翌朝。
「朝食の支度ができましたので……」
襖越しに聞こえてきた女の声に日美香は目を覚ました。
神美奈代の声のようだった。
はっとして、枕元《まくらもと》にはずしておいた腕時計を見ると、午前七時を少しすぎたところだった。
就寝したのは昨夜の十一時頃である。夢も見ないで眠っていたようだった。
枕が変わるとよく眠れない方だった。今までに、旅館や他人の家に泊まって、熟睡できた記憶は全くといってよいほどなかった。
それなのに、まるでわが家に帰ってきたように、なんの違和感もなく、ぐっすり眠ることができたのは不思議な気がした。
浴衣《ゆかた》姿のまま襖を開けると、そこに膝《ひざ》をついて控えていたのは、やはり神美奈代だった。
座敷に既に神家の人々が集まっているので、すぐにお越しを……と言い残すと、宮司の妻は去っていた。
日美香は急いで着替えと洗面を済ませて、座敷に行った。
広い和室には、まるで宴会のように膳がずらりと並べられており、その膳は上座のひとつを除いてはすべて人で埋まっていた。
どうやら、掛け軸を背にした、その一番上座が自分の席らしいと気づくと、日美香はどぎまぎした。
客人ということで、このような大層なもてなしを受けるのか、それとも、何か他に理由でもあるのか……。
いささか不審に思いながらも、聖二に促されるままに、膳についた。
聖二は、日美香を家族に紹介したあとで、家族たちを独りずつ紹介してくれた。
そのとき、聖二が、自分のことを「日美香様」と敬語で呼ぶのを聞いて、日美香は困惑しながらも、あらためて自分はこの人たちの目から見れば日女なのだということを認識した。
聖二がまず紹介してくれたのは、やはり上座にあたる席にいた二人の妹たちだった。
一人は、三十歳を少し越えたくらいの年齢で瑞帆と言い、もう一人は、十八歳くらいで、一葉《かずは》という名前だった。ともに、白衣に紫の袴《はかま》を着けて、座れば畳につきそうな長い黒髪を一つに束ねている。
こうして上座に座り、聖二が自分の妹たちでありながら、敬語を使っているのは、おそらく日女であるからだろう。
ただ……。
ふたりとも、華奢《きやしや》な身体つきのわりには、妙に袴の腹部のあたりが迫り出しているように見えるのは気のせいだろうか……と日美香はふと思った。
さらに、聖二はもう一人、四十代後半と思われる女性を姉の耀子だといって紹介した。
瑞帆や一葉と同じようないでたちで、長い黒髪には既に白い筋が混じってはいたが、その顔立ちには、若い頃の美貌《びぼう》がしのばれた。
そういえば、昨夜、この家に来る途中、郁馬が話してくれたことを思い出した。この耀子という女性が若い頃に子宮ガンを患ったという話を……。
そんな話を聞かされたせいか、子供のような頼りなげな身体つきをした、この中年女性のたたずまいに、そこはかとない哀しさのようなものを日美香は感じとった。
ただ、日美香が気になったのは、この耀子という女性が、日美香が座敷に入ってきたときから、じっと自分のことを見つめ続けていることだった。
それも、何かしきりに訴えるような深い目で……。
さらに、聖二は、十三歳を頭に三人の少女たちを娘だといって紹介してくれた。やはり三人とも巫女《みこ》の衣装を身にまとっている。
その次に、神官の身なりをした三人の男性を弟たちといって紹介した。
そのうち、二人は四十がらみで、雅彦、光彦といい、あとの一人は、まだ二十歳をすこし過ぎたばかりの若者で、智成《ともなり》という名前だった。
末弟の智成は郁馬と双子のように似ていた。
そういえば、郁馬の姿が見えなかった。膳も出ていないところを見ると、どこかに出掛けたのだろうか。
そう思って、聖二に聞いてみた。すると、聖二は、「郁馬なら、今朝早く、急に用を思い出したとかで、車で東京に出掛けた」とだけ答えた。
神官の衣装をつけた人々をざっと紹介してしまうと、聖二は、幼い二人の男児を息子だといって紹介し、最後に半ば付け加えるように、妻の美奈代と母の信江、さらに雅彦と光彦の妻という二人の中年女性を紹介した。
神信江は、真っ白な髪をした八十歳近い老女だった。彼女の連れ合いであった先代の宮司は五年ほど前に亡くなったのだという。
この四人の女たちは、家族の一員というより、まるで神官や巫女に仕える使用人のように下座でかしこまっていた。