「ヤマタノオロチって、あの出雲《いずも》神話の……?」
日登美は驚いたように言った。
「そうです。あのヤマタノオロチです」
ヤマタノオロチの話ならむろん知っている。小さい頃、子供向けに書かれた絵本か何かで読んだ記憶があった。
確かこんな話だった。
天界を追われた須佐之男命が出雲の国まで来ると、老夫婦が泣いている。理由を聞くと、毎年やってくる頭が八つに尾が八つもある大蛇《だいじや》の化け物に、かわいい娘が食べられてしまうのだという。娘は八人いたのだが、そのうち七人まで食べられてしまった。一人だけ残った娘もこのままでは大蛇に食べられてしまう。そう言って泣くのである。
それを聞いた須佐之男命は、そのヤマタノオロチを退治してやろうと老夫婦に約束する。そして、八つの酒壷《さかつぼ》を用意し、酒好きのヤマタノオロチが酒を飲み干して寝入ったすきに、その身体を剣でずたずたにして切り殺してしまう。
すると、オロチの尾の部分から立派な神剣が出てきた。天叢雲《あめのむらくも》の剣。後の草薙《くさなぎ》の剣である。須佐之男命は、それを、高天《たかま》が原《はら》に住む姉神の天照大神に献上して、自らは、助けた姫と結婚するという話である。
「……あのヤマタノオロチこそ、神の衣を剥ぎ取られ、魔物にまで貶《おとし》められた古代の太陽神の成れの果てなのです」
聖二は言った。
「日本書紀の一書には、ヤマタノオロチが怪物でも魔物でもなく、神であったことを表している描写があります。それは、須佐之男命がヤマタノオロチに八つの箱船に入った酒を飲ませるとき、『汝、其、貴き神なり。饗《みあえ》せざらんや』、すなわち、『あなたは貴い神なのでおもてなしをいたしましょう』と言っているのです。
それに、出雲地方では、古くから蛇を穀物神として尊び、祀る風習があります。神社のご神木に藁《わら》を蛇に見立てて巻き付け、これに供物や酒を捧《ささ》げるのです。これは現代に至っても続けられているのです。
蛇を神として尊ぶ風習のある土地で、蛇を殺す話が英雄|譚《たん》として言い伝えられるというのはなんとも奇妙な話です。しかも、出雲国風土記には、こんな大蛇の話はまったく出てこないのです。
おそらく、あのヤマタノオロチ伝説は、本来その地に根付いていた出雲伝承とはかなり違うのではないかと思われるのですよ。藤原氏によって日本神話に組み込まれるときに、かなり話が歪曲《わいきよく》されてしまったのではないかとも考えられるのです。
ヤマタノオロチとは、出雲の地で祀られていた日神だったのです。ヤマタノオロチを表現する言葉に、『赤かがちのような目』、いわば『真っ赤なほうずきのような目』というのが出てきますが、これなども明らかに天空に光り輝く赤い太陽の形を連想させます。
ヤマタノオロチの姿形というのは、記紀には、『その丈は、谷八つを越えるほど巨大で、苔《こけ》むした背中には檜《ひのき》や杉を生やし、腹は血でただれ、目は赤かがちのように輝いていた』と書かれているのですが、これは、檜や杉の生えた山脈の上に昇る太陽の姿、まさに日祀《ひまつ》りの光景そのものを描写したもののように思われます。
ヤマタノオロチに食べられてしまったという娘たちも、日神に仕えた日女《ひるめ》であったと推測されます。須佐之男命が助けたという稲田姫《いなだひめ》は、もともとは日神に仕える巫女《みこ》だったのでしょう。
それに、そもそも、このヤマタノオロチと須佐之男命の関係ですが、一般に知られた出雲神話では、須佐之男命はヤマタノオロチを殺した英雄ということになっていますが、果たしてそうだったのでしょうか。
実は、須佐之男命自身も蛇体の神と言われているのです。祇園《ぎおん》社の別名で有名な京都の八坂《やさか》神社では、須佐之男命は、仏教の牛頭天王《ごずてんのう》と習合されて祀られているのですが、この牛頭天王というのは、頭は牛で、その背中には黒い鱗《うろこ》が生えた蛇体と言われています。いわば竜神なのです。しかも、八坂神社の八坂という言葉には、八尺の意があり、長大な蛇を表しているというのです。
そう考えると、須佐之男命はヤマタノオロチの敵対者というよりも、むしろ、同族の者、いや、日神たる大蛇神を祀る神官だったのではないかと思われるのです。
というのも、須佐之男命がヤマタノオロチに対して行った行為、例えば酒壷《さかつぼ》を用意したり、その酒をのんで寝入ったオロチを剣でずたずたに切り刻んだという行為はすべて、日神を祀る神官としての儀礼的行為とも取れるからです。
オロチの身体をずたずたに切り刻むというのは、一見、残酷な殺戮《さつりく》的行為のように見えますが、実は、これは古い蛇を殺すことで新しい蛇を生み出す再生の儀式なのです。
もともと、蛇という生き物が神道において神聖視されたのは、脱皮によって生き続けていく不老不死的なイメージが、古代の人々を畏怖《いふ》させたからでしょう。ですから、古い蛇を殺すという行為はそのまま、新しい蛇を生み出すという行為にもつながるのです。けっして、退治する目的でずたずたに切り刻んだのではないのです。それはちょうど、春に新しい枝を芽生えさせるために、冬に古くなった枝を切り払う、あの剪定《せんてい》にも似た儀式だったのですよ。
それが、蛇への信仰が薄れていく過程で全く誤解されてしまったか、あるいは、蛇信仰が根幹にある神道を日本から一掃したいと願っていた人々の意図的な作為によって、全く逆の意味にすりかえられてしまったのです。
そして、さらに言えば、須佐之男命というのは、古来蛇体の日神を祀っていた物部氏そのものでもあったとも考えられるのです……」