「では、日本の石油輸入が平常の三割になった場合の予測を行います」
鬼登沙和子が、抑揚の乏しい声でいった。
大阪の鴻芳本店ビルの大会議室には三十人を越える関係者が集まり、熱気がたちこめていた。いよいよ、油減調査の結果を、アウトプット・ディスプレー装置に打ち出そうというわけだ。
つい先刻、ITVを通じて、大河原鷹司関西経営協会会長が、東京鴻芳ビルにいる黒沢修二エネルギー庁長官とあいさつをかわした時、向こう側にも二十人ほどのスタッフが顔を揃えているのが見えた。この調査になんらかの形で関係した者は、ほとんど集まっているのだ。だが、ただ一人鴻森芳次郎の姿は、そのどちらの側にも見当たらなかった。
「左側の電子表示板には、一六〇分類法による産業分類が表示されています」
電子ディスプレー装置の中央から左半分に大きな表が現れ、その最上段に0111(米穀農産業)から9000(分類不能)まで、一六〇分類法での各産業を示す数字が並んだ。表の右端にはGNP、つまり全体の合計を示す文字があった。これは一六〇の産業の総合計に当たるわけだ。
小宮は、胸の高鳴るのを覚えた。
「まず平常、つまり現在の状況です」
沙和子の説明とともに、左側の表の第二段に100という数字がずらりと並んだ。沙和子の声は冷たく落ち着いていた。
「次に右側に示されたのは、日本の国民総生産を都道府県別に示した図です。各県の国民総生産の大きさが、光の面積で示されます」
ディスプレー装置の右側に、奇妙な形の図が現れた。中央の関東・関西が非常に大きく膨んでおり、両端はひどく小さいが、それでも日本列島を示していることは、なんとかわかる。
「これから、石油輸入が三割に減ったという仮定で、日本の受ける影響を、時系列で追います。つまり、日本への石油輸入を減少せしめる事件が産油国側で発生した日、即ちD─0デーからの変化を、十日刻みで見ていくことにします」
左側の表の左端にD0、D10、D20……という文字が、D200まで、二十一、縦に並んだ。それぞれ事態発生後「十日目」、「二十日目」……を示すわけだ。右側の地図にはD0という文字が左肩についた。
「十日目です」
三段目、D10と示された段にずらりと数字が並んだ。ほとんどが100、なかに99、98もあるが、逆に101、102というのもあり、GNPの段は100のままだ。右側の図もほとんど変わらない。
「二十日目です」
十秒ほど間をおいて、沙和子は次を出した。
四段目に出た数字は、ほとんどが94から100までの間であり、GNPは96になった。右側の地図が少し縮んだようだった。
「事件発生前に産油国を出たタンカーが、まだ入港中なので、石油輸入量の変化はわずかです。ここでの生産低下は、石油消費抑制のための政府の規制策によるものが大きいと思われます」
「三十日目です」
右側の日本地図が少し縮んだ。左の表の五段目に出た数字はほとんどが90台、なかに80台もあった。
「四十日目」
GNP欄に91という数字が出た。地図はまた少し縮んだ。
「五十日目」
地図が明らかに縮み、各都道府県を示す四角の間に隙間が出来た。GNPは88だ。
「六十日目」
沙和子の声とともに、地形はぐっと細くなった。左の表の数字の中に60台が目立つ。第3210欄、石油精製業の数字は、すでに48だ。
「備蓄原油が底をつきます。これからの変化は急激です」
沙和子が、手許のメモを繰りながらいった。
会議室の中に驚きの声が起こった。
「七十日目です」
地図の縮み方が相当大きい。GNP欄は78。
「八十日目」
「九十日目」
「百日目です」
会議室の空気は張りつめた。誰もが目を皿のようにして、ディスプレー装置に出る数字と、縮みちぎれるように隙間を広げる地図を睨みつけていた。そのなかで沙和子の変化のない声だけが、二十秒刻みで響いた。
「ちょっと……」
ITV拡声器から大きな声が聞こえたのは、沙和子が「百四十日目」を告げた直後だった。みな、はじかれたようにそちらを見た。
「あの地図の上に出ている赤い点は何ですか」
ITV拡声器の声は、東京で見ている寺木鉄太郎のものだった。確かに、三、四回前から、右側の図の上に、小さな赤い点が現れ、一回ごとにその数は増えていた。
「失礼しました、いい忘れました」
沙和子は声の調子を変えずに、ゆっくりと答えた。
「あれは、発生する死亡者の数を地域別に予測したものです」
「死亡者!」
驚きの声が一斉に起こった。ITV拡声器からも同じ叫びが伝わった。
「一点千人となっています。全国累計は図の右下の数字で示されています」
その数字はすでに二十万八千を越えていた。
「最初の死亡者の発生はかなり早いとみられますが、相当の数になるのは百日目ぐらいです」
沙和子はもう一度、「百日目」に戻して地図を出した。赤点が北海道と東京、大阪にあった。ここでは早くも千人単位の死者が出ている、というわけだ。
沙和子は続けて、「百十日目」「百二十日目」とやり直した。
「百五十日目です。この辺で第二次産業の活動は底をつきます」
第二次産業を示す第2011欄から第3990欄までの数字は、ほとんど20台か30台になった。なかには一桁つまり平常時の一〇%以下に生産活動が落ちる産業もいくつかある。そしてGNPは34となった。
右側の地図は引き裂かれて、各府県の四角が孤島のようにちぎれ飛んでいた。そして、その右下、死亡者数は三十万人を越えた。
沙和子はここで、しばらく進行を止めた。人びとは怯えたように黙り込んで、ディスプレーを眺めていた。
「これから、本当の影響期に入ります」
三分ほど後、沙和子は事もなげにいった。
「あとで、またその分は表示しますが、この頃からすべての物資の貯蔵分がなくなります。そして経済機能の崩壊と輸入の全面的停止状況、それに伴う食料不足が深刻化します」
小宮は、興奮と恐怖とで、身体が震えた。
「百六十日目です」
沙和子が再び予測を進めた。
小宮は、目を閉じ、耳をふさぎたかった。
「百七十日目」
沙和子の全く変わらぬ声が、ついに「二百日目」を告げた。
左の表の欄は全部埋った。GNPは23。産業別欄に一桁のものがいくつもあった。
右側の図は、もはや日本列島の形を保っていなかった。各府県の生産を示す白い四角形は斑点のようにばらまかれ、赤い点ばかりが目立った。その下にはもっと恐しい数字があった。死亡者数三百万人。
「二百日間に、三百万人の生命と、全国民財産の七割が失われるでしょう」
沙和子の低い声が会議室を振わせるほどによく聞こえた。
小宮の横で、大河原鷹司がうめいた。
「太平洋戦争三年九ヵ月と同じ被害だ……」