ただ、いくらその後、聖二との関係が改善されたからといって、あの日、父から言われた「弟であって弟ではない。家来のようにつかえろ」という言葉の衝撃は、貴明の中で消え去ることはなかった。
あの時感じた身を切り刻まれるような屈辱感は、四十年以上もたった今でも忘れることができない。
そして、今、あれと全く同じ意味をもつ言葉を、よりにもよって、一族の司令塔的存在になった、その弟の口から聞くことになろうとは……。
神紋が出たことで、武は我が子であって我が子ではなくなった。
聖二は口に出してこそ言わなかったが、これからは、武には「父親」ではなく「家来」としてつかえろと宣言したも同然だった。
それは、その昔父に言われたときよりも、さらに大きな屈辱感をもたらす言葉だった。
でも、こうなることは、心のどこかで予感していたような気がする。
あの奇妙な悪夢を見るようになったときから……。
最初にあの夢を見たのはいつだったか。
確か、武が生まれた直後くらいからだった。今までにも何度か同じ夢を見ている。身も心も疲れて倒れこむように床にはいった夜などは、しばしばこの悪夢に悩まされた。
それは、鏡に映った自分の顔がどんどん若返っていき、十代半ばくらいまで若返ったところで、その少年の顔をした自分が鏡の中からぬっと出てきて、万力のような力で自分の首を絞めようとする……。
そんなシュールな悪夢だった。
鏡の中の自分、それも少年の姿をした自分に殺されそうになるという夢。なぜ、こんな夢を繰り返し見るのか。これがいかなる深層心理を物語っているのか……。
薄気味悪い夢ではあったが、夢の意味が全く読み解けなかった間は、それほど気にはしていなかった。
この夢のもつ恐ろしい意味に気づいたのは、あれは、武が中学に入った頃だった……。
それは全くなにげない日常の風景の中で突然やってきた。
朝、いつものように洗面所の鏡の前に立って髭《ひげ》をあたっていると、トイレから出てきた次男が手を洗うために、鏡の前に並び立ったことがあった。
幼い頃はひ弱だった子が、いつのまにか、見違えるように逞《たくま》しくなっていた。女の子のようだった骨格もしっかりしてきて、肩幅も広くなり、背丈も急速に伸びて、並んで立つと、自分より僅《わず》かに低いだけだった。
子供の成長は早い。そのうち背丈も抜かれるかもしれない……。
そんなことを思いながら鏡を見ていた貴明は、ふいにあることに気が付いて、衝撃のあまり手にしたシェーバーを取り落としそうになった。
鏡には、髭を剃《そ》る自分と手を洗う武の顔が並んで映っていた。
四十代半ばの男の顔と、それと全く同じパーツをもつ少年の顔。「老い」の気配が漂いはじめた中年男の顔と、瑞々《みずみず》しい細胞がきらめき弾けているような若者の顔。
パーツが似ているだけに、その「老い」と「若さ」のコントラストが残酷なまでに映し出された二つの顔……。
貴明は、愕然《がくぜん》として鏡の中の自分を凝視した。そのとき、はじめて、自分の「老い」を意識した。それまでは、実年齢よりも若く見えるということもあって、「老い」を実感したことはあまりなかった。体力も気力もそんなに落ちてはいないと思っていた。
それが、こうして息子と並び立ってみると、自分にも老いが確実に忍び寄っていたことに嫌でも気づかされたのだ。
しかも、衝撃はそれだけではなかった。
それまでは、あまり自分に似ているとは思っていなかった———幼顔はむしろ弟の聖二に似ていると密《ひそ》かに思っていた次男が、驚くほど自分に似てきたことに気づいたのである。
そう思ったとたん、貴明の中で、何かが閃光《せんこう》を放って炸裂《さくれつ》した。
この顔だ。
鏡の中に現れたあの「顔」。
自分を悩まし続けてきた悪夢の中に繰り返し現れる……。
鏡に映った武の顔は、まさに、あの悪夢の中に出てくる「少年の顔」をしていた。
もしかしたら……。
あれは予知夢のようなもので、自分はいつか、この自分そっくりになった次男に殺されるということを暗示していたのではないか。
我が子に殺されるという神託を受け、その通りの運命をたどったテーバイの王ライオスのように……。
それがあまりにも馬鹿げたオカルトじみた被害妄想だと分かっていても、一度そう思いついてしまうと、それは強迫観念のようになって、貴明の心の深いところに住み着いてしまった。
そして、この「強迫観念」ゆえに、それまでは長男以上に可愛がっていた次男との接触をそれとなく避けるようになった。
武がそばにきただけで、夢の中の、あの万力で喉《のど》を絞めつけられるような感触がふいに蘇《よみがえ》ってきて、息苦しさすら感じるようになったのだ。
ある一定の距離を越えて武が近づいてくると、この奇妙な発作のような症状が出てくるので、次第に、息子と同じスペースを共有することを無意識のうちに拒むようになり、そばにあまり近寄らせないために、透明なバリアを周囲に張り巡らせるようになった。
武の方も、父親に近づこうとすると、自分を弾き飛ばすこの目には見えないバリアの存在に気づいたらしく、小さい頃のように無邪気に近寄ってはこなくなった。
振られた女のような恨みがましい目をして、遠くからこちらを見ているだけになった。
父親が自分に対して急に冷淡になった真の理由も分からず、父が自分に関心を見せなくなったのは、自分の学業成績が兄のように良くないことで、父が失望し期待することをやめたのだと勝手に思い込んだようだった。
ただ、貴明の中に巣くったこの「強迫観念」というのは、我が子に「物理的」に殺される恐怖というよりも、「精神的」に殺される恐怖と言った方がいいかもしれなかった。
精神的に殺される。つまり、それは、「取ってかわられる」恐怖といってもよい。
あのとき……。
武は、手を洗おうとして、洗面所の前に陣取っていた父親を肘《ひじ》で軽くおしのけるような仕草をした。
それは、半ば無意識でしたような、ごく軽い仕草だったにもかかわらず、貴明は、一瞬、息子につきとばされたような心理的衝撃を受けた。
いつか、自分は、こんな風に、今自分が確保しようとしている「座」を、この自分と同じ顔した、そして、自分よりも確実に若い息子に奪われるのではないか。
一瞬、そんなことを考えた。
人には、その人間だけが座るべき「椅子《いす》」のようなものがある。人生というのは、その自分
だけの「椅子」を探す旅かもしれない。その「椅子」は一つしかなく、時には、その「椅子」に座りたがっている別の人間と、その一つしかない「椅子」を争うはめになることもある。
そして、そのライバルが、血を分けた実の息子ということもある……。
納得して譲るのならいい。これまで築きあげたものはすべて、いずれは、二人の息子に譲るつもりでいる。ただ、それはあくまでも、自分の体力と気力に限界を感じ、自らの意志で、この世の晴れ舞台から退いてもいいと思ったときだ。
しかし、そうなる前に、自分がようやく見つけた「椅子」を誰かに奪われるのは御免だ。たとえ、それが最愛の息子だろうと。まだ譲るわけにはいかない。絶対に。
だから、あの事件が起きたとき……。
武が刺されたと聞かされ、慌てて、収容された病院に駆けつけ、手術室の前の長椅子で、手術が終わるのを待っていたとき、貴明の心の中は激しく揺れていた。
出血多量のためにすぐに輸血が必要だと医師に言われ、ためらうことなく自分の血を与えた。そのときは、嘘《うそ》偽りのない気持ちで、息子の命が助かることだけを考え念じていた。
しかし……。
長椅子に座って、刻々と時間がたつうちに、「なんとか助かってほしい」とだけ念じていた気持ちに、少しずつ……そう、少しずつ、白いクリームスープの皿に一滴の墨汁を流しこんだように、少しずつ、全く別の黒い祈りが混じりこんでいった。
いっそ、助からないでほしい。このまま死んでくれたらという切実な祈りが……。