「日の本寺の住職の話では、神の女である日女には、その年の大神祭で三人衆に選ばれた男しか手が出せないという厳しい掟《おきて》が古くからあったということだった。
その掟を破った男には、村の男たちによる凄惨《せいさん》な私刑が行われたことも過去にはあったらしい。
住職はそれは昔の話だと笑っていたが、違う。昔の話なんかじゃない。掟をやぶった者への死に至る私刑は今もなお行われていたんだ。
倉橋徹三も秀男も、本来なら神の女として、限られた者しか接することを許されない特殊な女を、おそらくそうとも知らずに妻にしてしまっていた。
だから、村の男たちによって殺されなければならなかったんだ。掟を破り、大神の女を奪った者として。
動機はそれだけじゃない。
今、あの村では日女が減っている。日女の血を引く女がどうしても必要だったに違いない。倉橋日登美は日女だった。そして、彼女の生んだ娘もまた日女だ。日女の血を絶やさないために、二人を村に呼び戻さなければならなかった。
しかし、ささやかな蕎麦《そば》屋の若|女将《おかみ》として、毎日を平凡ながら幸せに生きている彼女が、そうおいそれと家族を捨てて村に帰ってくるはずがない。
彼女を村に取り戻すためには、彼女の家族を抹殺する必要があったんだ。蕎麦職人である徹三と秀男がいなくなれば、もはや彼女一人では店を続けることはできない。父と夫をいっぺんに失い、幼い子供を抱えて、路頭に迷っているような女ならば、村に帰るように説得するのはたやすいはずだ……。
そして、実際、彼女は、事件から一カ月ほどして訪ねてきた神聖二の口車にのって、翌々日には、移ったばかりのマンションを引き払い、日の本村に出向いている。
そう考えると、あの事件の黒幕は新庄貴明一人というよりも、新庄、日の本神社の宮司、村長たちがしめし合わせて実行した、いわば村ぐるみの犯罪だったといえるかもしれない。
村長の甥である矢部稔は彼らの手先にすぎなかったんだ。なぜ実行犯に矢部のような少年が選ばれたか。むろん、それは少しでも刑期を短くするためだ。未成年で、衝動的な殺人で、しかも、そのあとすぐに自首して深い後悔の念をあらわせば、どんな凶悪犯罪であっても、その罰は情状酌量されるだろう。
それに、たとえ前科者の烙印《らくいん》を押されても、余生をあの村で暮らす限りにおいては、何の痛痒《つうよう》もないはずだ。矢部はあそこでは前科者ではなく、むしろ村のためになることをした英雄みたいな扱いを受けるだろうからな。
ちょうどやくざの社会で、下っ端のチンピラが兄貴分の罪をきて、ムショ入りしたあと、箔《はく》をつけてのしあがっていくようなものだ。普通の社会では前科者という烙印が、あの村では名誉の勲章みたいなものだっただろう。
いや、やくざというより、あれはまさしく宗教団体だ。あの村全体が一種のカルト教団のような構造になっているんだ。大神を頂点にピラミッド型の階層社会が成り立っている。村人たちは大神への狂的な信仰で一つに結束されているんだよ。
そんな特殊な村だからこそ、起こり得た犯罪だったんだ……。
俺はこのことをさっそく記事にしようと思った。それで、編集長に特集を組ませてくれと頼んだが、編集長のやつ、今や時の人である大蔵大臣がからんでいるということもあって、臆病風《おくびようかぜ》にでも吹かれたのか、しりごみしやがった……」
達川はそのときのことを思い出したように舌打ちした。
「俺の推理が荒唐無稽《こうとうむけい》で現実性に乏しいとぬかしやがった。しかも、たいした根拠もなく、憶測だけでそんなことを書けば、新庄貴明から名誉棄損で訴えられるのは目に見えているともな。
俺の推理が荒唐無稽なんじゃない。事件そのものが荒唐無稽なんだ。大体、荒唐無稽といったって、宗教にかぶれたやつらのしでかすことは、いつだって荒唐無稽だったじゃないか。それは歴史が物語っているよ。やつらの前に常識なんて通用しない。神の名のもとには何だってやるんだよ、あいつらは。
そう主張したが、結局、俺のネタは没にされた。腹いせに俺は出版社はやめた。せめて、生き証人である倉橋日登美の証言でも取れていれば、もう一押しできたのかもしれないが。でも、彼女の行方《ゆくえ》は全く分からなかった。
しかし……」
達川はそう言って、自嘲《じちよう》めいた笑いを漏らした。
「今となっては、もはや死人に口なしというわけか……」
日美香はここまで聞いて、「母は亡くなった」と言ったとき、達川がなぜあんな絶望的な表情をしたのか、ようやく分かったような気がした。
達川の話は、日美香の耳にもにわかに信じがたいというか、かなり荒唐無稽に聞こえた。編集長がしりごみしたのも当然という気がする。
ただ、もし、達川の話がただの妄想や憶測ではなく、事実だとしたら、倉橋日登美が日美香を身ごもったまま村を出て、亡くなるまで誰とも連絡を取らず、村にも帰ろうとしなかった理由もおぼろげに分かるではないか。
彼女はすべて知ってしまったのかもしれない。事の真相をすべて……。
「なあ、あんた」
ふいに達川が言った。
「さっき、生まれたのは九月だって言ったよな」
「え? ええ、そうです」
そう答えると、達川は小首をかしげるような仕草を見せた。
「妙だな。神家の子供もなぜか九月生まれが多いんだよな……」
独り言のように呟く。
「神家の子供……?」
達川の話では、宮司の家をたずねたとき、幼児が数人ちょろちょろしていたので、それとなく宮司の妻に聞くと、皆、宮司夫妻の子供だという。
「そのとき小耳に挟んだんだよ。九月生まれの子が多いので、誕生日はまとめてやるのだという話をな。あとになって、宮司の子の殆《ほとん》どは、実際には宮司夫妻の実子ではなく、日女《ひるめ》が生んだ子供だということが分かったんだが。ということは、日女の子供には、なぜか九月生まれが多いということになるわけだ……」
達川は考え考え言った。
「これは単なる偶然なのかな……」
日美香はなんとなく嫌な胸騒ぎを感じながら、達川の顔を見ていた。この男は何を言いたいのだろう……。
「九月生まれということは、俗に妊娠期間は十月十日などというから、受胎したのは、前の年の十一月頃ということになる……。十一月といえば、大神祭のある月だ。大神祭のある月に、日女が身ごもる事が多いというのは……ただの偶然なのか」
達川は殆ど独り言のようにぶつぶつ呟いていたが、日美香の方を見ると言った。
「あんた。父親のことについては何も聞いてないのか」
日美香はかぶりを振った。
「でも、もし、母が日の本村の掟《おきて》に従っていたとしたら、わたしの父は、その年の大神祭で三人衆をやった人の中にいるということになると思うのですが……」
そう言うと、達川は、あごに片手をあて、何か思案するような顔をしていたが、
「その三人衆と日女の関係だが、どうも、まだ何かあるって感じだな……」
と唸《うな》るような声で言った。
「まだ何かあるって?」
日美香はぎょっとしたように聞き返した。
「あの村に関する俺の情報源の殆どは日の本寺の住職なんだが、あの狸爺《たぬきじじい》、まだ何か隠しているという感じだったな。よそ者には知られては困るような何かを……。俺や真鍋伊知郎に話してくれたのは、外部に知れてもかまわないようなあたりさわりのない部分だけだったんじゃないかな。あの村にはまだ何か秘密がある。外部に漏れては困るような後ろ暗い秘密がね……」