彼女の実父は、当時、大神祭で「三人衆」の役をやった村の男たちの中にいるのか。
日美香が水枕と共に立ち去ったあと、武は、布団に仰臥《ぎようが》したまま、そんなことを考えていた。
「三人衆」の条件の一つは、十八歳以上三十歳未満の独身男子ということらしいが、たとえ、当時は独身でも、二十年もたてば、おおかたが妻帯して、子供もいるだろう。
日美香が言った通り、これ以上、無理に父親探しを続ければ、最悪の場合、その男の今の生活を乱し、家庭を壊しかねない……。
だから、この村では、日美香の場合に限らず、日女の生んだ子供の「父親」をあえて詮索《せんさく》しないようにしているのか。
村の人々が、この話には、皆、申し合わせたように口をつぐんでしまうのは、互いの生活を守るために自然に生み出された知恵ともいうべきものだったのか。
でも……。
武は思った。
まだ今一つ釈然としないことがある。
彼女の実父が、当時、「三人衆」をやった男たちの中にいたとしても、そのことが、自分とどう関係しているのか。
それが分からない。
なぜ、叔母の美奈代が、あんな思い詰めたような顔で、「日美香様の父親のことで、ぜひ話しておきたいことがある」などと言ったのか……。
まさか。
一瞬、武の頭に電光のように閃《ひらめ》くものがあった。
まさか……父が?
父が当時の「三人衆」の一人だったとか……。
そう思いついたものの、すぐに思いついた素早さで打ち消した。
それはありえない。
なぜなら、二十年前といえば、父は既に新庄家に婿入りしていたはずだ。兄も生まれていた。他の条件はかろうじてクリアできても、「三人衆」の第一条件である「独身男子」という条件に当てはまらない。だから、父が選ばれるはずがないじゃないか……。
我ながら、馬鹿なことを思いついたものだと、すぐに、その思いつきを否定した。
となると、あと考えられるのは……。
駄目だ。何も思いつかない。
やはり、このことは叔母に直接聞きただすしかないか。
それともう一つ……。
腑《ふ》に落ちないことがあった。
それは、毎年、村の青年の中から三人選んでいたらしい「三人衆」を今年に限って、なぜか、自分一人しか選ばれていないらしいこと。これも不思議だった。なぜ、あとの二人を選ばないのだろう。条件にあった若者がいなかったのだろうか。
それとも……。
叔父の話では、俺の身体にお印が出たことで、急遽《きゆうきよ》、このような事態になったということだったが。
それ以上のことは何も知らされていなかった。
この村の祭りのことなど、何も知らないまま、何やら訳の分からない大役を引き受けてしまったことに、今更ながら、後悔にも似た気持ちがくすぶっていた。
いくら叔父の頼みとはいえ、こんな話、最初から断っていればよかった……。
病気のせいもあって、少し気弱になりながら、武がそんなことを思いながら、浮かない顔で天井を見つめていたとき、廊下の方から足音がした。
どうやら、日美香が水枕を持って戻ってきたらしい。
一瞬、そう思ったのだが、襖《ふすま》を開けて入ってきたのは日美香ではなかった。叔母だった。割烹着《かつぽうぎ》の胸に水枕を抱えている。
ということは……。
「いかがですか」
叔母はそう言って枕元まで近づいてくると、赤子を抱えるように持っていた水枕を武の頭の下に素早く敷いた。
そして、日美香がやったように、右手を病人の額に置いて、熱を計るような仕草をした。同じことをやっても、どこかぎこちなかった日美香の動作とは違い、さすがに主婦歴二十年という叔母の仕草は流れるように自然で、てきぱきとしている。
額にじかに触られても、若い女の柔らかすぎる手の感触と違い、長年の家事労働で男のように節くれだち荒れた肉厚の手ならば、変な気分にもならないし、かえって、安心できる。
「……日美香さんは?」
そう聞くと、
「風邪がうつってはいけないので、お部屋に引き取ってもらいました。武様の看病はわたしがしますから」
美奈代は、心なしか、勝ち誇ったような表情で言った。
日美香が部屋に戻ったと聞いて、半分がっかりするような、半分ほっとするような気分だった。
そばにいてくれるのは嬉《うれ》しかったが、病気で弱っているところを間近で見られるのは、なんだか恥ずかしくて嫌だったし、とにかく、いるだけで刺激が強すぎて、おちおち寝てもいられない。これじゃ治るものも治らなくなる。
看病ということだけなら、年配の叔母の方が有り難かった。
「おなかはすいていませんか。お粥《かゆ》さんを炊いてみたんですけれど……」
美奈代は、掛け布団を直しながら聞いた。
「少しでも食べておいた方がよろしいですよ。早く体力が戻りますからね」
「ちょっとだけなら……」
食べられないこともないなと思い、そう答えると、
「そうですか。じゃ、今、持ってきますから」美奈代は嬉しそうに言って、枕元から立ち上がりかけた。
「叔母さん」
武は、思わず布団から手を出して、立ち上がりかけた叔母の割烹着の袖《そで》をつかんだ。
「……この前、日美香さんの父親のことで、俺に話しておきたいことがあるって言ってたよね。ほら、裏で薪《まき》割りしてたときさ。あれ、何の話だったの?」
袖をつかんだまま、そう聞くと、
「……」
叔母は、一瞬、あのときのような怖い顔になった。
「今、ここで話してよ」
「……誰にも」
美奈代はしばらく黙って、じっと自分を見上げている甥《おい》の顔を見おろしていたが、
「誰にも言いませんか。わたしから聞いたとは誰にも?」と聞いた。
「言わないよ」
武はきっぱりと答えた。
「もし、わたしが話したと主人に知られたら、この家から追い出されるだけでは済まなくなるかもしれません……」
美奈代は、悲愴《ひそう》ともいえる顔つきでそんなことを言った。
叔父さんに知られたらうちにいられなくなる……?
あの叔父をそこまで怒らせるようなことなのか。
なんだか聞くのが少しこわくなった。でも、ここまできて聞かずに済ますわけにはいかない。
「言わないよ。絶対に誰にも言わないと誓う。もちろん、叔父さんにも」
武はもう一度繰り返した。
「ちょっと離してください」
美奈代はそう言って、割烹着の袖をつかんでいた武の手をいったん離させると、すっと立ち上がって、部屋の戸口まで行き、襖を開けて、外を見ていたが、誰もいないことを確認して戻ってくると、再び枕元に座り、
「けっして誰にも言いませんね?」
と、さらに念を押すように聞いた。
武は頷いた。
「……実は、今から二十年前」
叔母は、それでも、人に聞かれるのを恐れるような小声で囁《ささや》くように話しはじめた。