それは、子供どころか、大人でさえたじろがせるだけの迫力を持っていた。
これが天照大神……。
日登美は、まさに蛇に見入られた蛙かなにかのように、その像を見上げたまま、身動きできなくなっていた。
聖二から話には聞いていたとはいえ、日登美が今まで抱いていた、たおやかな女神としての天照大神のイメージとはあまりにも違うその姿に愕然《がくぜん》とした。
神一光の話では、像は、平安後期頃の作で、あいにく名は伝わっていないが、よほどの名工の手によるものなのだろうということだった。
「目が……ひとつしかないのは……?」
日登美は、唾《つば》を飲み込んでから、ようやく尋ねた。
「一眼は日神であることを表していると言われております」
住職はそう答えた。
ロウソクの炎のゆらめきが作る幻なのか、微動だにしないはずの像がわずかに動いたような錯覚を日登美はおぼえた。
「今にも動き出しそう……」
そう呟《つぶや》くと
「動くのです」
突然、住職が像を見上げたまま、ぽつりと言った。
「え?」
日登美はぎょっとしたように住職を見た。
「実は、当初は本堂に安置してあったそうなのですが、よなよな、大神がこのお姿で祭壇より滑り降り、あたりを徘徊《はいかい》するという噂《うわさ》がたちましてな……。
当時の住職やその家族が、夜中に、ずるずると重いものをひきずるような音を聞いたり、翌朝、境内の地面の上に、長いものが這《は》い回ったような跡がはっきりと残っているのを見たと……」
「…………」
「それで、女子供がこわがるので、新しくお堂を作って、こちらにお移し申し上げ、秘仏として封印したという次第で……。おそらく、大神は今もなお無くされた王剣を探して彷徨《さまよ》っておられるのです」
「王剣?」
「お像のお手をご覧ください。何かをお持ちになっていたように見えますでしょう?」
住職はそう言って、像の胸のあたりを指さした。そう言われてみれば、像は、両手の拳《こぶし》を胸のあたりで上下に組み合わせており、何かを捧《ささ》げ持っていたようにも見える。
「大神はお手に天叢雲《あめのむらくも》の剣を捧げ持っていたと言われているのです」
天叢雲の剣といえば、あの出雲神話の中で、須佐之男命が切り殺したヤマタノオロチの尾から取り出し、姉神の天照大神に捧げたといわれている剣で、後には草薙《くさなぎ》の剣とも呼ばれる神剣のことである。
「……あの剣はもともとは大神のものだったのです。なぜならば、出雲神話でヤマタノオロチと伝えられる大蛇こそ、大神の真のお姿なのでございますから。
大神のお顔がこのように凄《すさ》まじい憤怒の形相を浮かべておられるのは、覇王を示す王剣を奪っただけではなく、万物の上に君臨する輝かしい太陽神から神のころもをはぎとり、あのようなおぞましい魔物に貶《おとし》めて後々の世にまで伝えた者たちへの怒りが、今もなお鎮まることがないからなのです……」
住職は、いつか聖二が言っていたようなことを言った。
「大神は、その昔、まだ大和の三輪山にお住まいだった頃、武勇の誉れ高かった雄略《ゆうりやく》天皇でさえ震えあがらせたというほどのお方。本来ならば、こんなちっぽけな島国など、大神の威力で、いつでも暗黒にしてしまうこともできるのです。
しかしながら、千年以上もの間、この日の本の国が破壊と暗黒をかろうじて免れてきたのは、大神の子孫であるわたしどもが、こうしてこの村に大神の御霊を二重三重に封じこめ、日夜|祀《まつ》りあげ、お慰め申し上げてきたからなのでございますよ……」
そう言って、日の本神社の拝殿や鳥居のしめ縄を本末逆に張ることで、大神の御霊を神域内に封印し、さらにその上、村を取り囲むようにして東西南北に四本の石柱を立てて結界を作ることで、二重の封印を施してきたのだとも付け加えた。
そして、この石柱は、しめ縄同様、蛇を象徴するものでもあると……。
「……とはいえ、あの天叢雲の剣を、覇王の印である王剣をお手に取り戻さないかぎりは、大神の御霊が本当に鎮まることはありますまいが……」
神一光は、独り言のように呟いた。