日女の子……。
日登美はその言葉を頭の中で反芻《はんすう》した。
「……わたしの本当の母親は、夕希子と言って、父の妹にあたる人なの。もう亡くなったのだけれど……」
聖二のすぐ下の三人の弟たち、すなわち雅彦、武彦、光彦も、この夕希子という女性が生んだ子供なのだと、耀子は言った。
そういえば、母の緋佐子がこの村を出奔したあと、「父のもう一人の妹」が日女だったと聖二が言っていたことを日登美は思い出した。
「ということは、その夕希子さんという方は、わたしの母の……」
日登美がそう言いかけると、耀子はにっこり笑って、
「姉にあたるのよ。だから、わたしたちは、本当に従姉妹《いとこ》同士になるわけ……」
「それじゃ、あの、郁馬ちゃんや翔太郎ちゃんの実の母親というのは……?」
日登美ははっとして言った。
その夕希子という人が既に亡くなっていたとすれば、あと日女といえるのは……。
「わたしよ」
耀子は悪びれる風もなく、さらりとした口調でそう言った。
「翔太郎も郁馬もわたしが生んだのよ。本当は弟ではないわ」
ああ、それで……。
日登美は、さきほどちらと垣間《かいま》見た、幼い子供たちを見る耀子の優しいまなざしを思い出した。
あれは、姉の目ではなく、母の目だったのか。
耀子はさらに、二歳になる末っ子も、翔太郎の上にいる七歳の男の子と十二歳の女の子も、自分の子供だと打ち明けた。
つまり、彼女は、子供を一人も生んだことがないどころか、本当は、五人もの子供の母親だったということになる。
「で、でも、耀子さんは、その、まだ独身なのですよね……?」
日登美は、耀子のプライドを傷つけないように、慎重に言葉を選びながら、おそるおそる尋ねた。
「まだ独身ではなくて一生独身でいなければならないのよ、日女は」
耀子は笑いながらそんな答え方をした。
「でも、それは表向きのこと。ふつう田舎では、女が未婚のまま子供を生めば、何かと噂《うわさ》されたり、後ろ指をさされたりするでしょうけれど、ここではそんなことはないわ。というか、日女に限ってはそんなことはないのよ。日女が未婚のまま何人子供を生もうと、村人がそれをとやかく言うことは決してないわ。それどころか、日女が無事出産したと聞けば、殊にそれが女の子だと分かれば、村中でお赤飯を炊いて祝うほどなのよ……」
「…………」
日登美はさすがに呆《あき》れて二の句がつげなかった。
聖二から耳に章魚《たこ》ができるほど、「この村では日女様は特別な存在」とは聞かされていたが、まさか、ここまで「特別」扱いされているとは思っていなかったからだ。
「日女が子供を生むことは、村の人たちにとっては非難すべきことではなくて、とても望ましいことなのよ。そうしなければ、日女の血統は絶えてしまうもの。日女の血統が絶えれば、大神を祀《まつ》る神妻がいなくなってしまう。そんなことになれば、祟《たた》り神としての大神の怒りが村人たちに降りかかる。昔から村の人たちはそう考えているのよ。特に年よりたちはね……。
ただ、生まれてきた子供を私生児にするわけにはいかないわ。だから、日女が出産すると、その子供は、若日女に選ばれた女児以外は、みな、日の本神社の宮司夫妻の子供として籍に入れられるのよ……」
さらに耀子が言うには、その籍に入れられた「日女の子」が、女の子ならば次代の日女に、男の子ならば、宮司をはじめとする神職につくことができるのだという。
「だから、養父が亡くなれば、次の宮司は兄ではなくて聖二が継ぐことに決まっているのよ」
「それじゃ、聖二さんが宮司を継ぐのは、お兄さんが神職を嫌ったからではないんですか……?」
日登美が思わずそう聞くと、耀子は不思議そうな顔をした。
「誰がそんなことを言ったの?」
「聖二さんが……」
「聖二がそんなことを言ったの?」
耀子はそう聞き返した。
「本当は田舎の神主になんかなりたくはなかったけれど仕方がなかったって……」
日登美が言うと、耀子はなぜか考えこむような顔になって庭の方を見ていた。そして、独り言のようにぽつんと呟《つぶや》いた。
「聖二はあなたに何も話してはないのね。肝心なことは何も……」
「え」
日登美が聞き返すと、耀子は物思いからはっと我にかえったような顔になり、
「いえ、何でもないわ」と、やや取り繕ったような笑顔を見せた。
「とにかく、この村では、それが男であれ女であれ、日女から生まれた者だけが神職につけるのよ。信江さんは、よそからお嫁に来た人で日女ではないわ。だから、日女ではない女から生まれた兄は、たとえ宮司の実の子供であっても、神職にはつけないのよ」
耀子はきっぱりとした口調で言った。その口調と毅然《きぜん》としたまなざしには、日女としての誇りのようなものが感じられた。
「ということは、聖二さんも日女の子供ということですよね……?」
日登美は尋ねた。耀子の話を聞きながら奇妙なことに気が付いていた。
「そうよ」
耀子は頷《うなず》いた。
「聖二さんも……夕希子さんの子供なんですか」
日登美はさらに探りをいれるように、おそるおそるそう尋ねた。
「……違うわ」
耀子はしばらく黙ったあとで、そう答えた。
「え? で、でも……」
日登美の頭は混乱していた。
「夕希子さんとわたしの母以外にも日女がいたのですか?」
さらに聞く。なぜか胸の動悸《どうき》が激しくなっていた。前に聖二から聞いた話では、この二人以外に日女はいなかったような口ぶりだったが……。
「いいえ……」
耀子はこれも否定した。
「そ、それじゃ……聖二さんは……」
日登美は喘《あえ》ぐように口を開いた。
「もうお分りでしょう?」
謎《なぞ》めいた微笑をうかべたまま、耀子は言った。
「緋佐子様が生んだもう一人の子供というのは聖二のことなのよ」