ヤマタノオロチが単なる怪物ではなく、出雲地方土着の古い神、とりわけ「水神」だったのではないかという説があり、それは、半ば定説化している気がするが、果たして、ヤマタノオロチは「水神」だったのだろうか?
確かに、中国では、古くから、「龍」は水を司る神として崇められてきたし、インドでも、蛇神《ナーガ》は、その形状からか川の神と考えられ、やはり水を司ると思われてきた。
さらに、須佐之男命に切り殺されたとき、その尾から天叢雲《あめのむらくも》の剣という神剣が出てきたという話も、オロチが水神であったことを示しているように見える。
天叢雲の剣とは、その名から推測すると、「雲を呼び雨をもたらす剣」の意があるように思えるからである。おそらく、剣といっても武器ではなく、「雨乞《あまご》い」の儀式などに用いる祭具だったのだろう。
しかし……。
ヤマタノオロチという大蛇には、全く別の特性を暗示しているような描写もあるのである。
それは「火」である。
たとえば、ヤマタノオロチの目を表現して「赤かがちのような目」と記紀には書かれており、これは一般には、「赤いほおずきのような目」と解釈されているが、実は、この「赤かがち」は、「赤々と燃える竈《かまど》」の意があるという説もある。連なる山脈を思わせるようなオロチの巨大さから考えると、その目は「ほおずき」よりも「竈」の方がふさわしいようにも思えてくる。もし、これを「竈」と考えるならば、当然、そこからは、「火」が連想されよう。
また、あらゆる宗教においてきわめて根源的な存在である「蛇」は、その基本的な属性である水と土(蛇とは水と土の中に住むものだから)だけではなく、火や空とも結び付きやすいのである。
火の信仰と結び付いた蛇は「火の蛇」として崇められ、天空信仰ないしは鳥信仰と結び付いた蛇は「翼や羽毛を持つ蛇」としての神格を得てきた。
たとえば、アステカの太陽神ケツァルコアトルや、マヤの風の神ククルカルは、ともに「羽毛を持つ蛇」と伝えられているし、中国神話の蛇女神ジョカは火炎龍であると言われている。
また、旧約聖書において、あのモーゼが毒蛇に悩まされている人々を助けるために、荒野に掲げた「青銅の蛇」は、ネフォシュタンと呼ばれる「火の蛇」であった。
そして、火と空のエレメントと結び付いた「空飛ぶ火の蛇」が、やがては、旧約聖書の熾天使《してんし》となっていったのである。ちなみに、神に反逆した罪で地獄に落とされたルシファー(後のサタン)はこの最も輝ける熾天使長であった。
しかし、火と結び付いた蛇といえば、すぐに思い起こさなければならないのは、ギリシャ神話の、あの山ほどの背丈に火を吹く百の蛇の頭を持つという火炎龍テュポンである。
大神ゼウスによって、エトナ山に封じこまれたという逸話をもつこの巨大蛇は、明らかに、活火山エトナを神格化した「火山神」であるといえよう。山のような巨体に、火を吹く百の蛇の頭とは、まさに、火口から噴出する真っ赤なマグマを連想させるではないか。
木々や苔《こけ》の生えた山脈を思わせる巨体に、八つの頭(無数の頭の意味あり)に八つの尾を持つという大蛇、ヤマタノオロチも、この火炎龍テュポン同様、火を噴く山を連想させないだろうか?
つまり、ヤマタノオロチとは、「水神」というより、むしろ「火神」いや、「火山神」だったのではないか。
実際、出雲地方には、太古から、大山《だいせん》という大火山が存在しているのだし、ヤマタノオロチという怪物は、実はこの火山から噴出した溶岩流を譬《たと》えたものではないかという、きわめてユニークで鋭い指摘は、ある著名な物理学者から既になされている。
確かに、「須佐之男命がオロチを切り殺したとき、斐伊川の水が(オロチの血で)血になって流れた」という描写が記紀には見られるが、これなども、真っ赤な溶岩が川のように流れる様を連想させるではないか。
ただ、ヤマタノオロチとは、「溶岩流」ではなく、むしろ、「噴火する火山」そのものを模したものではないだろうか。
さらに言えば、ヤマタノオロチの腹にいつも滴っていたという「血」にしても、先に私は、ヤマタノオロチが雌ではないかという推測から、「経血」を暗示しているという見方をしたが、あの「血」とは、「火口から噴出し、山肌に沿って流れた赤い溶岩の跡」であるといった方がより的確かもしれない。
しかし、これは後で述べるが、この「経血」と「火」とは、実は、太古において、非常に密接な関係をもっていたのである。
だから、ヤマタノオロチを活火山を模したものといい、その腹に流れる「血」を「溶岩」であるといっても、けっして、前述の「経血」説を自ら否定するものではない。
火を噴く山を大女神に譬えれば、その「火口」から噴出し、山肌を流れる「赤いマグマの塊」は、まさに、大女神が流す「血」のようにも見えたであろうから。
ただ……。
もし、ヤマタノオロチが「水神」ではなく「火山神」だったとすれば、須佐之男命がオロチを切り刻んだとき、その尾から出てきたという「雨を降らせる」神剣の意味をどう解釈したらよいのだろうか。
一つ想像できるのは、活火山の噴火が予想されたとき(こうした自然がもたらす災害を前以て感知することが巫女王の重要な仕事だったに違いない)、噴火の規模を少しでも小さくするために、急遽《きゆうきよ》、「大雨を降らせて火を消すべく」雨乞いの儀式が、山麓《さんろく》において行われたのではないかということである。
山麓とはすなわち、大蛇の「尾」にあたる。このときに使われた雨を呼ぶ祭具としての剣が、「大蛇の尾から出た剣」として伝わったのではないか。
あるいはこうも考えられる。
古事記には、オロチの尾から出てきたのは、「天叢雲の剣、後の草薙の剣」という描写が見られるのに対して、日本書紀の方には、どの書にも、「後の草薙の剣」としか記されておらず、「天叢雲の剣」の名前は見られないということである。それゆえか、「天叢雲の剣」と「草薙の剣」とは別物であるという説もある。
そして、この「草薙の剣」とは何であるかといえば……。
記紀によれば、ヤマトタケルが父王に東国の平定を命じられ、駿河《するが》の国(古事記では相模《さがみ》の国)に至ったとき、その国の賊に騙《だま》されて野原に誘い込まれ、野に火をつけられたことがあった。そのとき、ヤマトタケルは慌てず、叔母《おば》のヤマト姫から授かった神剣で手前の草をなぎ払い、やはり叔母から貰《もら》った火打ち石で火をつけて、迎え火をすることで、逆に敵を焼き殺して難を逃れたとある。
これを読む限りでは、ヤマトタケルは、敵が仕掛けた野火を、「水で消した」のではなく、むしろ「火をもって火を制する」ことで消し止めたようである。
ということは……。
「草薙の剣」の本来の性は、「水」ではなく、むしろ「火」だったのではないか。
だからこそ、須佐之男命がこの神剣を天照大神に献上したとき、天照大神はその剣を一目みて、「それは、私が以前にうっかり下界に落としてしまった剣である。それがおそらく、大蛇に呑《の》み込まれ、その腹におさまっていたのだろう」と答えて、その剣がもともとは自分のものであったと主張したのである。
太陽信仰が定着した後は、「火」とはまさに「太陽」に属するものと考えられてきたから、天照大神のこの発言も、草薙の剣が火を呼ぶ剣であったと考えれば納得できよう。
また、「火の起源の神話」の著者であるフレーザーによれば、メラネシアやニューギニア、あるいはオーストラリアには、「蛇の身体から火が生まれた」とか、「女がヤマイモの杖《つえ》で地中の蛇を打ったら、杖が折れて、中から火が飛び出した」とか、「老女が最初に火をもっていて、それを盗もうとした男たちが老女の家に忍び込んだとき、うっかりして、タコの木にいたガルブイエという蛇の尾に火がついた。男たちはこの蛇の尾の火を持ち帰ることで火を得た。ガルブイエは、ワガワガのガルボイ族のトーテムになっている」というような、蛇と火の関係を示した伝説が少なからず見られるそうである。
「蛇の尾についた火」とは、まさに、「オロチの尾から出てきた火の剣」を連想させはしないだろうか。
日本においても、「大物主」という大蛇神を祀ることで名高い奈良の古社、大神神社《おおみわじんじや》では、元日の未明には、繞道祭《じようどうさい》と呼ばれる行事————神社が用意した大松明《だいたいまつ》から火縄を持った参詣者《さんけいしや》たちに火が移し与えられ、参詣者たちはそれを大切に家に持ち帰り、雑煮をたく火種にする———が古くから行われているという。
この「大物主」という蛇の神様は、当地では酒造りの神様としても信仰され、つまりは、「水の神様」(良酒を造るには良水を得る必要があることから)として崇められているようだが、古くから伝わるというこの「火」の行事から見ても、この大蛇神が「水」だけではなく、「火」とも何らかのかかわりがあることは明らかであろう。