日美香は声もなく、それを見上げた。
それは、上半身は単眼の武人、下半身は三重にとぐろを巻く大蛇の形をした人面蛇身の像だった。
これが、この村で祀《まつ》られているという大蛇神……。
真鍋の本を読んで、この大蛇神についての知識はそれなりに持っていたが、青銅の像にすぎないとはいえ、こうして目の当たりにしてみると、さすがにその猛々《たけだけ》しく異様な姿に息を呑《の》まずにはいられなかった。
「日女様のお生みになられたお子は、すべて、この大神のお子なのです……」
住職は重々しい声でそう言った。
そういうことか……。
日美香は、心の中で苦々しく思った。
さきほど、住職が突然、「父のことがそんなに知りたいか」と言い出したときには、何か教えてくれるのかとつい期待してしまったが、どうやら、住職にはその気はないようだった。
大神の像を見せることで、日美香に向かって、暗に、「これ以上の詮索《せんさく》をするな」と警告しているようにも見えた。
住職はこの像に纏《まつ》わる話をしてくれた。
古くから秘仏とされ、神家の血筋の者しか、参拝は許されないのだという。
そして、なぜ秘仏となったのか、その理由も……。
おそらく、真鍋や達川が寺を訪れたときには、この像は見せてもらえなかったのだろう。真鍋の本には、この像のことは全く触れられていなかった。
日美香には見せてくれたところをみると、少なくとも、住職は、日美香を神家の血筋と認めたことになる。
「あの像は……?」
お堂の暗さに幾分目が慣れた頃、日美香は大神像の背後にひっそりと佇《たたず》む女性像に気が付いた。
女性というよりも、まだ幼い少女の像のようだった。
住職は、あれは一夜日女の像だと言った。
「そういえば……一夜日女の神事というのは、一夜日女に選ばれた少女を乗せた輿《こし》を神官がかついで、深夜、村中を練り歩くのだと、真鍋さんの本には書いてありましたが、輿に乗せた一夜日女はどこで降ろすのですか」
日美香は、気になっていたことを尋ねてみた。
「お社でございますよ。輿はお社から出発して、お社に戻ってくるのです」
住職はそう答えた。
「それでは、一夜日女はお社に戻って輿から降ろされるのですね?」
日美香が確認するように言うと、住職は、一瞬黙り、しばしの沈黙のあと、「……さようでございます」とだけ答えた。
妙だ。
日美香は、住職の顔から目を離さずに思った。やはり、真鍋伊知郎の聞き違いでも勘違いでもなかったのだ。輿は社に戻ってから一夜日女を降ろすのだという。
それならば、なぜ……。
あの日、社で待っていた真鍋の目に、神官たちがかついでいた輿が空っぽに見えたのだろう……。
それとも、あの日に限って、一夜日女はどこか別のところで降ろされたのだろうか……。
そのことを住職に聞きただしたいと思ったが、それには、あの日、真鍋が見てはならないという神事の様をこっそり写真に撮ろうとしていたことも話さなければならない。
それでは、真鍋に迷惑がかかるかもしれない。それに、このいかにも老獪《ろうかい》そうな住職が、そうおいそれと口を割るようにも思えなかった。
のらりくらりとかわされるのがおちだろう。
日美香は、この件に関しては、これ以上の追及を今ここで住職相手にしても無駄だと咄嗟《とつさ》に判断した。