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蛇神4-9-5

时间: 2019-03-26    进入日语论坛
核心提示:    5「日美香さん?」 日美香の部屋の前でそう一声かけたが、戸口の向こうからは何の返事もなかった。 この時間帯ならい
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「……日美香さん?」
 日美香の部屋の前でそう一声かけたが、戸口の向こうからは何の返事もなかった。
 この時間帯ならいつもは部屋にいるはずだがと聖二はいぶかしく思いながら、襖戸《ふすまど》を開けてみた。
 すると、目に飛び込んできたのは、八畳ほどの和室のほぼ中央で、仰向けのやや不自然な格好で倒れている日美香の姿だった。
「日美香!」
 聖二は我を忘れて駆け寄った。その不自然な寝姿から、気分でも悪くなって昏倒《こんとう》しているととっさに思ったからだった。
 しかし、近寄って、顔を覗《のぞ》きこんでみると、そうではなかった。日美香はすやすやと軽い寝息をたてて眠っていた。
 顔色も悪くはない。
 畳に投げ出された手元には、文庫本が転がっている。どうやら、部屋でこれを読んでいるうちに眠気を催し、ごろりと横になったまま寝入ってしまったらしい。
 気分が悪くなって倒れているのではなく、単にうたた寝をしているだけだと気づいて、聖二はほっとしたようにその場に座りこんだ。
 こんな格好で風邪でもひいたら……。
 そう思い、揺り起こそうとしたが、その手を宙でとめた。
 よほど疲れていたらしく、自分が入ってきたことにも気づかず熟睡している娘の顔を見ているうちに、起こすのが少し可哀想《かわいそう》な気もしてきた。
 午前中は武の家庭教師を務め、夕食後は、聖二の部屋に籠《こ》もって、家伝書の読み解きに時間を費やすというのが、彼女がこの家に来てからの日課になっていた。
 それも興が乗ると、深夜にまで及ぶこともある。昨夜も、日美香自身の頼みで、午前二時すぎまで家伝書と首っぴきになっていた。
 おまけに、神迎えの神事の日女役に決まってからは、それまで気ままにすごしていた午後のこの時間帯も、日女役の作法の練習などで忙しくなった。
 ここ数日、ろくに睡眠もとっていなかったのだろう……。
 そう考えると、このまましばらく眠らせてやりたくなった。
 聖二は足音をしのばせて押し入れまで行き、中から毛布を出してきて、それをそっと身体にかけてやった。
 それでもまだ気づかず眠っている。
 そのまま部屋を出ようと思ったが、うっすらと口を開けて寝息をたてている童女のようなあどけない顔を見ているうちに、ついその場を離れがたくなった。
 この娘《こ》がこんな無防備な格好で、こんな無邪気な表情をしているのをはじめて見たような気がした。
 五月に会って以来、だいぶ心を開いてきたとはいえ、いつもどこか、他者を警戒し身構えているようなところのある娘だった。自分の弱みや隙《すき》を絶対に他人には見せまいと常に気を張り詰めている様子が、時々痛々しく見えることもある。
 こんな性格になったのも、片田舎の、父親のいない家庭で、周囲の目には見えない圧力と戦いながら育ってきたことに一因があるのかもしれない。
 二十歳という年齢のわりには大人びて見え、起きて意識のあるときは、しっかりした優等生という印象の強い娘だったが、こうして、全く無警戒に眠っている顔を見ると、その素顔はまだ三、四歳の子供のように幼くも思えた。
 どんな大人でも、寝顔は無防備で幼くなるものだが、今こうして見ていると、この顔こそが彼女の素顔であるようにも見える。
 守ってくれるのは女親だけという家庭環境の中で、早いうちに大人になることを強いられたものの、本当に成長したわけではなく、こんな幼い素顔を大人びた仮面の下にずっと隠し持っていたのではないか。
 その仮面を脱いで素顔を見せるのは、こうして一人で眠るときだけなのではないか。
 もし、二十年前、自分がもう少し妹の身になって考え、慎重に事を運んでいたら、この娘ももっと違った環境で生まれ育つことができただろうに……。
 そう考えると、不憫《ふびん》さに胸が熱くなった。
 それに、こうして幼女のような表情を見せて眠る娘の顔は、聖二の脳裏に焼き付いて離れないもう一人の幼女の顔を容易に思い出させた。
 やはり血は争えない……。
 今の日美香の顔は、異父姉にあたる春菜の顔に少し似ていた。
 二十年前、自分がこの手に抱いてあやし、毎晩添い寝してやり、そして、あの大祭の夜、この手で蛇ノ口に生きたまま沈めた幼女の顔に。
 あのとき、春菜は最期まで眠っていた。
 眠ったまま、我が身に何が起きたのかも知らないまま、底無し沼に呑《の》み込まれていった。
 そして……。
 日美香の寝顔は、聖二の心の奥底に今なお棲《す》み続けているもう一人の女の顔をも呼び覚ました。
 それは母の顔だった。
 聖二が二歳のときに別れた実母、緋佐子の……。
 たった二歳だったが、最後に見た母の顔ははっきりと記憶に残っている。昼寝をしていて、ふと目をさましたとき、そばには母の顔があった。添い寝をしているうちに寝入ってしまったらしく、母は、蠅よけのウチワを手にしたまま、少女のような顔をして眠っていた。
 母の少しはだけた胸元から仄《ほの》かに零《こぼ》れる甘い乳の香りと、枕《まくら》いっぱいに広がった黒髪の甘酸っぱい香りに包まれて、聖二は身を起こして、眠る母の顔をいつまでも見つめていた。
 でも、その母は翌日|忽然《こつぜん》と姿を消した。聖二はいなくなった母の姿を求めて、一日中、広い家の中を泣きながら捜し回った。
 母が生まれたばかりの妹だけを連れて村を出たと聞かされたのは、もっと物心がついてからだった……。
 いつだったか、妻に、「あなたには人間らしい感情というものがない」と言われたことがある。そうではない。感情なら自分にもある。たぶん、人一倍ある。しかし、あまりにもその感情が激しすぎるために、その発動を本能的に制御せざるをえないのだ。
 もし、自分の奥底に眠っているマグマのような感情を一度でも爆発させたら、それは、自分自身だけでなく、周囲の人間をも破壊しかねないことを知っていたから……。
 それは、いわば、表面が氷で覆われた活火山のようなものだ。一見氷山のようにも見えるが、実は、その内部に、どろどろとした灼熱《しやくねつ》のマグマを抱えこんでいる。そのマグマがあまりにも熱く危険であるために、表面を氷で覆って、その温度を常に冷まし、内部に閉じ込めておかなければならないほどに……
 日美香という娘にも同じものを感じる。
 一見強く見えるが、その内面には硝子《ガラス》のように弱く脆《もろ》いものを抱え込んでおり、一見冷ややかに見えるが、その内面には灼熱のマグマのような熱い感情を抱え込んでいる……。
 弱いものを抱え込んでいなければ強く見せかける必要はないし、熱いものを抱え込んでいなければ冷たく見せかける必要もない。
 この娘が誰よりも愛《いとお》しく思えるのは、そのことを自分だけが感じ取り、知っているからかもしれなかった。
 しかも、胸のお印ゆえに、日美香には、これだけの容姿に恵まれた並の女ならば容易につかみ取れるはずのささやかな幸福というものは約束されていない。
 彼女の前にあるのは、全てか無か。大神の神妻となって、この世の全てをつかむか、それとも何もつかめないか……。その二つに一つの選択しかない。
 それが解っているだけに、なんとしてでも、この娘を守ってやりたい。最高の幸福を与えてやりたいと思っていた。
 この娘の母と姉から、それを奪ってしまった代償として……。
 そして、それはもうすぐ叶《かな》う。目前まで来ている。
 今度の大神祭の成就と、日美香の幸福とは完全に一致している。祭りが成就すれば、必ず、大神は武の身体の中に復活し、日美香はその神妻となる。
 妹のときのように、祭りを成就するために、彼女の意志と感情を無視して行うわけではない。日美香自身の意志と感情に沿うことでもある。
 聖二自身があえて背中を押したこともあって、最近、日美香は武を男として意識しはじめてきたようだ。それとなく態度にそれが表れるようになった。二人は確実にひかれあっている。それは、まだ青い実だが、日を追うごとに熟しつつある。もし、時間に猶予があれば、その実が赤く熟して自然に大地に落ちるまで、待ってやりたかったのだが……。
 二人の恋を成就させることが、すなわち、真の大神祭を成就させることにもなる。日美香の幸福とこの世の摂理が一致する。そして、日美香を誰よりも幸せにしてやることが、この祭りのために犠牲にしてしまった日登美や春菜への何よりの鎮魂にもなろう。
 ただ……。
 一つだけ不安なことがあるとしたら、それは、大神祭の成就の結果として生じるであろう「あること」についてだった。
 今度の大祭がつつがなく終わったときに、その後に何が起こるか、それを予知できているのは、おそらく自分だけかもしれない。
 日の本寺の住職や村長も含めて、この村を牛耳《ぎゆうじ》る人間でさえ、大神祭の真の意味を知っている者は殆《ほとん》どいないのだから。
 大神祭とは、祟《たた》り神《がみ》たる蛇神を祀りあげることで、その怒りを和らげ、祟りによるあらゆる天変地異から日本を守るための祭りだと、誰もが信じ込んでいる。
 この祭りをやめたときに、大神の怒りによって、あらゆる災害、天変地異の類《たぐ》いが起こるのだと。それゆえ、祭りを続ける必要があり、祭りを続けている限り、この日本を、いや世界そのものを滅ぼしかねない大災害をくい止めることができるのだと……。
 聖二も若い頃はそう単純に信じ込んでいた。
 しかし……。
 子供の頃から慣れ親しんできた家伝書を折りに触れて丹念に読み返しているうちに、ふとあることに気づいて慄然《りつぜん》とした。それは、あの「双頭の蛇」に触れた謎《なぞ》めいた序文の意味だった。
 
 天と地を支配する二匹の双頭の蛇が現れ、これが交わるとき、大いなる螺旋《らせん》の力が起こり、混沌《こんとん》の気が動く……。
 
 この序文の中の「大いなる螺旋の力が起こり、混沌の気が動く」とは、何か大きな「混乱」が起こるということではないのか。
 天災、たとえば、火山の噴火、大地震、大水害、そういったものが立て続けに起こるということではないのか。
 そう思い当たったときだった。
 大神祭の真の意味を理解したのは。
 逆なのだ。
 火山の噴火、大地震、こうした、ありとあらゆる災害は、実は、祭りをやめたときではなく、真の祭りが成就したときにこそ起こるということなのではないか。
 天変地異は、大神祭をやめたときに起こるのではない。二匹の双頭の蛇が交わり、天地陰陽が統一されて、真の祭りが成就し、大神と呼ばれる螺旋生命体がこの世に再び出現するときに、それに伴って生じるものなのだ。
 つまり、大神祭とは、こうした天変地異を防ぐ祭りではなく、こうした天変地異を呼び起こすための暗黒祭だということだ。
 しかし、このことは千年以上にもわたって秘密にされてきた。神家の人間でも、この家伝書を隅から隅まで読み込んだ人間は少ない。自分のようにお印の出た宮司だけが、これを読み解き、大神祭の真の目的を理解していただけだ。
 実際、そんな宮司の一人によって書き残された言葉の中に、「この祭りの事、村人にもかたく秘すべし」といった謎めいた記述がある。これは、大神祭のことは外部の人間だけでなく、身内ともいえる日の本村の人間にさえも「秘すべし」と言っているのだ。
 何を「秘すべし」なのか。
 詳しくは書かれてはいなかったので、昔、読んだときは、大神祭が生き贄《にえ》を要求する祭りであることや、性がらみの儀式があることを「秘すべし」と言っているのかと解釈していたのだが、そうではない。
 それならば、そんなことはとっくに知っており、暗黙の了解となっている村民にまで隠す必要はない。この「秘すべし」という呪文《じゆもん》のごとき言葉には、もっと恐ろしい意味が込められていたのだ。
 大神祭が天変地異を引き起こすための暗黒祭であることを村人にも隠せと……。
 この祭りによって、ありとあらゆる大災害が各地で引き起こされようとも、大神の子孫によって作られたこの村が被害を被ることはないはずだ。
 この村はいわばノアの箱舟のようなものなのだから。物部伝承にも記された、神祖ニギハヤヒが供を引き連れて乗ってきた「空飛ぶ天の岩船」というのも、おそらく、当時も起こった大災害から生き延びた「箱舟」のことを暗に示しているのに違いない。
 それでも、村民の中には、その災害に自分たちや他所《よそ》で暮らしている家族や親戚《しんせき》縁者も巻き込まれるのではないかと恐れる者も出てくるかもしれない。
 そうした不安や憶測からパニックになる恐れがある。中には、祭りの続行を拒否する者も出てくるだろう。そうならないために、この祭りの真の目的は、村人にさえも「秘すべし」と宮司は書き残したのだ。
 それどころか、この祭りがあらゆる天変地異からこの国を守る祭りであると逆に信じ込ませることによって、村民たちに祭りを続行するための大義名分と使命感を与えようとしたに違いない。
 聖二にとっては、曾祖父《そうそふ》にもあたる、この宮司の心境が今となっては、痛いほどに解る。
 この祭りが引き起こそうとしている「螺旋の力」とは、それ自体は善でもなければ悪でもない。そんな善悪の観念などからは完全に超越した生命の躍動そのものであり、運動である。
 それは、巨大な棒でもって、今まで静止していた器の中の水を激しく攪拌《かくはん》するようなものだ。
 ただ、その力の発動で起きた大災害が日本だけでなく、おそらく地球規模で世界中を襲うことになるだろう。地球そのものの滅亡にはけっしてならないが、それによって、世界の人口の何割かが確実に失われる。
 滅ぼされる側の視点から見れば、この力は、確かに「悪」である。彼らにとっては、この力の発動そのものが、「この世の終わり」を意味するのだから。
 だからこそ、この力を視覚的に象徴する「蛇」が、世界神話の根源から「神」であると同時に「世界を滅ぼす悪」であると言い伝えられてきたのかもしれない。
 しかし、これは、巨大な螺旋階段のより高次の階層に進むために必要な「悪」であり、「間引き」であり「剪定《せんてい》」なのだ。すべての生きとし生けるものを引き連れてはいけない次の階層に進むためにどうしても必要な……。
 このまま世界の人口が増え続けることがあれば、やはり、その果てに待っているのは、地球そのものの「死」にすぎないのだから。
 この青い宝石のような惑星を「老衰死」から守るためには、ある一定の期間をおいて、若返りのためのカンフル剤ともいうべき「混沌」の力の発動が必要なのだ。
 このカンフル剤によって、古い生命や種を切り捨て、この地球上に、新世界をうちたてるべく新しい生命と種の誕生を促すことが……。
 その「混沌」の力をもたらすのが、大神と呼ばれるものの正体だった。
 しかし、いかなる大災害が世界中を襲おうとも、この日の本村は無傷のまま生き残るだろう。ましてや、新たな次元に進むためのリーダー的存在となるべき人物の伴侶《はんりよ》と定められたこの娘には、たとえ、目の前で地が二つに裂け、炎の雨が降り、世界が漆黒の闇《やみ》にとざされたとしても、髪の毛一筋もの危害が及ぶことはないはずだ。
 だから、祭りのあと、何が起きても恐れることはない。あなたは絶対的なものに守られているのだから……。
 すやすやと赤子のように眠る娘の顔を見つめながら、聖二はそう声には出さずに語りかけた。
 平成十年……。
 西暦でいえば、一九九八年、十月三十一日。
 それは、大神祭を三日後にひかえた、秋晴れの午後のことだった。
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