フレイザーの「火の起源の神話」の中には、さらに興味深い文章がある。
それは、要約すれば、「女が始から火を体内に持っており、男と性交することで、その性器から火を生み出したという伝説は、火を得るときの、板と棒をこすり合わせる方法が男女の性行為を連想させ、板(女)の中にたまっていた火を、棒(男)が引き出したと考えられたからではないか」というくだりである。
「女が体内に火を持っており、それが性行為によって生み出された」という箇所は、あの国生み神話で、イザナミノミコトが火の神ホノカグツチを生み落としたときに、陰部が焼けただれ、それが元で亡くなったという逸話を容易に思い起こさせてくれる。
この逸話は、イザナミノミコトが単なる大地女神ではなく、火山女神でもあったことを暗に物語っているのではないだろうか。
巨大な女神の陰部(ちなみに、女性性器を表すホトという言葉は、火口を表すときにも使うという)から、生まれた「火の神」とは、まさに、火口から噴出する炎を連想させるではないか。
太母神は、原則的には女性原理である水(特に海水)と結び付きやすく、その本性は水神であることが多い。蛇がそうであるように。
しかし、火山国では、ポリネシアの火山女神ペレやニュージーランドの火山女神マフーイカのように、火と結び付くこともある。日本列島は火山国でもあったから大地を司る太母神が、その大地の領域である火山をも司る神であっても一向に不思議はないように思える。
しかも、イザナミが火山女神だったと考えれば、夫神《とされた》イザナギが、なぜ、わが子でもあるはずの火の神ホノカグツチを、即座に切り捨てるほど憎んだかという真の理由も察しがつくのだが……。
神話では、イザナギがホノカグツチを切り捨てたのは、最愛の妻の命を奪った子だからという、もっともらしい理由付けがされているが、真相はそうではあるまい。
イザナギの「火の神」への憎悪の裏には恐怖が潜んでいたのである。それは、火山の脅威を知らずに大陸で暮らしていた日の民族が、日本列島に来てはじめて知った火山という「荒ぶる山」への恐怖である。
さらに言えば、その火を吹く荒ぶる山を自在に操る(ように見えた)先住民の信奉する巫女王への恐怖でもあっただろう。その恐怖が憎悪となって、イザナギが「火の神」を即座に切り殺すという神話を生み出したのではないだろうか。
こうした「日の民族」の、先住民が信奉する「火の神」への恐怖と憎悪は、ギリシャ神話の中にも見ることができる。
あのプロメテウスの「火盗み」神話である。
神話によれば、巨人族に属するプロメテウスは、ある日ふと下界を眺め、人間たちがまだ火を知らずに獣同然の暮らしをしているのを見て同情の念に駆られた。火を使えるようになれば、夜でも明かりと安全を確保できるし、寒さもしのげるし、煮炊きした食物を口にすることもできるからである。
そこで、このきわめて知的で心優しい巨人の神は、大神ゼウスに、人間にも火を与えるように直談判するのだが、ゼウスは、「人間に火を与えると傲慢《ごうまん》になって、我々神と同等になる恐れがある」といって許さなかった。
それでも、人間に対する同情心を捨てられなかったプロメテウスは、日の出の火をこっそり盗み、それを人間に与えるのである。火を得た人間たちは、それまでの獣のような生活から脱して、瞬く間に獣にはない知性を獲得すると、より高度な文明を築きあげていった。
しかし、プロメテウスの方は、大神ゼウスに反逆した罪で、ゼウスによって、万年雪の降る山の頂上に決して解けない鎖で縛りつけられ、二羽のハゲタカに生きながらにして内臓(肝)を食い荒らされる(プロメテウスは神だったので永遠に死ぬことはなかった)という残酷な罰を、ヘラクレスが彼の救い手として現れるまで何百年も受けなければならなかったのである。
大神ゼウスにこれほどまでに憎まれたプロメテウスとは何者か?
彼は、ゼウスが天界を支配する前に天界に住んでいた巨人族の神である。この巨人族というのは、大地女神ガイアから生まれた神々のことで、言うなれば、母権制社会を営んでいた先住民族に信仰されていた神々である。さらに言うならば、彼らは巨人であると同時に蛇族でもある。それは、ガイアの子の一人に、あのテュポンという火炎龍がいたことを思い出して貰えばいいだろう。あるいは、ガイアの直系の孫であるヘラが生んだ黒蛇ピュトンのことを。
また、やはりガイアの子である大洋神、オケアノスは巨大な海蛇であったし、妹であると同時に妻でもあった川の女神テテュスは、インドにおけるナーガ(蛇神)のような存在だった。さらに、巨人族の中で最強と恐れられたポルピュリオンも、テュポン同様、火山を神格化した火炎龍であった。
これら蛇怪獣と同じ血を引くプロメテウスの本性が「蛇」であったことは、彼が「ハゲタカ」によって内臓(肝)を食われるという、ゼウスによって与えられた異様な罰にも暗示されている。「鳥」とは「蛇」を「啄《ついば》む」ものであるという暗示に……。
プロメテウスもまた蛇の属性をもつ火神だったのである。
だからこそ、火山神である百頭の大蛇テュポンをやっとの思いで退治してエトナ山に閉じ込めた(ゼウスはテュポンとの最初の戦いでは、たやすく大蛇に負けて洞窟《どうくつ》に幽閉されてしまっている)ゼウスにとって、同じ蛇族の火の神は、それだけで憎悪と恐怖の対象だったというわけである。
プロメテウスもまた「火山神」なのである。ただ、噴火したときの「荒ぶる山」をテュポンやポルピュリオンが象徴しているとしたら、プロメテウスの方は、ふだんの穏やかな山の様相を象徴していたともいえよう。
太古の人々にとって、活火山の赤く荒れた山肌の様子が、そこに縛り付けられた巨人の食い破られた腹のように見えたのかもしれない。そして、その、ふだんは、静かなる山が、時折、不気味な地鳴りのような音をたてるのは、ハゲタカに内臓を食い荒らされている巨人が苦痛の呻《うめ》き声をあげているように聞こえたのかもしれない。
ところで……。
一説によれば、プロメテウスが最初の火を失敬したのは、「太陽」からではなく、地下世界にある巨大な「竈《かまど》」からであったという。地下にある巨大な竈とは、まさしく火山を意味している。
さきほどのフレーザーの研究によれば、人類が最初の火を得た神話は、大別すれば三つに分類できるという。
一つは、太陽や月などの天体から盗んできたという「天空」神話。おそらく、これは、落雷などによって、偶然起こった火災から、人が「火」の存在を知ったのだろうと、フレーザーは推理している。
さらに、もう一つ、意外に多いのが、最初の火を地下の竈から得たという「地下」神話である。これは、明らかに火山の爆発による火災から火を得たことを物語っている。
そして、最後の一つは、これは神話の数としては希少らしいが、「最初の火を海から得た」というものである。海底火山のことだろうか?
活火山の近くに住んでいた人々が、最初の火を火山から得たとすれば、あの火盗み神話も、プロメテウスは最初の火を地下の巨大竈から得たと考えた方が正しいように思えてくる。
ちなみに、地下の巨大竈の持ち主は、鍛冶《かじ》神のヘパイストスである。ローマ名はヴァルカノと言い、ずばり、火山の語源にもなっている。彼は、大女神ヘラが一人で生んだ子供で、一説には、この実母のヘラにその醜さゆえに憎まれて下界に突き落とされたともいうが、一説には、ヘラとゼウスが壮大な夫婦ゲンカをしたとき、母神ヘラの味方をしたことで、ゼウスの怒りを買い、天界から下界に突き落とされたとも言う。
どちらにせよ、血筋的には、大地女神ガイアの直系の血をひいていることから、彼もまた巨人族(先住民族)側の神と見ていいだろう。
それに、ヘパイストスが「生まれつき足が不自由で、歩くときはジグザグに進んだ」という描写から見ても、彼もまた、その本性は「蛇」であったことが窺《うかが》われる。その証拠に、彼の子供の一人、エリクトニオスは、生まれつき両足が「蛇の尾」であったという。
しかも、この地味で職人気質の神らしからぬ神は、華々しい天界よりも、むしろ下界、エトナ山の火口にある自分の仕事場の方を好み、人間に対してもきわめて友好的だった。そんな彼なら、「人間に火を与えたい」という同族のプロメテウスの願いを、ゼウスのようにむげに退けるようなことはしなかっただろう。
つまり、人間に与えられた最初の火は、ゼウスが統治する天上の太陽からの恵みではなく、太母神が統治する地下の巨大竈(火山)からの恵みだったということである。
この人類の友、人類の救済者であったプロメテウスの名誉のために声を大にして言いたい。
彼は「火盗み」などしてはいなかった! 「火山神」である彼は、祖母《ガイア》から譲り受けた財産の一部である、貴重な竈の火を、全くの好意から人類に分け与えてくれただけなのである。
プロメテウスの「火盗み」神話は、ゼウス(日の民族)がプロメテウス(火の民族)への憎悪を正当化するために作られたものにすぎなかったということである。
山の頂上に鎖で(おそらく十字架にかけられるような格好で)縛り付けられ、永遠に続くとも思われる拷問に苦しむプロメテウスこそ、人類にとっての真の救世主であったのである。
救世主といえば……。
これと全く同様の卑劣な「冤罪《えんざい》事件」は、あの聖書の中にも見られる。
エデンの園にまつわる神話である。