「……天照大神が本来は男神であることを証明する記述は、実は、よく読めば、古事記や日本書紀の中にもちらちらと現れているのですよ」
聖二はなおも続けた。
「たとえば、天照大神の弟神とされる須佐之男命《すさのおのみこと》が母神の住む根の国に旅立つ前に、いとまごいをするために天照大神に会いにきたとき、日ごろから弟神の乱暴な性格を知っていた天照大神は、須佐之男が攻めてきたと勘違いして戦おうとする場面があります。ここで、天照大神は『髪を解いてみずらに結い、背には矢を千本もいれた武具を背負って、足を踏み鳴らし、雄叫《おたけ》びを上げて、須佐之男命を迎えた』というような描写がしてありますが、これなどは、まさに男の姿そのままです。『髪をみずらに結う』というのは男の髪形なのです。戦いを予感して、勇ましく男装されたのだというように解釈されていますが、もともとは、男神だった天照大神の姿をうっかりそのまま残してしまった箇所のようにも思われます。
それに、日本書紀の中には、やはり須佐之男命とのからみでこんな場面もあります。天照大神が機織《はたお》り場で神御衣《かむみそ》を織っていたときに、その天井を破って、須佐之男命が逆はぎにした馬の死体をほうり込んだというのです。神聖な機織り場を動物の不浄の血で汚したことを天照大神は怒って、この後、天の岩戸に閉じこもってしまうのですが、これもおかしいのですよ。
機織り場で神に着せるための衣を織るというのは、いわば神に仕える巫女《みこ》の役目なのです。最高神であるはずの天照大神が神御衣を織っていたということは、まるで天照大神の上にさらに別の神がいたように見えるではありませんか。
さすがにこの矛盾に気づいたのか、機織り場にいたのは、天照大神の妹であったとしたり、一機織女であったとする書もありますが、これなども、天照大神が本来は男神で、その神に着せるための衣を神妻たる日女《ひるめ》が織っていたとすべきところを、その日女を天照大神ということにしてしまったために生じた矛盾ではないかとも考えられるのです。
それに、天照大神が本来は男神で、しかも蛇体ではないかという疑惑は、かなり昔から、当の伊勢神宮関係者の間でも囁《ささや》かれ続けてきたことなんです」
「じゃたい?」
日登美は自分の耳を疑った。
「蛇ですよ。天照大神の本体は男の蛇ではないかというのです。それが、こともあろうに伊勢神宮に奉職する神官たちの間から出てきたというのです。『通海参詣記《つうかいさんけいき》』という書物によると、鎌倉《かまくら》時代の高僧、通海上人が伊勢に参詣したおり、伊勢神宮の関係者から妙な質問を受けたというのです。それは、『天照大神は男の蛇ではないか。その証拠に、斎宮の寝所には毎朝蛇の鱗《うろこ》が落ちている……』というものだったというのです。
もし、天照大神が女神だとすれば、斎宮の寝所に毎夜通うというのもおかしな話です。寝所に通うというのは、男神が神妻としての巫女《みこ》に会いに行くということですから。しかも、その寝所には蛇の鱗が落ちているというのです。
ただ、現実には、蛇は怪我《けが》か病気でもしない限り、移動するだけで鱗を落とすことはないそうですから、こんな話は根も葉もないデタラメだろうと言う人もいますが、確かに、この話そのものはあまり信用できないにしても、天照大神の本体が蛇であったということはデタラメでも何でもないことなんです。なぜなら、物部が祀《まつ》っていた日神とはまさに蛇体の神だったのですから……」