翌十五日の夜遅く、「第二次石油消費節減実施要綱」の通産省原案が、関係各省庁に提示された。
通産省原案は半紙三十枚ほどもある長文かつ精緻なものだった。これが閣議決定後わずか三十数時間で、エネルギー庁内部と通産省の関係部局や大臣官房との協議も経て完成したのは、寺木石油第一課長を中心に小宮幸治や安永博らが、二週間ほど前から、雑賀正一や鬼登沙和子の作った私案をもとに検討を重ねてきたからであった。
通産省案には、まず石油消費節減の内容として次のような項目が並んだ。
(1)工業用石油・電力の節減──石油化学、鉄鋼、金属精錬など、石油電力多消費型産業は四〇%、一般産業は三〇%、生活必需品・食料品関係は二〇%、それぞれ石油・電力の消費節減を行う
(2)自動車燃料の節減──(イ)一般乗用車(マイカー)は緊急の場合を除き、使用禁止する
(ロ)商店等の商品運搬用、医師往診用等の「生活関連業務用車」並びに企業等の自家用車は、一日八リットルを平均とし、地域性を勘案した規準により燃料を配給する
(ハ)タクシー・ハイヤーは、営業台数の三〇%を削減し、残りの台数に限り平常の二〇%燃料を節減する
(ニ)トラック等、営業用貨物自動車は、平常の二〇%燃料を節減する
(3)その他の運輸燃料の節減──(イ)船舶用燃料は原則として三〇%節減する
(ロ)国内・国際航空便を五〇%削減する
(ハ)観光バスは七〇%運休とする
(ニ)一般路線バス・鉄道用燃料・電力は従来通りの範囲内で自主的節約に努める
(4)建設事業等の燃料削減──建設用車両機械等の燃料は、災害復旧工事用のものを除き、六〇%削減する
(5)農林・漁業用燃料・電力の節減──(イ)温室農業用の燃料・電力は三〇%削減する
(ロ)漁船用燃料は前年同期比二〇%減の配給とする
(6)商業用石油・電力の削減──(イ)百貨店、ホテル、事務所等の暖房用燃料は、前年同期の三〇%減、使用電力は二〇%減とする
(ロ)一般商店・パチンコ店等の営業時間を原則として午後八時まで、飲食店、バー・キャバレー、マージャン屋、ボーリング場等のそれは午後十時までとする
(7)その他──(イ)テレビ放映時間を一日八時間以内とする
(ロ)新聞・雑誌の減頁、折込広告の自粛、包装の簡素化を促進する
(ハ)学校・病院・老人ホーム等各種厚生施設の暖房燃料・電力は前年比一五%減とする
(ニ)一般家庭の燃料・電力消費の節約を促すため、広報活動を強化する
以上に続いて、通産省案は、それぞれの字句内容を詳しく解説し、定義づけを行ったあと、さらにこれらによって生じるとみられる影響を緩和するための対策措置を、参考資料として並べていた。
たとえば、原材料不足を考慮して、中小・零細企業に対する救済交付金や緊急融資、あるいはタクシー・ハイヤーの減車、建設工事の中止・繰り延べによって生じる失業手当の拡大、さらに特定の大工場が休業した場合に生じる周辺地域の下請企業や商店に対する救済措置などである。変わったアイデアとして、石油需要の一般的抑制と膨大な救済資金の補填のために、全石油製品に対して高率の臨時課税を提唱していた。これは、鬼登沙和子が熱心に主張した点であった。
これらの対策はもちろん、エネルギー庁の所管事項ではなかったが、寺木は各省庁への�ツケ�として、これを参考資料の形で添付させた。彼は、影響を緩和する対策がうまくいかなければ、石油消費節減自体も成功しない、と考えていたからだ。
資料を一見した他局の幹部の中には、通産省が所管外のことにまで言及しているのを、越権だと忠告する者もいたが、十分な計算に基づいた資料の有用性だけは誰もが高く評価した。しかし、だからといって、この案が好評だったわけではなく、通産省原案には各省庁から猛烈な異論が出た。
農林省は、食料確保の上からも原材料の腐敗の点からも食品加工業の二〇%燃料・電力節減は不可能だし、温室農業は一度冷えると作物全部がダメになるから、燃料の三〇%削減は認め難い、と反対した。建設省は、建設業だけが六〇%もの削減を受けるのは不当だといい、厚生省は病院の暖房や医師の往診用自動車は一切節減対象から除外すべきだ、と主張した。文部省も、学校の暖房や電力使用は強制的節減によらず自主節約に限るべきだ、と強硬だった。通産省内部からも、石油化学や金属精錬などの装置産業の原燃料石油を四〇%も削ると、爆発、装置破損の恐れがある、せいぜい三〇%が限度だ、という声が出た。運輸省などは、マイカーの原則使用禁止は地方交通の破壊になるとか、トラック・船舶用燃料の大幅カットは国民生活必需物資の輸送に支障をきたすとか、離島用の船舶・航空便は例外扱いにすべきだとか、多数の修正意見を出してきた。
エネルギー庁も、こうした修正要求や反対の出ることは十分予想していた。通産省原案は、雑賀正一らの私案よりかなり緩和されていたが、それでもこれによって三三%ぐらいの節減になるはずだった。エネルギー庁は各省庁との個別折衝で、三、四%分の緩和修正を行う予定だったのだ。
しかし事態は予想外の方向に進んだ。翌十六日の新聞に、どういうルートで流れたのか、この通産省原案が詳細に報じられてしまったのである。
通産省には、国会議員、地方自治体、各種団体、産業界、そして一般市民からの抗議が殺到した。霞が関にいくつかの抗議デモと陳情団が現れた。その数は翌十七日からは驚くべき勢いで増え、官庁街を包み込んだ。
中小企業の原料や燃料を確保しろという中小・零細企業の団体、牛乳を捨てさせるなと叫ぶ牧畜業者の集団、大漁旗を押し立てた漁民団、タクシー減車に反対する運転手の行列、仕事を奪うなと怒り狂う建設労働者の大群、家庭用灯油を絶やすなという主婦団体、子供を守れと声を張りあげる教員と父兄の団体、労働組合の組織したインフレ反対・失業反対の大集団、老人ホームの職員たち、バー・キャバレーのホステスたち、そしてデモ学生……。
テレビ放映時間の短縮による失業をおそれるタレントたちや、初場所開催を危ぶむ大相撲の巨人たち、動物園や植物園の職員、サーカスや競艇団体などの代表も押しかけて来た。
だがもっと効果的な方法をとる連中も多かった。医師会は、自動車燃料と診察室用暖房用燃料の特別配給を求めて何十人かの国会議員を動員したし、農業組合は温室用燃料や出荷トラック燃料のために米価決定を上回る熱意で農林委員会の議員たちに働きかけた。旅館組合、建設業団体連合会、繊維協会などは、関係議員に圧力をかけた。なかでも猛烈な運動を展開したのは、地域別の連合勢力であった。
農山市町村は、過疎地帯ではマイカーが不可欠だと叫んで、全国的な団結を強め、離島の市町村は船便・航空便の確保に奔走した。東北・北海道などの寒冷地が暖房用灯油の優先割当を要求すれば、九州・沖縄などの温暖地の方は、炊飯用など節約不可能な消費が多いからと、前年並みの石油供給を主張した。みな、この機会に自分たちの地域を少しでも有利にしておかねばならない、と焦っていたのだ。
これは当然、国会議員をも巻き込んだ。東北地方議員懇談会とか、九州地方議員協議会とかいった地域別のもの、山村議員連盟とか離島振興議員会とか大都市議員連絡会とかいった地域特性別のもの、また農林議員連盟とか観光議員協議会とかいった類の地域産業別のものなどの集まりが、頻繁に開かれた。与野党合同の地域別の議員会も出来た。一つの地方がそれをやると、他の地方も対抗して同じことをやった。このためわずか二日ほどの間に、日本の政治は地域別に再編成された様相を呈してしまった。閣僚といえども、例外ではありえなかった。ある閣僚は、自分の選挙区が不当な扱いを受けるようなら、第二次節減に閣議で反対する、と宣言した。日本の国会議員が、各地域の代表者でもあるという性格から見て、これは当然のことというべきだが、それが大きな重圧を石油行政に加えた。
新聞やテレビは、連日、エネルギー庁案の修正を無責任に予測した情報を流した。それは、本来ならこの時期に行われる予算編成作業における復活要求の報道と似ていたが、それが一段とデモや陳情や政治圧力を拡大させた。石油の割り当ては、予算よりはるかに直接的に企業の経営や人びとの生活に結びついているだけに、一つの要求が認められそうだといううわさが、他のグループの不安と闘志を大いにかき立てたからである。
通産省原案は多くの修正を加えられ、石油消費の節減率は後退していった。
食料品加工業などの石油・電力節減率は二〇%から一〇%へ変えられ、商店・医師などの「生活関連業務用自家用車」の燃料配給は、地域差をつけることを条件として、全国平均一日十リットルに引き上げられた。温室農業用や漁船用燃料の削減も一〇%になった。学校、病院、厚生施設などの暖房用燃料や電力使用は、当面自粛節減に限ることになり、テレビ放送も一日十時間まで認められた。そしてついには、マイカーについても、地域の交通条件を勘案して、全国平均で一日四リットルの配給を行う、という大きな修正が加えられた。
字句・文言の解釈上の緩和もあった。たとえば、石油多消費型産業から、洗剤や一部の合成繊維製造業が除外され、助産婦も医師同様に自動車燃料の特別割当対象に加えられた。
半面マスコミは、政府・地方行政機関の石油消費が無制限になっているのはおかしい、と指摘した。エネルギー庁は、行政機関は自主的に節減するから、とくに消費削減率を決める必要はない、と考えていたのだが、一部の学者や野党議員たちは、石油消費見通しの数表の中に、政府・地方行政機関の消費量として前年同期並みの数字が入っているのを発見して、怒りだした。
エネルギー庁は、率先垂範の意味をこめて、十二月十七日から庁舎の暖房を午前中三時間に限るとともに、共用の二台を残して公用車の使用を中止したり、照明用灯火の厳重な節約をやったりした。翌十八日の閣議では全官庁がこれに倣うことが決定され、大臣たちも自発的に公用車による送迎を辞退する申し合わせを行った。総理大臣もそれを希望したが、さすがに警備上の理由で認められなかった。
しかし、大臣たちが地下鉄で通ったり、通産省などの中央官庁が暖房を制限したりしても、それは国民に対するジェスチャー以上のものではない。これによって節約できる油の量は、全需要の一万分の一にも満たない。マスコミや野党議員が問題にしたのは、そんな事務行政機関ではなく、もっと大口の石油消費機関、つまり警察、消防、そしてとくに自衛隊であった。
エネルギー庁は急遽、これら機関の実態調査を行い、そして驚いた。警察も消防も、石油燃料の備蓄をほとんど持っていなかった。各府県の警察本部や大都市の消防署でも、一週間分の自動車燃料を備えているところは最高の方で、いま自動車に入っているだけという、危っかしいところさえ少なくなかったのだ。密かに期待していた自衛隊も、各駐屯地に通常の使用状況で約一ヵ月分程度の燃料を持っているに過ぎなかった。それは、本格的な作戦行動では三日ともたない量である。かつて日本軍部は、ルーズベルト大統領の対日石油輸出禁止に驚き、�座して死を待つよりは�と、対米開戦に踏み切ったといわれるが、あの昭和十六年夏の段階でも海軍は、徳山・四日市の燃料廠に四百八十万キロリットル、当時の使用量で一年分の石油燃料を持っていたのである。
結局、「第二次石油消費節減実施要綱」の成案では、全国の警察用は三割、消防は二割、前年同期より削減することになり、自衛隊は、当分の間購入せず、と決められた。警察も消防も、また防衛庁もこれには大した不満を述べなかったし、エネルギー庁もさしたる不安は感じなかった。このことに強い反対と失望を表明したのは、ただ一人、鬼登沙和子だけだった。