこに自動車のルーム・ランプのような、豆電球が光っています。
「その機械ってどこにあるんですか。この部屋には何もおいてないじゃありませんか。」小泉君がふしんそうにあたりを見まわしてたずねますと、まだ部屋の外にいた蛭田博士はひらき戸を半分しめて、その間からニューッと顔をつきだしながら、とつぜん、今までとはまるでちがった声を出しました。
「きみはその機械が見えないかね。きみの今はいっている部屋そのものが、一つのすばらしい機械なのだよ。わしの大発明さ。ハハハ……。」らんぼうなことばに、オヤッと思ってふりむきますと、博士の顔までが、うってかわったうすきみの悪い形相でした。
「おじさんは、どうしてそんなところにいるんです。なぜ部屋の中へ、おはいりにならないんです。」小泉君はひじょうな不安を感じて、なじるようにたずねました。
「なぜはいらないかって? フフフ……、わしは命がおしいからさ。自分で発明した機械だけれど、そこへはいるのがこわいのだよ。フフフ……、きみは勇気のある子どもだ。ひとつわしの発明した機械のあじをためしてくれたまえ。そこにじっとしているとね、今におもしろいことがはじまるんだよ。まあ楽しみにして待っているがいい。フフフ……。」
「エッ、なんですって。じゃ、きみはぼくをここへとじこめるつもりですか。きみはだれです。きみはいったいだれです。」小泉君は、いきなりドアのところへとびついていって、怪紳士をおしのけようとしましたが、そのとき早くも、ドアは、ピッタリと外からしめられ、かぎをかける音がカチカチと聞こえてきました。