朝食を済ませると、日美香はさっそく聖二に、例の三人衆のことを聞いてみた。
すると、聖二は、早速、古い記録を調べてみたところ、昭和五十二年の三人衆は、太田久信、船木松雄、海部重徳《かいふしげのり》、の三人だということが分かったと告げた。
当時二十五歳だった太田久信は、今は村長になっており、二十六歳だった船木松雄は、父親の理髪店を継ぎ、二十三歳だった海部重徳も家業を継いで米穀店の主人におさまっているということだった。
日美香はすぐにでもこの三人を訪ねてみるつもりだった。この中に自分の父親がいるという確信があった。もっとも、会ったところで、男たちの口から父親だと素直に打ち明けて貰《もら》える可能性は低いだろうとは思っていたが。
しかし、血のつながりというものは、隠してもなんとなく分かるものである。どこかに似通ったところが見つけられるものだ。直接会ってみれば、誰が父親なのか分かるような気がした。
それに、もう一つ方法があった。それは血液型である。三人の血液型さえ判れば、少なくとも実父ではありえない男を消去することができるのだ。
日美香の血液型はAB型だった。ということは、母親がどんな型であろうとも、父親はO型ではありえない。
片親がO型の場合、AB型の子供はけっして生まれてこないからである。
だから、もし、この三人の中でO型の男がいたら、少なくとも、その男は父親ではありえないということになる……。
美奈代に頼んで村の地図を手に入れると、いったん部屋に戻って、外出の支度をした。
そして、部屋を出ようとすると、廊下のところで一人の女性とぶつかった。
耀子だった。
耀子は、「少し話がしたい」と遠慮がちに言った。
日美香は一瞬ためらったが、外出は延期して、耀子を部屋に入れた。
「驚いたでしょう? 大家族で」
耀子は口元に穏やかな微笑《ほほえ》みを浮かべながら、親しげにそう語りかけてきた
真鍋の本や話で、日の本神社の宮司の家が代々大家族を形成していることは聞いていたし、なぜ大家族になるのかという理由も知っていたので、そのこと自体はさほど驚いてはいなかった。
宮司の娘や息子だと紹介された子供たちも、実際には、妹だと紹介された日女が生んだ私生児であろうということも察しがついていた。
「でもあれで全部ではないのよ。他にもまだ……」
三人の弟たちとまだ学生である甥《おい》たちが東京で暮らしているのだという。
そう言ってから、耀子は目を細め、日美香の全身を見渡した。
「本当に日登美さんによく似てらっしゃる……」
そこには、成人した娘を見る母親のまなざしのような温《あたた》かみと柔らかさがあった。
「でも、日登美さんより、少し背が高いのね……」
耀子は、自分よりも頭一つ分ほど背丈のある娘を見上げるようにして見た。
日美香の身長は、百六十二センチで、今時の若い女性の平均から比べると、さほど大きいというほどでもないのだが、小柄な耀子から見れば、長身に見えるのかもしれなかった。
「聖二さんから聞いた話では、日登美さんはあなたを出産した直後に亡くなったということだけれど……?」
耀子は尋ねた。
日美香がそうだと答えると、耀子は深いため息をついた。
「そう……。たった二十七歳で。日女には短命の人が多いのだけれど、あの人も……」
吐息のような声でそう呟《つぶや》き、
「わたしの方はこの歳《とし》まで生きてひ孫までいるというのに……」
と自嘲《じちよう》するような寂しい笑みを見せた。
「ひ孫?」
日美香は一瞬聞き違いかと思った。
どう見ても五十前にしか見えないこの女性にひ孫がいるというのだろうか。
すると、耀子は、朝食の席で、妹だと紹介された瑞帆と一葉は、実は自分の娘と孫なのだと打ち明けてくれた。そして、今一歳になる一番末の甥は、本当はひ孫にあたるのだとも……。
日美香はこの告白には心底驚かされた。
巫女《みこ》の衣装を纏《まと》った三人の女性が並んで座っているところは、まさに少し年の離れた姉妹にしか見えなかったからだ。
それにしても、耀子と瑞帆が母娘《おやこ》だということはかろうじて納得がいくにしても、一葉が耀子の孫だというのは……。
一葉の母である瑞帆は一体いくつのときに彼女を生んだというのだろう。
不思議に思ってそのことを聞くと、耀子は、瑞帆が一葉を生んだのは、彼女が十四歳のときだとこともなげに答えた。
「十四歳……」
まだ中学生ではないか。
日美香があぜんとしたように呟くと、耀子は苦笑した。
「日女の場合、こういうことはさほど珍しくはないのよ」
多くの日女は、最初の子供を十六、七歳のときに生んでいるし、耀子自身、最初の子供を出産したのは、十六歳のときだったという。
「昔から日女のつとめは、大神の子を宿すこととされてきたのよ。大神の血筋を後々まで伝え、けっして絶やさないことこそが神妻たる日女の最大の使命であると……。だから、どんなに年若くして子供を生んでも、また何人子供を生もうとも、ここではそのことを祝福こそされ、非難されたり軽蔑《けいべつ》されたりすることはけっしてないのよ」
耀子は誇らしげに言った。
「でも、それは大神の子と認められた場合のことですよね……? つまり、子供の父親がその年の大神祭で三人衆をつとめた者であった場合だけ……」
日美香がそう言うと、耀子の形の良い眉《まゆ》がわずかに寄せられた。一瞬、その目に、そこまで知っているのかというような表情が浮かんだように見えた。
「母がこの村を出たとき、既におなかの中にはわたしがいたそうなんです。ということは、わたしの父はその年の三人衆の中にいるということになるのではないでしょうか」
日美香は思い切ってそう聞いてみた。
「そうね……」
耀子は曖昧《あいまい》な口調で答えた。
「でも、だとしたら、母はなぜ村を出たのでしょうか。わたしが大神の子なら、どうして、村に残って生もうとしなかったのでしょうか」
日の本寺の住職からも神聖二からも、この質問の明快な答えは得られなかった。
しかし、母と年齢的にも近いこの女性なら、何かもっと手ごたえのある答えを得られるのではないかと期待するものがあった。
「さあ。確かなことはわたしにもわからないわ……」
耀子はそう答えたが、
「でも、日登美さんが村を出た理由は、あの人のお母様が村を出た理由と同じかもしれない……」
そんなことを独り言のように言った。
「祖母と……?」
日美香はいぶかしげに聞き返した。
祖母の緋佐子が村を出た理由は、日の本寺で親しくなった男性が原因だと聞いていた。
しかし、住職の話では、母の日登美にはそんな男性はいなかったというし、実際、ここを出たあとの母の足取りからしても、そんな男の影は全く見えなかった。
そのことを耀子に言うと、耀子はゆっくりとかぶりを振った。
「緋佐子様が村を出た本当の理由は男性ではないわ。それも多少はあったかもしれないけれど、本当の理由は、生まれたばかりの赤ちゃんを助けたかったからよ……」