「せ……聖二さんはわたしの兄だったんですか」
日登美は唾《つば》を飲み込んでから、ようやくそう言った。
耀子は頷く。
聖二は従兄《いとこ》ではなく兄だったのか。
だから、あのとき……。
聖二にはじめて会ったときに感じた、あの血の共鳴ともいうべき奇妙な感覚は、あれは同じ母親から生まれた兄だったからこそ感じ得たものだったに違いない。
「でも、聖二さんはそんなことは一言も……。どうして兄なら兄と最初から打ち明けてくれなかったのでしょう?」
そう尋ねてみても、耀子は、
「さあ。それはわたしにも解らないわ」と首をかしげるだけだった。
「いきなりそんなことを打ち明けて、何も知らないあなたを混乱させたくなかったのかもしれないし、あるいは……」
耀子は何か言いかけたが、すぐに思い直したように、
「……とにかく思慮深い人だから、彼には彼の深い考えがあってのことでしょう」と呟くように言っただけだった。
「もしかしたら」
日登美はあることを思い出して言った。
「大日女《おおひるめ》様がおっしゃっていた、大神の印を受けた子というのは……?」
「聖二さんのことよ」
耀子は当然のごとくそう言った。
「そのお印ゆえに、彼は生まれたときから次代の宮司になるよう定められていたのよ。たとえ長兄が日女の子だったとしても、やはり宮司を継ぐのは聖二だったでしょうね」
「そのお印というのは一体……?」
日登美が聞くと、耀子は逆に聞き返した。
「大神が蛇神であるということはご存じ?」
「ええ……。そのことなら聖二さんから聞きました」
「そう。それならば、聖二に直接見せて貰《もら》えばいいわ。あなたになら見せてくれるでしょう。あれを見れば、なぜ、それが大神のお印なのか、すぐに解ると思うわ……」
耀子は相変わらず謎《なぞ》めいた微笑を浮かべていた。
「神家には、代々、聖二のようなお印をもった子が生まれるという言い伝えがあるのよ。大神がとりわけご寵愛《ちようあい》なさった日女には、その子に我が子としてのお印をお与えになるという……。やはり、百数年も前に、日の本神社の宮司になった人には、聖二と同じお印が右|脇腹《わきばら》にあったという話だわ。
この村では、日女が生んだ子供は、ふつうは男よりも女の方が尊重されるの。兄妹でも、妹の方が大事にされるということなのよ。ただ、一つだけ例外があるわ……」
耀子は言った。
その例外とは、日女から生まれた男児に、大神のお印があった場合である。その印をもって生まれてきた男児は、女児と同格の、いや、それ以上の扱いを受けるのだという。
「あなたもお気づきかと思うけれど、今、この家で一番力をもっているのは、父ではなくて聖二なのよ。彼が学業を終えて帰ってきたときから、実質的には、聖二がここの家長であり、日の本神社の宮司なのよ。そのことは、誰も口に出さなくても、みな暗黙のうちに了解していることだわ。郁馬のような幼い子供でさえ……」
そう言った耀子の顔がかすかに歪《ゆが》んだ。
「郁馬ちゃんといえば、昼間、春菜とおもちゃのことで喧嘩《けんか》になったんです。そのとき、聖二さんが……」
日登美がそう言いかけると、耀子は、そのことなら知っているというように頷き、
「ああいうことは珍しくないのよ、この家では。この前も、翔太郎たちが行ってはいけないといわれている蛇《じや》ノ口に遊びに行った事が知れたときも……。とにかく、子供たちは、父よりも聖二の方を怖がっているわ。といっても、ふだんは幼い子たちの面倒をよく見る優しい兄でもあるから、同時に慕われてもいるのだけれど……」
耀子はやや複雑な表情でそう付け加えた。
言われてみれば、あのときの、郁馬に対する聖二の態度は、兄というよりも父、いや、まさに家長のそれに近いものがあったことに日登美は今さらながらに気づいた。
「聖二を恐れているのは子供たちだけではないわ。ここでは誰も彼の言うことには逆らえないのよ。大日女様のお言葉に逆らえないように……」
耀子はため息をもらすように言った。
「その大日女様と対等の口をきけるのも聖二だけだわ。大日女様も聖二のことをとても信頼していらっしゃる。ふつうなら宮司である父に相談すべきことでも、最近では聖二に相談なさっているようだし……。それは、たんにお印があるからというだけではなく、彼には父以上の器量があると大日女様が見抜いていらっしゃるからでしょうけれど……」
「そういえば……」
日登美は、ふと、大日女の住まいに聖二と共に挨拶《あいさつ》に行ったときのことを耀子に話した。
「……真帆様が?」
日登美の話を聞いていた耀子の顔色が突然変わった。ただでさえ青白い顔色が一層青ざめたように見えた。
ひどくショックを受けたような顔だった。
日登美にはさっぱり意味が解らなかった、澄子という若日女と聖二の密談めいた会話の意味するところを、耀子はすぐに理解したようだった。
「それは……一夜日女《ひとよひるめ》のことだわ」
耀子は日登美に言うというより、殆《ほとん》ど独り言のように呟いた。
「一夜日女?」
聞き馴《な》れない言葉にとまどい、日登美が聞き返しても、耀子は、「あ、いえ、何でもないのよ……」
と言うだけだった。
しかし、そのただごとではない顔色からすると、何か重大なことが起きたらしいと日登美は察した。
そのとき、廊下の方から足音がしたかと思うと、襖《ふすま》ごしに、
「お夕飯の支度ができましたので、お座敷の方においでください」
と、告げる信江の声がした。