わたしの……本当の母?
日美香はその言葉をぼんやりと頭の中で繰り返した。
この写真の女性がわたしの本当の母……。
不思議に驚きはしなかった。やっぱりと言う気持ちの方が強かった。
加代子の話では、橋本弘美と名乗る若い女性が、加代子たちの働いていたバーに、ふらりと現れて、「雇ってほしい」と言ったのは、昭和五十三年の三月末のことだったという。
本人は二十六歳だと言っていたが、華奢《きやしや》で幾分小柄な身体つきのせいか、見た目には二十歳そこそこにしか見えなかった。しかも、今まで水商売などとは全く無縁の生活をしてきたのではないかと思われるほど、初々しい印象があったという。
着の身着のままで飛び込んできたという様子で、何やら訳ありげだったが、場末の三流店にはもったいないような美人だったことで、店のオーナーは二つ返事で雇い入れたらしい。
八重は、自分より一つ年下のこの謎《なぞ》めいた女性に、一緒に働くうちに、「放ってはおけない」という庇護《ひご》的な感情をもちはじめたらしく、一カ月もしないうちに、自分のアパートに弘美を呼んで同居するようになり、二人は姉妹のように暮らしていたという。
やがて、八重は、弘美が妊娠していることに気が付いた。どうやら、店に現れたとき、既に三、四カ月になっていたらしい。
その年の九月、弘美は女児を出産したが、そのときの難産がもとで亡くなった。
生前、弘美は自分の家族はすべて亡くなり、遠い親戚《しんせき》がいるだけの天涯孤独の身だと八重に話していた。
そこで、八重は、最初は、弘美の忘れ形見を施設に預けるか、あるいは、弘美の遠い親戚とやらを探し出して託すか、どちらかにしようと考えていたのだという。
そんな折り、弘美の遺品の中から、あの本を見つけた。二人の幼児の写った写真は、元から本の間に挟まっていたらしい。
口絵の写真と著者のサインから、八重も、橋本弘美と名乗っていた女性が、東京に来る前は長野県の日の本村で巫女《みこ》をしており、しかも、本名は倉橋日登美というのではないかと思い当たったのだという。
それを確かめるために、本の奥付に載っていた著者の連絡先を頼りに、真鍋伊知郎を直接訪ね、真鍋の口から自分の想像に間違いがなかったことを確認したのだという。
プロの作家が書いた著作物であれば、著者の住所などを奥付に載せるということはまずしないのだが、部数も僅《わず》かな自費出版本のせいか、真鍋の本の奥付には、著者の住所と電話番号が記されていたのである。
「……それで、八重ちゃんは、一度は、この日の本村というところへ行って、弘美ちゃんの親戚にあなたを預けることも考えたらしいのね……」
加代子は言った。
しかし、結局、八重はそれをしなかった。めんどうをみているうちに、赤ん坊に情が移ってしまい、手放したくなくなってしまったというのだ。
しかも、八重はそれまでに何度か中絶を経験しており、最後の中絶のとき、医者から、もう子供は望めないかもしれないと言われていたらしい。
そんなこともあってか、八重は、迷った末に、赤ん坊を自分で育てる決心をした。そして、実母の名前から二文字を取って、「日美香」と名付けると、自分の子として出生届を出したのだという。
その翌年、加代子は、板前をしていた今の夫と結婚して店をやめ、八重の方も、その数年後、相次いで祖父母が亡くなったということもあって、日美香を連れて郷里に帰り、それっきり、二人は会うことはなかった。
「……会ったのはあれ以来だけれど、電話は時々どちらからともなく掛け合っていたのよ。八重ちゃんの話題といったら、いつもあなたのことばかり。あなたのことが本当に自慢だったのね。日美香はわたしの勲章、わたしの宝物だと言っていたわ。あの日も、あなたが良家の息子さんにプロポーズされたと言って、それは喜んでいたわ。いつものように、あなたの赤ん坊の頃からの話になって、それでつい、時間を忘れてしまった……」
慌てて、タクシーを拾うという八重に、ちょうど体の空いていた加代子の夫が、自分の車で白金台まで送ってやろうという話になった。
須田民雄がスピードを出し過ぎていたというのも、無理な追い越しをしようとしたのも、ふだんは慎重すぎるくらい慎重な運転をする人だから、きっと八重にせかされてのことだったのだろうと加代子は言った。
「帰りぎわ、八重ちゃん、言ってたのよ。あの子に恥はかかせられない。今までずっと恥ばかりかかせてきたから、今度だけは絶対にそれはできないって……」