部屋に戻ってくると、蛍子は、いつものように、ノートパソコンに電源を入れ、インターネットに接続した。
豪がどんな反応を示すかと、おそるおそる切り出した話だったが、姉と血のつながりが全くないということを、子供の頃からなんとなく察知するものがあったらしく、こちらが拍子抜けするほど、あっさりと冷静に受け止めてくれたことに、蛍子はとりあえずほっとしていた。
もっとも、今の豪の頭の中は、間近に迫ったコンテストのことで一杯の様子で、他のことには気が回らないといった感じではあったが。
そのうち、康恵の手紙の内容は、ボディブローをくらったようにじわじわと効いてくるだろう。
メールチェックをしてから、数日振りに沢地逸子のホームページにアクセスしてみた。例の猟奇事件が起きた直後は、「真女子」が掲示板に何か書き込むのではないかと思って、ほとんど毎日のようにアクセスしていたのだが、結局、書き込みはなく、沢地のコラムの方もあれから全く更新されていなかったので、次第にアクセス回数が減っていたのである。
目次を見ると、ようやく、コラムの項が更新されているようだった。「みそぎとは何か?」というタイトルのままだったところが、「かぐや姫の正体(2)」と変わっていた。更新されたことを示す「new!」というマークもついている。
日付を見ると、どうやら、昨日アップされたばかりのようだった。
さほど長いものではないようだったので、蛍子は回線をつないだまま、タイトルをクリックして全文を開くと、それを読み出した……。
※
かぐや姫の正体(2)
かぐや姫の話に戻すと、月の世界に帰るとき、かぐや姫もまた、この「みそぎ」をしているのである。
それまで着ていた衣を脱いで、翁に「形見に」と手渡したあと、姫は、さらに、月の使者が持ってきた箱の中にはいっていた「不死の薬」を少しなめている。
この「不死の薬」とは、日本(沖縄)では「変若水《おちみず》」と呼ばれ、インドでは、ソーマともアムリタとも呼ばれる「月の霊水」である。かぐや姫は古い衣を脱ぎ捨てることで「脱皮」して、さらに、「月の霊水」を口にすることで、「水浴び」の代用をしているのである。
こうして、「みそぎ」を済ませ、新しく生まれ変わったかぐや姫は、月の使者の差し出す「天の羽衣」を身につけて、下界での記憶をすべてなくすと、晴れ晴れとした様子で昇天して行く……。
ここまで読み解いてきて、ふと思うのは、かぐや姫とは、古代の巫女《みこ》王の面影を伝える物語ではないかということである。
多くの無理難題を男たちにふっかけるところなど、ギリシャ神話の蛇女神たちとよく似ているではないか。もっとも、この話に出てくる男たちには、ギリシャ神話の英雄たちほどの英雄性も悲劇性もなく、むしろ滑稽譚《こつけいたん》めいてはいるが、それでも、五人の貴公子のうち、一人は死に、もう一人は、「死んだ」ことをほのめかすような不吉な最期を遂げているのである。
やはり、遠い昔、蛇女神に捧《ささ》げられた生き贄《にえ》たる男たちの無残な面影をかろうじてそこに見ることができるような気がしてならない。
月を司っていた王は、死ぬと不死になって月で永遠に暮らすというアフリカの民話がある。しかも、月に関わる祭りは、多くが新月か満月の頃に行われたという。
つまり……。
満月の夜、月に帰るというかぐや姫の話は、太古の巫女王の供犠的な死を暗示しているのではないだろうか。
さらに、この巫女王が多くの太母神を体現する女王同様、大地と月と海と……そして火山をも司っていたのではないかということは、物語の最後に、昔は活火山であった「富士山」が出てくることでも推測できよう。
かぐや姫が「月」を司る女王であると同時に、「火」をも司っていたのではないかというのは、実は、「かぐや」という名前からも想像がつくのである。「かぐや」の「カグ」の語源は、火神を表す、Ak、Agから来ており、それがKagに転化したものと思われる。イザナミが生んだとされる火の神は、「ホノカグツチ」であったし、火の国、「鹿児島」の「カゴ」もこの「カグ」から転化したものであると思われるからである。
最後にそれこそ蛇足になるが……。
古代の巫女王の面影を伝える話といえば、あの紀州に伝わる「道成寺」の話もそうではないだろうか。
裏切られた恋の恨みから、大蛇(火炎龍)と化した清姫が、道成寺の釣り鐘の中に隠れた若い美僧安珍を鐘もろとも「焼き殺す」という話だが、あれも、話のルーツをたどっていけば、太古の蛇巫女王とその生き贄の話に行き着くかもしれない。
寺の釣り鐘とは、その元をただせば、中国の古楽器である「鐘《しよう》」からきているのだろう。そして、この「鐘」は、古代、祭具として用いられたあの青銅の銅鐸《どうたく》を連想させはしないだろうか?
つまり、寺の釣り鐘の中に隠れた若い僧が大蛇と化した姫に焼き殺されるという物語の背景には、鐘の形をした祭具を使う祭りにおいて、母なる蛇女神に若い男が生き贄に捧げられたという太古の記憶があるのではないか。
また、紀州には、他にもいくつか蛇伝説が伝えられているし、古くから信仰の地として名高い熊野の「熊野権現」は女神でもある(元はインドの王妃で五衰殿と呼ばれていたという。五衰殿は無実の罪で斬首《ざんしゆ》されたのだが、そのとき、身ごもっており、首のないまま王子を生んだという伝説がある)。
ちなみに、上田秋成の「雨月物語」の中に収められた、真女児(真女子)という蛇の化身である美女に若い男が取り憑《つ》かれる「蛇性の婬《いん》」という短編は、この紀州の「道成寺」伝説と、中国の「白蛇」伝説をモチーフにして作られた話と言われている。
さらに、記紀によれば、熊野には、あのイザナミノミコトが葬られたもう一つの墓所がある。花の窟《くつ》神社である。イザナミはここに彼女の死因を作ったとされている火の神ホノカグツチと共に祀《まつ》られている。さらに、巨岩を御神体として祀っていることで有名な、新宮市の神倉神社は、勇壮な火祭りでも名高い。
ということから考えても、太古、この地にも、威力ある蛇巫女王がいたのか、あるいはそんな太母神信仰を持つ縄文民族が、火山のある土地(出雲か九州か?)から移り住んできていたのではないだろうか……。
※
「かぐや姫の正体」に関するコラムは、どうやらこれで完結したようだ。
読み終わって、蛍子は思った。
ただ、読んでいて、少し気になったことがあった。それは、沢地逸子が、「道成寺」伝説にかこつけて、上田秋成の「蛇性の婬」にさりげなく触れていることだった。
前後の文章のつながりがやや不自然であることから考えて、この箇所だけが後で書き加えられたのではないかと蛍子は勘ぐった。これはひょっとしたら沢地の「挑発」ではないだろうか。あの「真女子」に対する……。
「真女子」はあれ以来、全く掲示板には現れない。沢地はおそらく、「真女子」があの猟奇事件に関して何か書き込むのを恐れると同時に期待していたのではないだろうか。しかし、一カ月が過ぎても何の書き込みもないことで、焦れたというか、自分の方から、あえて「真女子」の名前をコラムに出すことで「挑発」に出たのではないか。
書き込みはしなくても、「真女子」は、沢地のホームページを見ているような気がした。だとすれば、沢地のこの更新されたコラムを読んで、なんらかの反応を示すかもしれない。
もしかしたら……。
蛍子の中でふと閃《ひらめ》くものがあった。既に反応を示しているかもしれない。すぐに、「掲示板」の項目をクリックしてみた。ややあって、「最新の投稿」が掲示された。
蛍子の勘は的中していた。
そこには、「真女子」名の投稿があった。投稿日時は、前日の八月八日、午後十一時三十二分十五秒とある。
そこにはこう書かれていた。
「コノ前ノ生キ贄ハ、母ナル神ニ喜ンデ戴ケタヨウデス。母ナル神ハ、サラナル贄ヲ望ンデオラレマス。ヨッテ、明日、二人メノ生キ贄ヲ捧ゲル儀式ヲ行イマス」