「……鱗」
日登美は思わずつぶやいた。
それは、小さなひし形がびっしりと集まって、まさに蛇の鱗のように見えた。
聖二はいっとき裸の背中をさらしたあと、片袖を脱いでいた白衣に手を通し、素早く身じまいすると、日登美の方に向き直った。
普通なら、こんな気味の悪い痣が身体にあれば、それを後ろめたく思い、なるべく隠そうとするだろうが、彼にはそんな臆《おく》した気配は全くなかった。
それどころか、むしろ誇らしげにさえ見える。
「日女《ひるめ》の生む男児には、ごく稀《まれ》に、こんな痣をもつ子が生まれてくるそうです。それは脇腹《わきばら》に出たり、胸に出たりすることもあったと聞いています。
不思議なことに、けっして女児には出ないのです。蛇の鱗のように見えることから、蛇神である大神が我が子としてお認めになった印と言われています。そして、この印をもった子を生んだ日女も、大神のご寵愛《ちようあい》が特に深い証拠として、他の日女以上に貴ばれるのです。
僕たちの母……緋佐子様は、日女の中でもさらに特別な存在だったのです。大神にもっともご寵愛された日女だったのです。それなのに、母は……」
聖二の顔がふいに歪《ゆが》んだ。
日登美は、その冷静な顔にはじめて感情の動きを見たような気がした。
「こともあろうに、若日女に決まっていたあなたを連れて逃げるという二重の罪を犯した。大日女様もおっしゃったように、二重の意味で大神に背いたのです。僕には母の気持ちが全く理解できない。お印のある子を生むほど大神に愛されていながら、なぜ、その神を捨て、人間にすぎない男のもとに走ったのか……。愚かとしか言いようがない」
聖二は最後の言葉を吐き捨てるような調子で言った。その顔にも言葉遣いにも、明らかに感情が露《あら》わになっていた。
日登美は、一瞬、兄の目に憎悪を見たような気がした。
この人は母を憎んでいる……。
ふとそう思った。
しかし、この憎悪は、神職につく者としてよりも、もっと個人的なことに端を発しているような気がした。
思えば、緋佐子がこの村を出たとき、聖二はまだ一歳か二歳だったはずだ。一番母親の恋しい年頃だろう。物心がつくようになって、実母が妹だけを連れて出て行ったことを知ったときから、母に捨てられた子としての感情が聖二の中で育っていったとしても不思議はなかった。
神などというものを持ち出して大上段に構えてはいるが、聖二の緋佐子への気持ちには、もっと形而下《けいじか》的というか原始的なものが根底にあるのだと言うことに、日登美はなんとなく気が付いていた。
それは、つまるところ、母に捨てられた子の寂しさだろう。それがいつしか自分を捨てた母への憎悪という形に変形していったのだ。
むろん、聖二自身がそんなことを認めようはずもなかっただろうが。
「あなたの話がそれだけなら、今度はこちらの話を聞いて戴《いただ》きたいのですが」
聖二が痺《しび》れを切らしたように言った。
「……なんでしょう?」
「今度の大神祭のことなのですが、大変困ったことが生じたのです……」
聖二は苦りきった表情でそう言い出した。
「大神祭というのは、十一月にはいって太陽の力が弱まった頃、これを呪術《じゆじゆつ》によって回復するために行う冬の祭りなのです。これは、古くから物部がタマフリと称してやってきたことで、宮廷の鎮魂祭の元にもなった由緒ある祭りなのですが……」
古事記や日本書紀に出てくる、あの天の岩戸のくだりは、まさにこの鎮魂祭の儀式を描いたものだと聖二は言った。
須佐之男命の乱暴に怒って、天の岩戸に閉じこもってしまった天照大神とは、初冬を迎えて弱まった太陽の光を擬人化しているのだという。
岩戸の前で神懸かりして踊り狂うアメノウズメノミコトは、その太陽の力を回復するために一心に祈る日女の姿を模したものだというのである。
「毎年行われる例祭では、このアメノウズメノミコトの役を大日女様がおやりになるのです。ただ、七年に一度の大祭では、この神事にくわえて、さらにもう一つ、一夜日女《ひとよひるめ》の神事という大事な儀式があるのです……」