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蛇神5-1-1

时间: 2019-03-27    进入日语论坛
核心提示:     1 平成十年、十月二十七日の午後。 出雲《いずも》空港で拾ったタクシーが堀川に架かる宇迦《うか》橋のたもとにさ
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 平成十年、十月二十七日の午後。
 出雲《いずも》空港で拾ったタクシーが堀川に架かる宇迦《うか》橋のたもとにさしかかったところで、宝生輝比古《ほうしようかがひこ》は、ふと思いたって、タクシーを停めさせた。
 簸川《ひかわ》郡大社町にある藤本家の門前まで乗り付けるつもりだったが、橋の向こうにそびえたつ大鳥居をフロントガラス越しに見た途端、気が変わったのである。
 ここでタクシーを降りて、藤本家までぶらぶらと歩きたくなったのだ。歩いても二十分足らずの距離だろう。
 宇迦橋を渡りきった先に真っすぐ伸びている大通りをそのまま行けば、出雲大社の二の鳥居の前に出る。そのせいか、神門通りと呼ばれる大通りを行き交う人々の中には、観光客らしき姿も少なくなかった。
 宝生は料金を払ってタクシーを降りると、そうした観光客の一人のような顔をして橋を渡りはじめた。
 墓参りが目的ということで、東京の自宅を出るときから着てきた黒のフォーマルスーツに、片手には二日分の着替えだけを詰めた小ぶりの旅行バッグ。
 プライベートな時はいつも着用している、洒落《しやれ》っ気のないメタルフレームの近眼鏡をかけて、ぶらぶらと散策するような足取りで歩いている、三十歳そこそこの地味な身なりの青年を見て、すれ違う人は、まさか、これが、「音楽界の若きカリスマ」だの「音の錬金術師」などとも呼ばれている、有名な音楽プロデューサーだとは夢にも思わないだろう。
 実際、すれ違う人びとの中に、宝生の方を珍しげにじろじろと見る者など一人もいなかった。
 出雲に帰郷したのは、祖母の葬儀以来だから、かれこれ五年ぶりだった。実母の生まれ故郷でもあり、宝生自身、ここで生まれ、八歳まで母方の祖父母と暮らした懐かしい土地でもある。
 母の藤本響子は日本が誇るオペラ歌手だったが、宝生が八歳のとき、三十五歳という若さで病没した。
 母が亡くなった直後、祖父母の元から引き離され、東京に住んでいた父のもとに引き取られたのだが、ホテルやレストランを手広く営んでいた実業家の父が、なぜ、妻子と同じ家に住まず、別々に暮らしていたのか、なぜ、八歳になるまで、年に数度しか実父と名乗る男と会うことができなかったのか、なぜ、母と自分の姓が「藤本」なのに、父の姓が「宝生」なのか、その理由を知らされたのはこの頃だった。
 父と母は正式に結婚した間柄ではなかったのだ。地元の高校を卒業した後、声楽を学ぶために東京の音大に進んだ母が、熱心なオペラ愛好家だった父と出会ったとき、父には既に妻子がいたのである。
 つまり、藤本響子は未婚の母だった。
 もっとも、母といっても名ばかりで、生みっぱなしで乳ひとつ与えたわけではなく、赤ん坊を出雲の実家に預けたまま、東京のマンションを根城にして、世界中を飛び回るような生活を、母は亡くなる直前までしていたのだが……。
 それが、母の死後、男子には恵まれなかった宝生家の養子となり、東京の実父のもとで暮らすはめになったというわけだった。
 宝生家に引き取られたのは、行く末は父の事業の後継者になるためだったが、結局、その道は選ばなかった。
 母がたの血を濃く受け継いだせいか、中学を卒業する頃には、将来は実業家ではなく音楽家になりたいと願うようになり、そのことをおそるおそる父に相談してみると、無類のクラシック好きだった父は意外にあっさりと許してくれた。母が卒業した音大の付属高校に入学することを進めてくれたのも父だった。どうやら、父にとって、後継者|云々《うんぬん》というのは、亡き愛人の子を引き取ることに難色を示していた正妻に対する口実のようなものらしかった。
 そして、その音大付属時代に、型にはまったクラシックの基本を学ぶ毎日に飽き足らなくなり、同じ不満を抱えていた同級生数人と、ほんの遊び半分で組んだロックバンドがきっかけでメジャーデビューを果たした。
 父が望んだようなクラシックの世界ではなかったが、ひょんなことから、音楽の世界で生きたいという少年の夢はたやすく叶《かな》ってしまったのである。
 バンドを解散した後も、作曲やプロデュースを中心としたソロ活動を続け、現在の地位に昇りつめるまで、何かと多忙をきわめ、出雲に帰郷することもままならぬ日々を送っていたのだが……。
 それでも、ようやく時間を見つけて、こうして帰ってきてみると、空港に降り立ったときから、帰るべきところに帰ってきたのだという、ほっとするような気分になった。
 今では、東京の自宅以外にも、ニューヨークやロンドンにも仮の住まいをもっていて、亡母同様に世界中を飛び回るような生活をしていたが、幼年期をのんびりと過ごした鄙《ひな》びた出雲の地が、やはり、一番心やすらぐ場所であることを、古びた旅館や民家の立ち並ぶ神門通りを歩きながら、宝生は改めて感じていた。
 どこからか漂ってくる蕎麦《そば》つゆらしき匂いを嗅《か》ぎながら歩いて行くと、やがて、出雲大社の二の鳥居が間近に見えてきた。
 藤本家に行くには、手前の通りを左手に曲がればいいのだが、しばし立ち止まって思案したあげく、このまま、二の鳥居をくぐり、大社の境内をぐるりと散策してみようかと思いついた。
 衣類しか入っていない旅行バッグはそれほど重くはないし、頭上に広がる澄み切った気持ちのよい秋空が、五年ぶりで訪れた懐かしい地をもう少し歩いてみたいという気にさせていた。
 それに、藤本家から下駄ばきで行ける距離にある出雲大社の広い境内は、物心ついた頃から、祖母に連れられてよく散歩がてらに歩いた場所でもあった。
 そう思いつくと、宝生は、参拝客に混じって、二の鳥居をくぐった。
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