「それで、俺は村長の家まで行ってみた。だが、村長は二年前に亡くなっており、今は息子が村長になっているということだった。その息子の久信というのが出てきて、矢部には会わせられないというのだ。確かに、矢部は昔、罪を犯したが、その罪はもう償った。今は更生して真面目《まじめ》に慎ましく働いている。今さらマスコミにつっつき回されることは何もない。とっとと帰れ。てな調子で門前払いさ。
しかも、このあと、それまで愛想がよかった寺の住職も急によそよそしくなった。もうこれ以上泊めることはできんなんて言い出しやがった。おそらく、俺が古い事件を調べていることを、あの宮司か村長にでも聞いたんだろう。それで追い出しにかかったというわけだ。まるで村ぐるみで矢部稔を守ろうとしているとでもいうような感じだった。
それで、村に一軒だけあるという旅館にくら替えしようとしたんだが、こちらも既にお達しが回っていたらしく宿泊を断られた。仕方なく、俺は村を出てきたんだが、その足で、鎌倉の真鍋伊知郎を訪ねることにした。日の本寺に宿泊していたときに、住職から真鍋の本を見せてもらっていたからだ。これと同じ本だよ」
達川はそう言って、不精髭《ぶしようひげ》だらけのあごをしゃくって、テーブルの上の本を指した。
「日の本村の項をざっと読んだだけだったが、俺は面白いと思った。大神祭という奇祭にも、あの村に伝わる奇習にも興味をもったんだ。それで、真鍋伊知郎に直接会って、もっと詳しい話を聞きたいと思った。
それに、倉橋日登美が村を出るとき、真鍋の本を持って出たと聞いていたから、ひょっとしたら、倉橋日登美は村を出たあと、真鍋に連絡を取ったかもしれないと思ったんだ。本の奥付には、著者の連絡先が載っていたからな。
だが、真鍋を訪ねてみると、倉橋日登美のことは何も知らないようだった。本を送ったあとも日の本寺の住職から礼状が届いただけで、倉橋日登美の方からは何の連絡もなかったそうだ。
結局、ここで倉橋日登美の行方は途切れてしまった。でも、俺の中でいったんわいた、あの古い事件に関する疑惑は、このあとも消えなかった。消えるどころか、ますます確信を強めていったんだ。
あの事件は、今までそう思われてきたような単純な衝動殺人なんかじゃない。あれは用意周到に計画され、冷酷に実行された計画殺人だったのではないか。
調べれば調べるほど、そんな気がしてきた。しかも、犯人とされた矢部稔は、単なる実行犯にすぎなく、真犯人はべつにいる。彼に殺人を命じた人物が。あの事件を仕組んだ黒幕が背後にいるという気がしてならなかった。
そして、その計画殺人の首謀者……かどうかは分からないが、少なくとも一役買っていたのが新庄貴明だったんだ。
やつが矢部を『くらはし』に紹介したときから、既にこの殺人計画ははじまっていたんだ。いや、矢部母子が日の本村を離れて群馬に引っ越したときから、計画ははじまっていたのかもしれない。
新庄は単なる客を装って、『くらはし』の常連になり、頃合いをみはからって、『くらはし』の店主に矢部を紹介する。雇われた矢部は、やがて、わざと仕事をさぼり、店主の神経を逆なでするようなことばかりやるようになる。そのうち、店主との間に摩擦が生じ、いずれは解雇ということになる。そのときがチャンス到来というわけだ。これで、衝動殺人にみせかける条件はすべて整ったというわけさ。
すべて最初から仕組まれていたんだよ。矢部はやつの背後にいる黒幕の命令どおりに動いていたにすぎなかったんだ。
だから、やつは犯行後、すぐに自首して、動機もぺらぺら喋《しやべ》った。警察にきわめて協力的だった。これは当然だ。そうした方が後々刑は軽くなるだろうし、警察によけいな捜査をさせないためでもあったんだ……」
憑《つ》かれたように喋る達川の目が暗い輝きを発していた。
日美香はただただ呆然《ぼうぜん》として、達川の話を聞いていた。
「しかし、問題は動機だった。矢部をマリオネットのように操った黒幕の動機だよ。この黒幕には、倉橋徹三と秀男を殺害する動機があった。歩という幼児に関しては、矢部の言うとおり、弾みにすぎなかったんだろう。
最初、俺は、黒幕は新庄貴明だと思った。新庄にはあの二人を殺さなければならない理由があったに違いない。そう思った。それで、同郷の矢部を送りこんで、解雇をめぐっての衝動殺人のように見せかけて、二人を殺したのだと……。
だが、いくら新庄の周辺を嗅《か》ぎ回っても、新庄があの二人を殺さなければならない動機のようなものは全く浮かびあがってこない。客と店主という以外の接点は過去にさかのぼっても出てこなかった。
そのうち、俺は、新庄の個人的な動機ではないのかもしれないということに気が付いた。というのは、倉橋日登美が新庄と同じ日の本村の出身だということが分かったからだ。しかも、新庄はそのことをなぜか隠していた。たぶん、矢部の方も、日の本村出身ということを隠して、『くらはし』に雇われたんだろう。矢部母子が日の本村から群馬に引っ越したのもそのためだったんだ。
隠すということは、これこそが殺人の真の動機ではないかと思い当たった。日の本村そのものが動機だったんだ。日の本村に何かある。俺はそう確信した。そして、あの村に数日滞在してみて、俺にはだんだん分かってきた。
あの村の閉鎖性。古くから伝わるという奇祭と奇習。大神と呼ばれる大蛇神への村をあげての狂的なまでの篤《あつ》い信仰。そして、その神妻である日女《ひるめ》という巫女《みこ》の特殊な存在。それらを知るうちに、俺は、ようやく、倉橋徹三と秀男がなぜ殺されなければならなかったのか、その理由をつかんだと思った。
それは、前代未聞ともいうべき、きわめて異様な動機だった。
倉橋日登美が日女だったからだ。日女の血を引く女だったからだ。そんな女の家族だったということこそが、倉橋徹三と秀男が殺されなければならなかった真の理由だったんだ……」