「武が神武《じんむ》……」
聖二ははっとしたような顔で呟《つぶや》いた。
「そういわれてみると……。これは迂闊《うかつ》だったな。今まで気づかなかった」
「偶然とはいえ、よりにもよって、武はこの家に婿入りすることで、祖神の敵と同じ名前になってしまうんです。わたしには、これが何かとても悪いことを暗示しているようで不安でしょうがないのです。この先、彼が『神武』を名乗るようになったら、彼の運命がその名前に支配されて大きく変わってしまうのではないか。昔、この名前の男がわたしたちの祖神を滅ぼしたように、いずれ彼が、わたしたち……いえ、あなたを滅ぼそうとするのでないか……」
「……」
「あなたは後継者ではなく、最大の敵を育てているのかもしれないんです」
「それは考え過ぎというものだ。たかが名前のことに過ぎない。偶然といってしまえばそれまでだろう……」
聖二は苦笑しながら言った。
「そうでしょうか。名前には言霊《ことだま》が宿っています。そう教えてくれたのは、お養父さん、ほかならぬあなたです。わたしの『日美香』という名前には、人知を越えたところで、『日甕《ひみか》』の宿命が隠されているという話をされたときに」
「……」
「わたしも名前に宿る言霊というものを信じるようになりました。げんに、わたし自身、改名したことで、わたしの運命が大きく変わったからです。あなたの養女になって『神日美香』となってからは、以前の『葛原日美香』であったときとは別人のような変わりようだと自分でも思っています。『葛原日美香』だったら絶対に考えなかったようなことを『神日美香』は考え、『葛原日美香』だったら絶対にしなかったようなことを『神日美香』ならいともたやすくできるようになりました。
武にも同じようなことが起こらないとは限りません。それに、もともと、あの子の『武』という名前も、日本神話の英雄、日本武尊《やまとたけるのみこと》から取ったのでしたよね? そして、ヤマトタケルが双子の兄を殺したように、武も、双子の兄の命を奪うような形で生まれてきた……。出生時に既に名前のもつ言霊の影響を受けているんです」
「しかし……」
聖二は思いがけない難題をつきつけられたという顔で言った。
「だからといって、あなたの方を嫁に出すわけにはいかないし、正式に結婚となれば、彼を神家の籍に入れないわけにはいかない」
「それに、あのとき、わたし……」
日美香は聖二の呟きを無視するように続けた。
「権爺から銃を奪ったあと、武を傷つけるつもりはなかったといいましたが、あれは真実ではありません。最初はそのつもりでしたが、ほんの一瞬だけ、彼に殺意を感じたんです。このまま撃ち殺してもかまわないというくらいの殺意を」
「……」
「武がわたしの威嚇《いかく》を無視して、一の鳥居の方に歩いて行き、そのまま鳥居を越えそうになったときです。その瞬間、わたしの中で何かが覚醒《かくせい》しました。前に、お養父さんから、ここで古い襤褸《ぼろ》人形を見せられたときのような感じでした。わたしの中に眠っていた誰かの意識が突然目覚めたのです。ほんの一瞬のことでしたが。その目覚めた意識が、武のことを『イワレヒコ』と呼んだのです」
「イワレヒコ……まさか……カムヤマトイワレヒコ……神武天皇の和名……?」
「そうです。叫んだときには気づかなかったのですが、あとで気が付きました。『イワレヒコ』というのは神武のことであると。武が一の鳥居の真下にたっていたとき、わたしは……いえ、わたしの中の何かが、彼を『イワレヒコ』と認識し、叫んだのです。その瞬間、わたしは、自分の中にはっきりと殺意を感じました。たとえこの銃で相手の心臓を撃ち抜いてでも、目の前の男の足を止めなければならない。そう思ったのです。それは、わたしというより、わたしの中に目覚めた意識がそう命じたのです」
「でも、あなたは撃たなかった……」
「それは武が足を止めたからです。わたしの殺気を感じ取ったのでしょう。もし、あのまま鳥居を越えていたら、わたしはためらわず引き金をひいていたと思います。足ではなく、心臓めがけて」