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その夜、電話が鳴った。
かけてきたのは、新庄貴明だった。
「実はあまり良くない知らせなのですが……」
新庄の声は心なしか沈んでいた。
「昼間話した建設会社の就職のことなのですが、残念ながら、既に他の人に決まってしまったそうです」
「そうですか……」
「あ、でも心配しないでください。すぐに別口を当たってみるつもりですから」
「あの、新庄さん」
日登美は新庄の声を遮るように言った。今自分が思い悩んでいることを新庄に打ち明けて、相談してみようと思いたったのだ。新庄なら適切なアドバイスをしてくれそうな気がした。
「実は……」
日登美は昼間あったことを手短かに新庄に打ち明けた。
「……それで、まだ決断がつかないというわけですか」
新庄は、日登美の話を聞き終わると、そう言った。
「ええ。なにせ突然のことだったので、まだ頭の整理がつかなくて……」
「その神という人の話は信用できそうなのですか。あなたのお母さんのお身内というのに間違いはないのですね?」
新庄は念を押すように尋ねた。
「ええ、それは間違いないと思います。母の若い頃の写真を持っていましたし、神さん自身がどことなく母に似ていましたから……」
「そうですか。だとしたら、迷う事は何もないではありませんか」
新庄は快活な声でそう言った。
「え? でも……」
「その日の本村という所へ帰るべきです。この先、幼い春菜ちゃんを抱えて、身内の全くいない東京で暮らすよりも、血のつながったお身内のいる田舎で暮らした方が何かと心強いのではありませんか?」
「それはそうなんですが……」
日登美は口ごもった。
「それに、その村ではあなたを必要としている人たちがいるというのでしょう?」
「ええ。神さんの話では、神家の人だけでなく村中の人がわたしの帰りを待っていると……」
「それならば帰るべきです。人は自分を必要としてくれる人たちの中で暮らすのが一番幸せだと思いますよ……」
そう言われると、日登美には返す言葉がなかった。それは新庄の言う通りだった。今、この大東京で日登美を必要としている人が一体何人いるだろうか?
このまま、新庄の世話でどこかに就職できたとしても、それは日登美でなくても勤まる職種にすぎないだろう……。
「ただ、このマンションも引っ越してきたばかりですし……」
「そんなことなら気にしなくてもいいですよ。すぐにでもあちらにたたれたいというのであれば、あとのことは私がすべて処理します」
新庄は即座にそう言った。
「とにかく一度帰ってみたらいかがですか? しばらくあちらで暮らしてみて、やはり都会の方がいいと思ったら、またこちらに戻って来れば良いではないですか。そのときには、私でよければいつでもお力になりますから」
「…………」
電話を切る頃には、それまでぐらついていた日登美の気持ちはかなり固まりかけていた。新庄の力強い助言に勇気づけられたということもあるが、もしかすると、日登美の無意識の中ではすでに答えを出していたのかもしれない。
母が生まれたという村を一目見てみたかった。それに、実の父親のこともあった。日の本村に行けば、ひょっとしたら、実の父親に会えるかもしれない。そんな思いもあった。
伯母のタカ子には、「たとえ血はつながっていなくても、父親は倉橋徹三だけだ」などと啖呵《たんか》を切ったものの、その気持ちに今も変わりはないとはいえ、実の父親に対する関心や思慕の念のようなものが全くないというわけではない。それどころか、あれ以来、日登美の心の中では、まだ見ぬ実父の存在が次第に膨らんでいたのだ。
日の本村へ行こう……。
一晩おいて、もしこの決心が変わらなかったら、神聖二に連絡を取ろう。
その夜、日登美はそう心に決めて、ようやく眠りについた……。