「……どうも妙だな。あなたの話を聞いていると、まるで、あなたが……」
聖二は何かじっと考え込みながら言った。
「イワレヒコがいた遥《はる》か遠い昔にあなたも生きていて、イワレヒコと面識があったように思えてくる……」
「わたしもそんな感じなのです。もしかしたら……わたしも祖母が最初の転生者ではなかったのかもしれません。わたしの祖母も誰かの転生者で、さらにその誰かも……」
「それがイワレヒコが生きていた神代《かみよ》にまで溯《さかのぼ》ると……?」
聖二は独り言のように呟いた。それきり沈思黙考とでもいうか、黙り込んで自分の世界に入り込んでしまった。
「……あの、それと、もう一つお話ししたいことがあります」
日美香がようやく口を開いた。
「家伝書の冒頭の『双頭の蛇』のくだりのことなのですが」
「え……」
聖二は夢想から覚めたように顔をあげた。
「今まで学習した部分を部屋で独りで読み返しているうちに、わたしなりにお養父さんとは全く違う解釈をするようになったのですが……」
「ほう。別の解釈? どのような……?」
聖二は興味をもったような顔つきで先を促した。
「冒頭に書かれた『天と地を司《つかさど》る二匹の双頭の蛇』というのは、共に双子の片割れで共に蛇紋を持つ、わたしと武のことだと思うのです。今のところ、それ以外に解釈のしようがありませんし。でも、お養父さんと違うのは、その後の解釈なんです」
「その後というと?」
「『二匹の双頭の蛇が現れ、これが交わるとき、大いなる螺旋《らせん》の力が起こり、混沌《こんとん》の気が動く……』というくだりの部分です。お養父さんは、あそこを、『地を支配する陰の蛇』たるわたしと、『天を支配する陽の蛇』たる武が、交わる、つまり結婚すれば、それによって、武の中に太古の大神が復活するというように解釈したのですよね」
「そうだ」
「でも、わたしは少し違う解釈をしています。大神が復活するのは武の身体ではなくて、武の子供の方ではないかと思うのです」
「武の子?」
「ええ。つまり、わたしがこれから産むかもしれない子供のことです」
日美香は少し恥ずかしそうに言った。
「なぜ、そう思うのです?」
「家伝の半ばほどに、やはり『二匹の蛇』に関する記述があったことを覚えておられますか」
「いや……」
聖二は曖昧《あいまい》な顔で首を振った。覚えていないようだった。
「そこにはごく短い記述なのですが、『一の蛇は剣を落とす。二の蛇は玉を落とす。この剣と玉が聖なる甕《みか》に共に入るとき、ここに大いなる御霊《みたま》が宿る』というような表現があるのです」
「ああ、そういえば……」
聖二はようやく微《かす》かに思い出したというような表情をした。
「ここに出てくる『一の蛇と二の蛇』というのが、冒頭に出てくる『双頭の蛇』かどうかは分かりません。『蛇』とあるだけで、『双頭』とも『天地』とも書かれていませんから。でも、二匹の蛇がそれぞれ剣と玉を持っているということから、これが雌雄の蛇ではないかと思われます。神話などでは、しばしば、『剣』は『男』を、『玉』は『女』を暗示することが多いですから。
この『一の蛇が剣を落とし、二の蛇が玉を落とし、それが聖なる甕に共に入る』というのは、男女が交わって受精する様を象徴的に表現しているように思われます。つまり、一の蛇の剣とは男性の精子を表し、二の蛇の玉とは女性の卵子を表すのです。聖なる甕とは、母体の子宮のことでしょう。精子と卵子が出会って受精卵となり、それが子宮内に着床して胎芽から胎児となる。その胎児に大いなる御霊が宿る。そう言っているのではないでしょうか」
「……」
「この記述と、冒頭の記述を一つに結びあわせてはじめて、ようやく、予言の全貌《ぜんぼう》が明白になるのではないかと思います。もしかしたら、もともとは丸ごと冒頭にあった文章の一部が分断されて、家伝の半ば程にまぎれこんでしまっていたのかもしれません。
だから、あの予言の部分は、本当は、『天地を支配する二匹の双頭の蛇が現れ、これが交じりあい、一の蛇は剣を落とし、二の蛇は玉を落とし、聖なる甕に共に入るとき、ここに大いなる御霊が宿る。この御霊の宿った胎児がやがて螺旋の力を引き起こし、混沌の気が動く……』というように解釈しなければいけないのでは……?」
「なるほど……」
聖二は驚きつつも納得したような顔で頷《うなず》いた。
「そう考えると、神家にとって必要なのは武ではなくて、武の子供の方だということになります。大神が復活するのは武ではなくて武の子供なのですから。だから、必ずしも、わたしと武が結婚する必要はないんです。ようは、わたしが武の子供を宿しさえすればいいのですから。そして、その子が無事に産まれたら、他の日女《ひるめ》の私生児のように、神家の子として籍に入れて育てればいいのです」
「それでは……あなたは未婚のまま子を産むというのか。武とは正式に結婚しないまま……?」
聖二は困惑した表情で聞いた。
「はい、そうです」
日美香は迷いのない目ではっきりと頷いた。
「そんなことになっていいのか」
「かまいません。未婚のまま子供を産むのは日女の宿命です。その宿命に日女であるわたしも従おうとしているだけのことです」
「でも、あなたは普通の日女ではない。それに、それでは、あなたが不幸になる……」
「どうして、わたしが不幸になるのですか。自分の意志で決めたことに従うだけなのに」
日美香はそう言って笑った。
「これがわたしの意志ではなく、誰かに無理やり押し付けられた生き方だとしたら、たとえそれがお養父さん、あなたであったとしても、わたしにとっては不満であり不幸かもしれません。でも、そうではないんです。わたしは誰でもない、わたし自身の意志で、沢山ある選択肢の中からこの生き方をあえて選ぶのですから。
正式に結婚した夫がいて、その夫の間に子供を作り、家庭を守る。それが女の幸せだというのは、他人の目を意識した『幸福』にすぎません。他人に幸福そうに見られることを自分の幸福と考える人には、それで十分でしょうが、わたしはそういう人間ではありません。自分がどういう状態にいることが、わたしにとっての真の幸福なのか分かっているつもりです。それが、他人の目から見て、どう見えようとも……。
もし、不幸というならば、武の名前が暗示している将来への不安を抱えながら、このまま武と結婚する方が、わたしにとっては不幸です。いくら人目には幸福そうに見えたとしても、この不安が有る限り、心やすまることはありません。武を夫としてこの家に迎え入れたばかりに、いつか、武とあなたとの間に深刻な対立が生じて、それがこの家や村の滅亡にもつながることになるかもしれないなどと心配しながら日々を暮らす方が、わたしには遥かに不幸なんです。
それに、わたしの幸福ということを少しでも考えていてくれるならば……」
日美香はそう言って、じっと聖二の目を見つめた。
「わたしの幸福は、誰と結婚することでもありません。この家でいつまでもあなたと暮らすことです。戸籍上の父娘という形であろうと、どんな形でもいいんです。ずっとあなたのそばにいることがわたしの最高の幸福なんです」
「……」
「そのためにわたしはここに戻ってきたのですから」
それを言っているのが自分なのか、それとも、祖母なのか、よく分からないまま、日美香はそう口ばしっていた。
最初は多少違和感を感じていた祖母の記憶というか意識が、今では日美香自身の意識と完全に同化しつつあった。
「だから……」
日美香はなおも続けた。
「たとえ、祭りが終わって、武が東京に帰ることになっても、わたしは帰りません。ここに残ります。そして、もし、武の子供を得ることができたら、ここでその子を産み、この手で育てます。その子が成人に達して、母親を必要としなくなるまで、わたしはここでその子の母としてのみ生きるつもりです」
「それで本当にいいのか。後悔しないのか。その若さで、もっと他にいくらでもやりたいことがあるだろうに……」
「やりたいことはありました。海外留学もその一つでしたし、大学院まで行って薬学の研究をしたいと思ったこともありました。大学を出たらやりがいのある職業について、男性並にバリバリ仕事をする。そう考えたこともあります。でも、それは全て、『葛原日美香』であったときの夢です。もうそんなことはどうでもよくなってしまいました。今のわたしが願うことはただ一つ、大神の真の依《よ》り代《しろ》となる子を宿し、その子を無事に育てることです。それが、『神日美香』としてのわたしの宿命だと思うからです。『神を育てる日甕《ひみか》』。これがこの名前が暗示している現世でのわたしの生き方のような気がします。それに、違う生き方をしたければ、来世で違う選択をすればいいだけのことですから」
「そこまで考えて、既に決心しているなら、私がとやかく言うことではないが……」
聖二は、困惑しつつも、隠しきれない内心の嬉《うれ》しさを滲《にじ》ませたような表情で言った。
「それで」
日美香はさらに言った。
「昨夜失敗に終わったあの儀式をもう一度やろうと思うのです」
「……」
「祭りが終わってしまえば、武は東京に帰ると言っています。そうなってからでは遅い。武の身体に大神の御霊が寄り憑《つ》いているうちに、彼がこの家にいる間に、今度は武にも包み隠さず何もかも打ち明けて、彼の承諾を得た上で、できれば今夜にでも……」