翌日、自宅で執り行われたささやかな葬儀の列席者の中に、あの須田民雄の妻、加代子の姿もあった。
聞くところによると、須田の容体はだいぶ安定してきて、あとは完全看護の病院に任せておけばいいということらしかった。
葬儀が終わった後、日美香は、帰ろうとする須田加代子を引き留めて、「見てもらいたいものがある」と言って、加代子を母の寝室に案内した。
二十年前に出版されたということから考えて、八重の昔なじみの須田加代子ならば、あの本について何か知っているのではないかと思ったのである。
「昨日、遺影に使う写真を探していたときに、こんな本を見つけたのですが……」
日美香は加代子に例の本を見せた。
その本を見たとたん、加代子の顔にはっとしたような色が浮かんだ。その表情からすると、やはり、彼女はこの本について何か知っているようだった。
「口絵の女性がなんとなくわたしに似ているような気がして……」
日美香は加代子の顔色をそれとなく窺いながら言った。
昨日、あのあと、新田佑介にも本を見せたところ、佑介も、口絵の写真の女性は日美香に似ていると言った。日美香一人の思い込みではなかったのだ。
そして、日の本村の大神祭の記述やあとがきにざっと目を通したあと、佑介は、「ひょっとしたら、この写真の女性が倉橋日登美という人かもしれない」とも言った。
それは、口絵の写真のモデルになってくれた日の本神社の巫女に、著者が、お礼を兼ねて本を贈呈したという可能性は十分考えられるし、その巫女が「倉橋日登美」という名前ではなかったかという推理は、その名前からも導き出されるというのである。
「日登美」と「日美香」には二文字も共通点がある。顔が似ていて、名前も似ているとすれば、これは偶然の一致とはとても考えられない……と。
日美香も佑介と全く同じ考えだった。しかも、佑介には言わなかったが、あの痣の問題もある。
この巫女姿の女性と自分には、何か深いつながりがあるのではないか。そう思えてならなかった。
「写真の女性をご存じではありませんか……?」
日美香はさらにそう訊《たず》ねた。
すると、じっと本の口絵を見ていた加代子は、ようやく目をあげて、日美香の顔をまともに見た。その目には、何かを決心したような色が浮かんでいた。
「知っているわ」
加代子はきっぱりとした口調で答えた。
「この人は、二十年前、わたしや八重ちゃんが働いていた新宿のバーで、短い間だったけれど、やはりホステスとして働いていた人よ。そのときの名前は、橋本弘美と名乗っていたけれど……」
ホステス? この巫女らしき人が新宿でホステスをしていたというのか?
「本名は倉橋日登美というのでは?」
日美香がおそるおそる聞くと、加代子は頷いて、「たぶん……」と言った。
「この人は今どこに?」
そう聞くと、加代子はかすかに首を振った。「なくなったわ、二十年前に。その本は彼女の形見なのよ。八重ちゃんは弘美ちゃんと半年ほど同じアパートで同居生活していたから……」
「なくなったというのは、病気か何かで?」
日美香がさらに聞くと、加代子はまた首を振った。
「病気ではないわ。お産がもとでね……」
「お産?」
日美香は思わず聞き返した。そのとき、ある疑惑が日美香の頭をさっとかすめた。いや、それは、この口絵の写真を見たときから、まさかという形で日美香の頭の隅にすでに芽生えていたものだった。
「何時間にもわたるひどい難産だったのよ。逆子の上に赤ちゃんの首に臍《へそ》の緒《お》がからみついていたとかで……。それでも、赤ちゃんの方はなんとか無事に生まれたのだけれど、母体の方はもたなかった……」
日美香はそう言う加代子の顔を呆然《ぼうぜん》と見ていた。それは……。それは、八重から聞いていた話と全く同じではないか。母体の方は助からなかったという、たった一つのことを除いては。
「日美香さん。その写真の女性とあなたが似ているのは当然のことなのよ」
加代子は言った。
「だって、その人があなたの本当のお母さんなんだから……」